2019年9月29日 更新

遠藤誠一とは?生い立ちやオウム真理教に心酔した理由とは

皆さんもオウム真理教の地下鉄サリン事件はご存じですよね。何故、ここまで遠藤誠一がオウム真理教に心酔していったのか、多くの芸能人が宗教に入信しているが本当に宗教は危険ではないのかなど、人間の心理を交えながら詳しくご紹介していきたいと思います。

目次

キリスト教、イスラーム、ユダヤ教、仏教、ヒンドゥー教、その他の諸宗教では、宗教では互いに自己を絶対化し、無価値なものと決め付ける(宗教的排他主義)か、あくまでも自己の宗教の枠内において他宗教の価値を認める(宗教的包括主義)のが通常でした。

キリスト教では三位一体論への批判などが展開されています。聖書には「偶像崇拝を避けよ」と明記されている為にユダヤ・キリスト教は必然と神道や仏教と対立する傾向にあります。

戦争

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宗教問題に関連した戦争は、必ずしも宗教上の対立のみではなく、政治的な利害も複雑にからみ、深刻な争いとなっています。

11世紀から13世紀にかけてキリスト教国家とイスラム教国が争った十字軍など、宗教戦争と捉えがちな異教徒同士の戦いも、経済戦争としての側面が色濃かったです。

また、16世紀の宗教改革が、カトリック教会の腐敗へのアンチテーゼだったことに加え、旧教派とプロテスタントの経済利権の争いでした。

イスラエルと周辺アラブ諸国とで戦われた中東戦争および以降のパレスチナ武装勢力との紛争は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地であるエルサレム・ヘブロンなどの帰属問題が絡んでおります。

今でもイスラエルとアラブ諸国は犬猿の仲で、テロは絶えず、イスラエル人は首長国連邦でさえも入国できず、国交のあるエジプトとヨルダンのみしか入国できません。

政治

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北朝鮮では、金日成(キムイルソン)、金正日(キムジョンイル)、金正恩(キムジョンウン)という流れで、現在の独裁体制がとられています。

金日成は独自の理念として主体思想(朝鮮労働党の独自の指導理念)を掲げています。

もともと朝鮮労働党はソ連共産党の指導により結党されたもので、スターリンの影響下にありました。しかし、1953年にスターリンが亡くなると、ソ連でスターリンの批判が高まったため、独自の社会主義理論を造らなければならなくなったのです。

北朝鮮は主体思想によって、ソ連や中国とも一線を引いて個人崇拝を強めさせ権力を維持していきました。

脱北者や、独裁体制を乱す犯罪を犯したものは、男女区別なく強制労働を強いられるほか、監視員の裁量によりリンチ(性的暴行含む)や銃殺、公開処刑が行われます。

実際に2013年12月12日、金正恩の叔父で国防委員会副委員長の張成沢を反逆者であるとして死刑に処しています。

ちなみに辛さに耐えかねて自害をすると、家族や孫、親戚一同も収容されるか、僻地への追放処分となります。

結婚

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北朝鮮では、「模範囚」と呼ばれる男女が選ばれ、結婚と子作りをさせられる制度があります。

生まれた子供は教育を施されず労働のみ行う道具として育てられる(表彰結婚)など、非人道的な行為が横行しています。

勧誘

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トラブルの多い宗教の勧誘の特徴はシンプルです。

代表的な特徴の1つは、決めつけられた考え方(価値観)を無理矢理に押し付けようとする事です。宗教ですから、その独自の世界観があります。それを押し付けるとどうなるか。そう、白黒はっきりする訳です。

例えば、善悪といった良い悪いという判断基準しか存在しない世界になってしまいます。二極化された世界を、自ら歩み寄るのではなく、一方的に押し付けられたら誰だって不快な気持ちになってしまいます。

また、宗教の勧誘は多くの場合は見習いや信仰したばかりの人が多く、宗教の教義を理解していない場合が多いため話の辻褄が合わず会話が堂々巡りとなり意思疎通ができないことも多いのです。

勧誘の手口は様々です。

宗教の勧誘はノルマななく、一種の宗教活動ですから、基本的に終わりはありません。すると、次第に街頭で声をかけたり、自宅訪問となる訳です。

インターネットを使った勧誘の手口も多く、FacebookやtwitterなどのSNSを始め、地域のセミナーや婚活パーティーなど違う目的の交流会で宗教の勧誘をする人も少なくありません。

そのため、多くの会では宗教の勧誘はお断り、出入り禁止となるなどトラブルの種となる場合が多いようです。

差別や偏見

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2003年、ILO(国際労働機関)が「宗教に基づく差別がこの10年間増加している」ことを最近の報告で明らかにしています。

宗教的な差別の例として、同僚や管理職が仕事中に不快な行動を取る、宗教的慣習に無知だったり、それを軽蔑する、その宗教の祝祭日に就労を強制する、採用や昇進に際しての偏見、就労許可証の否認、着衣の習慣への敬意の欠如などが今回の報告で取り上げられています。

宗教に基づく差別について、現在の世界的な政治状況が、宗教グループの間で相互に恐怖感と差別意識を助長し、社会不安を生み出している、と指摘しています。

宗教は危険なものなのか

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実際に宗教は本当に危険ではないのでしょうか。

ここからは、今までの情報から検証していきたいと思います。

宗教の教えは危険なものではない

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世の中には、警戒される宗教とされない宗教があります。

警戒されない宗教とは「習俗的な宗教及びそれに類似したもの」と、「安定した宗教及びそれに類似するもの」であるといえます。結局どちらも「長い間存続している」という条件を満たしていること、ともいえます。

それらを受け取る人間側の問題

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教祖であれ、先生であれ、完璧な人はいないのです。その人を頭から信じ、教えを鵜呑みにしてしまえば、間違った部分も受け入れてしまうことになります。99%正しい人がいたとしても、言葉にした時点、文字にした時点で完全はありえないのです。

ですから、言葉や文字に惑わされず、自分でその中から真理を見つけ出していくしかない。判断するのはあくまでも自分であり、自分が反発を感じるものは、たとえ他のすべての人が受け入れようとも受け入れてはいけない。

自分の判断は間違うこともあるでしょう。しかし、それはその時点では仕方のないことであり、それも自分に必要な過程なのだと思います。

宗教の教えや価値観を誤解し思い込むことの恐ろしさ

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宗教やそれに類するものがおかしくなってしまう大きな原因に盲信があると思います。

一人の教祖や指導者、教典などを絶対的なものと思い込み、その人の言ったこと、教典に書いてあることは全て鵜呑みにする。宗教的なものに関わる場合、自分の理性が反発を感じるものは受け入れてはならないのですが、それをできない人は多いようです。

盲信にも二通りあります。

ひとつは間違った教えを鵜呑みにするもの。それがきっかけで犯罪などに至れば、被害は外部にまで拡大します。

この場合、一番責任が重いのは教祖です。真偽を見極められなかった信者にも責任はありますが、間違ったことなど初めから説かなければ悲劇の原因にはならなかったのですから、教祖の罪は重大です。

もうひとつは、正しい教えを信者が間違って解釈した場合。

例えば、教典なども言葉で表されたものですから、理解力によって解釈は大きく違ってくるようです。そこに曲解が入ってきたり、一部にとらわれて全体を見失うと、真意は伝わらず、誤解が生まれます。この場合、信者に悪意はなく、理解力不足なので難しいところですが、やはり心のどこかに甘さがあったであろう信者に責任があると思います。

教えの中に勘違いさせる要素を宿していたという意味では教祖にも責任がないとは言えませんが、完全は存在しないこの世でその責任を教祖に追及するのも酷な気がします。

盲信者の特徴としては、視野が狭まって他宗教の意見を聞けなくなり、排他的になるようです。

そして、実は他を認められなくなることこそが、私は宗教が失敗する一番の原因であると思います。真理を説いている宗教なら、究極は一つになれるはずですが、それは上辺の違いに惑わされず、お互いの真意を理解し合った上ではじめて可能になることです。

自分の所が正しいくらいのことは誰にでも言えるわけで、他を認めない限り、宗教の融合は不可能です。他を認めないということは相手から見た自分を認めないということに他ならないからです。

固執することによって他者・考えを否定する事がトラブルを引き起こす

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