2019年9月29日 更新

遠藤誠一とは?生い立ちやオウム真理教に心酔した理由とは

皆さんもオウム真理教の地下鉄サリン事件はご存じですよね。何故、ここまで遠藤誠一がオウム真理教に心酔していったのか、多くの芸能人が宗教に入信しているが本当に宗教は危険ではないのかなど、人間の心理を交えながら詳しくご紹介していきたいと思います。

目次

オウム真理教に心酔し人生が大きく変わった遠藤誠一

@foley_tell on Instagram: “業務終了。ツールも見たいがゴールまで間があるので読書。野望のはて、という表現が適切かは分からんが自分には一番しっくりくる。にしても社会に残した傷痕は大きい。自分とほぼ同世代の真の落ちこぼれたちが犯した犯罪。#オウム真理教 #オウム #麻原彰晃 #地下鉄サリン事件…” (655391)

皆さんは、1995年に起きた地下鉄サリン事件はご存じですよね。この事件で使用されたサリンを製造したのが、遠藤誠一です。

遠藤誠一は、京都大学大学院に進学するという高学歴の持ち主なのに中退し、オウム真理教に出家した遠藤誠一さん。そこから自身の才能をオウム真理教内で発揮し、犯罪に手を染めていき人生が大きく変わってしまいました。

今回は、遠藤誠一がなぜここまでオウム真理教に心酔し、犯罪に手を染めていったのか詳しく解説していきます。

遠藤誠一とは

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遠藤誠一が、オウム真理教に出家後どういう経緯で地位を確立していき、罪を犯し、裁判で判決が下っていったのか詳しくご説明したいと思います。

1987年3月オウム真理教入信

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遠藤誠一は、1986年に麻原彰晃の著作「超能力秘密の開発法」に出会い、神秘体験を経験します。その後、麻原彰晃への興味を深めると、オウム神仙の会(当時はヨガサークル)の大阪支部を訪ね、1987年3月に宗教団体という認識を持たずにオウム真理教へ入信しています。

1994年6月厚生省大臣に就任

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1994年6月に教団における独自の省庁制が発足すると、CMI・AFIの責任者であった遠藤誠一は、厚生労働大臣に任命されます。

地下鉄サリン事件の責任者を勤めたとして死刑判決が下る

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2002年2月12日、検察側より死刑が求刑されます。その最大の理由として、「松本サリン事件で多数の死傷者が出たことを知りながら、地下鉄サリン事件ではサリン生成の責任者を務めたこと」が強調されました。

さらに「自らの意思で積極的に教団の違法行為に関与したこと」「一連の犯行動機は教団内での昇進にあり、情状酌量の余地が全くないこと」「公判において虚偽の否認を続けたこと」が死刑求刑の要旨とされました。

2002年10月11日の第一審で死刑判決が下されます。

2007年5月31日の控訴審も第一審に続き死刑判決となります。

2011年11月21日、上告審である最高裁第1小法廷において上告棄却されます。同年12月12日に判決訂正申し立ての棄却決定し、死刑が確定します。

2018年7月死刑執行

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2018年7月6日に死刑が執行されました。遠藤誠一は58歳でした。

遺体はアレフに輸送され葬送

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死刑執行後、遠藤誠一の遺体は、アレフ・新保木間施設へ搬送され、オウムの宗教服であるワインレッドのクルタが着せられ、埼玉県内で火葬されました。

その後、遺骨は教団施設の専用の部屋に祀られ、9月に本人の意向に従い日本海に散骨されました。

遠藤誠一の生い立ち

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死刑判決が確定し昨年死刑が執行された遠藤誠一ですが、彼がどうな幼少期を送ってきたのか、オウム真理教に入信するまでの生い立ちについてご紹介したいと思います。

1960年6月北海道で誕生

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遠藤誠一は、1960年6月5日、北海道札幌市にて長男として生まれます。

母親は世界救世教の信者

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