2019年9月29日 更新

遠藤誠一とは?生い立ちやオウム真理教に心酔した理由とは

皆さんもオウム真理教の地下鉄サリン事件はご存じですよね。何故、ここまで遠藤誠一がオウム真理教に心酔していったのか、多くの芸能人が宗教に入信しているが本当に宗教は危険ではないのかなど、人間の心理を交えながら詳しくご紹介していきたいと思います。

目次

1986年12月、遠藤誠一は、麻原彰晃の著作「超能力秘密の開発法」に出会います。

神秘体験を経験し麻原彰晃及びオウム真理教への興味を深める

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遠藤誠一は、冬休みに帰省のために札幌へ向かう船の中で、麻原の本を読みながら眠ると麻原にエネルギーを注入された夢を見ました。目が覚めるとその時、風邪をひいていたはずが、熱が下がったという経験をします。

その後、さらに神秘体験を重ねて麻原彰晃への興味を深めていきます。

1987年3月オウム真理教に入信

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遠藤誠一は、理系の人間として否定していきた神秘体験を経験したことで確信を持ち、1987年7月3日、オウムが宗教団体とは認識を持たずに入信します。

麻原彰晃の言葉に解放されたと感じ報いたい

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1988年に麻原が出版した著書「マハーヤーナ・スートラ大乗ヨーガ経典」の広告に、「京都大学大学院生」として推薦文を寄せた際に、「一切のものは原因と結果の連続に過ぎない」という麻原の言葉に、「長く心を縛り付けていた重荷から解放されるような安らぎを感じ、ここまで真理を公開した麻原に何とか報いなければならないような気がした」と遠藤誠一さんは述べています。

オウム真理教に心酔し研究室でも孤立していく

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オウムに入信してからというもの「インドでヨガの修業をする」と言い残して大学から3か月ほど姿をくらますことがありました。

当時、研究と並行して看護学校で講師のアルバイトもしていましたが、ある日突然同僚に仕事を押し付けて何日かいなくなることもあったことから、周囲との人間関係が悪くなり、研究室の中でも浮いていたようです。

愛のイニシエーション開発に没頭するため出家

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麻原は、当時京大院生だった遠藤誠一に対して「血液の培養はできないか」と問いかけ、「(血液自体はできないが)血液を抜くことでリンパ球からDNAを取り出して増やすことができる」旨を答えると、麻原は遠藤に「愛のイニシエーション」の開発を命じました。

遠藤誠一は、教団施設にて麻原の血を抜き、それを京大の研究室へ持ち帰って、指導教授や他の研究員に隠れて一人で麻原のリンパ球の培養を始めます。

そして麻原は遠藤に対して、出家したら専用の研究室を与えることを約束し、出家を迫ります。

麻原や出家信者からの強い勧めに押され、1988年11月9日にオウム真理教に出家します。

様々な場面で力を発揮する遠藤誠一に麻原彰晃は寵愛するようになる

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「愛のイニシエーション」については、出家後、麻原に与えられた自身の研究室にて出家前に培養した麻原のリンパ球からDNAを取り出し、それを大腸菌に入れることでDNAを増殖を成功させています。

また教団内部の食料等を統括するAFI(アストラル・フード・インスティチュート)の責任者を務め、ここでは健康食品「アストラル丹」、「ソーマ」、「サットヴァレモン」などの製造・販売し、教団の食料関係の資金稼ぎに貢献します。

教団の女性向け刊行誌である「えんじょい・はぴねす」では石井久子、中川智正とともにクッキングコーナー「健康を食べよう!」の調理実修も担当します。

他にも、麻原の主治医を務めたり、菊池尚子がいた教団の陸上競技部のコーチも兼任しています。

村井秀夫、中川智正とともに理系信者獲得のため教団の科学者として入信希望者の面談を受け持つこともありました。

このように、様々な職責を担い仕事をこなすことで、遠藤誠一は麻原彰晃の寵愛をものにしていきます。

麻原彰晃の四女の許嫁となる

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遠藤誠一は、麻原の寵愛をものにしたことにより、麻原4女・松本聡子の許婚とされ、将来的に麻原の義理の息子となることを確約されます。

選挙戦で真理党は惨敗し宗教の武装化が始まる

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1990年、政界進出を目論んだ教団はオウムの宗教政党である真理党を結成し、第39回衆議院議員総選挙に立候補する。

選挙戦では、麻原、出馬した24人の弟子全員が落選し、真理党は惨敗しました。

「オウム主宰の祭政一致国家の樹立」という大願を正政法では叶えられないと思い知った麻原は、教団進出のためなら人殺しも厭わない旨の殺人教義「ヴァジラヤーナ」を打ち立てて、教団武装化を認めます。

遠藤誠一は生物兵器開発に取り組むも失敗

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遠藤誠一は、教団武装化への方針転換によって大量殺戮のための生物兵器の開発をします。麻原からは、主にボツリヌス菌、炭疽菌、ペスト菌の培養を指示されうようになります。

しかし、遠藤はこれら全ての培養に失敗し、麻原の期待に応えることができませんでした。

失敗を挽回したいという思いから化学兵器開発に取り組む

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