2019年9月29日 更新

遠藤誠一とは?生い立ちやオウム真理教に心酔した理由とは

皆さんもオウム真理教の地下鉄サリン事件はご存じですよね。何故、ここまで遠藤誠一がオウム真理教に心酔していったのか、多くの芸能人が宗教に入信しているが本当に宗教は危険ではないのかなど、人間の心理を交えながら詳しくご紹介していきたいと思います。

目次

イニシエーション、食品開発による布施獲得で多大な貢献を果たし、着実に教団内での地位を築き上げてきた遠藤誠一だったが、培養に失敗を重ねることで、教団が生物兵器開発に大量の人員と資金を投入していたこともあり麻原の信頼を失ってしまいます。

遠藤誠一は、生物兵器開発失敗を挽回したいという思いから、毒ガス「サリン」の製造に取り組みむようになります。

麻原彰晃から寵愛を受けつつある土谷正実に敵対心を持つ

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1994年6月に教団における独自の省庁制が発足すると、遠藤誠一は厚生労働省大臣、土谷正美は厚生省次官に任命され、土谷は正式に遠藤の部下になります。

土谷の化学兵器に対して、自身の生物兵器がことごとく失敗していったことから、功名心の強い遠藤は激しい嫉妬をぶつけ、さらに部下に八つ当たりを起こすようになります。

麻原の関心・立場を確立させたいという思いから犯罪行為もいとわなくなった

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遠藤誠一は、麻原に取り入って歓心を買うことで出世を求めていき、麻原の企てる犯罪に対して厭わなくなっていきました。

遠藤誠一が行った罪

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遠藤誠一がオウム真理教に出家してから、教団内での名声や地位を求めるために行ってきた罪について詳しく紹介していきたいと思います。

生物兵器培養

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ジーヴァカ棟(CMI棟)を研究施設として与えられ、ボツリヌス菌、炭疽菌、ペスト菌などの細菌兵器の培養を行っていた。

麻原らが首都圏各地にこれらの菌を撒いたが、いずれも効果はなかった。

またオウム真理教被害者対策弁護団の中心人物 滝本太郎弁護士の毒殺を狙って脱会交渉の場でボツリヌス菌を塗布したコップでジュースを飲ませたが、ボツリヌス菌が培養できていなかったため、これも健康被害はなかった。

化学兵器製造

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滝本弁護士サリン襲撃事件、池田大作サリン襲撃未遂事件、松本サリン事件では、土谷正美が主体で製造し、遠藤誠一は補助的な役割にて製造に関与しています。

1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件で使用されたサリンでは、遠藤誠一が主体となり中川智正とともに5.6Lのサリンを製造しています。

違法薬物製造

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イニシエーションに使用するLSD、覚醒剤、メスカリン、チオペンタールナトリウムなどの違法薬物の製造において、土谷正美、中川智正とともに製造に関与しています。

とくに、チオペンタールナトリウムは遠藤誠一が主体となり製造していました。チオペンタールナトリウムは、教団のスパイチェック、公証人役場事務長逮捕監禁致死事件で自白剤として使用されています。

サリン散布予定場所の下見

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1994年6月27日に教団が起こしたテロ・松本サリン事件において、長野県松本市にサリンを撒くことについて当初の謀議から関与し、中川智正とともに現場周辺を下見した上、犯行に使用した長野県松本ナンバーのワゴン車をレンタカー社より自身の名義で借り入れています。

サリン散布当日は医療班として現場に同行

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1994年、松本サリン事件犯行当日では、共犯者が被爆した場合に備えて、医療役の一員として犯行現場まで同行しています。

罪証隠滅工作

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1994年、松本サリン事件で犯行の際に使用していたワゴン車が松持市内で故意に犯行現場で接触事故を起こし、警察より交通事故証明書を受け取るなど、罪証隠滅工作を行っています。

遠藤誠一の晩年

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