目次
- オウム真理教の幹部が殺害された事件
- 村井秀夫の生い立ち
- 1958年12月5日大阪府吹田市に生まれる
- 内向的なSF少年だった
- 城みちるに似ていた
- 超能力に大きな興味を寄せていた
- 1972年友人兄が自殺する光景を目撃する
- 大阪大学理学部物理学科でX線天文学を専攻
- 神戸製鋼に入社
- 1985年森脇佳子と職場結婚
- 1987年会社に辞表を提出しオウム神仙の会に入信
- 1987年夫婦で出家する
- オウムの科学者の代表格として活動
- 1989年2月男性信者殺害事件に関与
- 1989年11月坂本堤弁護士一家殺害事件に関与
- 1990年東京8区から総選挙に出馬
- 1995年山口組系羽根組の構成員の徐裕行に刺され死亡
- 村井秀夫刺殺事件の概要
- 1995年4月23日に事件発生
- 多くのマスコミが溢れている中での犯行
- 村井は「ユダにやられた」と発言
- 多くのメディアで放映された
- 教団の広報・上祐史浩が会見を行う
- 4月24日死亡が確認される
- 逮捕されたのは山口組系羽根組の構成員の徐裕行
- 「若頭の指示で刺した」と供述
- 教団の広報・上祐史浩の主張
- 事件当時の主張
- 2000年の主張
- 2010年の主張
- 2013年の主張
- 村井秀夫刺殺事件の真相は?
- 教団による口封じ説
- 単独犯説
- 北朝鮮陰謀説
- 暴力団共謀説
- 複数の組織による共謀説
- 村井秀夫が殺されたのは「人工地震の言及」が原因だった?
- 人工地震とは
- 人工地震とは
- 阪神大震災について
- 放映されたテレビ番組
- 村井秀夫・天才エピソード
- IQ180だった?
- ヘッドギア
- ビラ配りマシーン
- 犯人・徐裕行の生い立ち
- 1965年群馬県で生まれ東京で育つ
- 1968年朝鮮籍から韓国籍へ変更
- 東京都立足立工業高等学校中退
- 多くの職種を経験する
- 1986年広告代理店アサに転職
- イベントダイヤルに移り代表取締役に就任
- 1991年特別永住権を取得する
- 1992年会社が倒産
- 1994年山口組系暴力団羽根組に近づき始める
- 事件発生までの犯人・徐裕行の行動
- オウム真理教の冗談を周囲に漏らす
- 4月21日家族と焼肉へ
- 4月22日牛刀を購入し羽根若頭と合流
- 4月23日村井秀夫刺殺事件を起こす
- 犯人・徐裕行のその後
- 供述内容
- 徐裕行に下された判決
- 2007年1月に出所
- 社会復帰後フィリピン人女性と結婚
- 2013年5月に上祐史浩と対談
- オウム真理教とは
- 日本の宗教団体
- 尊師・麻原彰晃
- 合法な宗教活動
- 非合法な宗教活動
- オウム真理教が起こした事件
- 後継教団
- オウム真理教が起こした事件は許されるものではない
オウム真理教の幹部が殺害された事件
via pixabay.com
2018年(平成30年)7月、2回に分けて計13人の死刑が執行されたことで、再び世間の注目を集めたオウム真理教。無差別テロであった、地下鉄サリン事件から約24年が経ち、事件やオウム真理教のことなどをよく知らないという世代も多いでしょう。
そんな地下鉄サリン事件から約1ヶ月後で、更に教祖、麻原彰晃こと松本智津夫が逮捕される約1か月前という絶妙なタイミングで、当時オウム真理教のNo.2と言われていた幹部の村井秀夫が刺殺される事件が起きました。多くの報道陣が見守る中、村井は在日韓国人によって刺殺されたのですが、これにより地下鉄サリン事件の詳しい経緯を知る者がこの世から消えてしまったのです。
彼が出演したテレビ番組での発言や、逮捕された犯人の目的なども怪しく、この事件の背後にある闇と疑惑は、今も多くの人が語り継いでいます。今回は、村井秀夫刺殺事件の概要と、犯人のその後などを含め、オウムの実態を紹介していきます。
そんな地下鉄サリン事件から約1ヶ月後で、更に教祖、麻原彰晃こと松本智津夫が逮捕される約1か月前という絶妙なタイミングで、当時オウム真理教のNo.2と言われていた幹部の村井秀夫が刺殺される事件が起きました。多くの報道陣が見守る中、村井は在日韓国人によって刺殺されたのですが、これにより地下鉄サリン事件の詳しい経緯を知る者がこの世から消えてしまったのです。
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村井秀夫の生い立ち
via pixabay.com
1991年(平成3年)頃、麻原彰晃はテレビなどのメディアに多く登場し、ビートたけしやとんねるずの番組などバラエティー番組にも出てきたことで、当時の子供達は「ショーコーショコー」と尊師マーチを歌い、オウム真理教をバカにしているような空気感がありました。
その一方で、家族を取られ被害を訴えていた人々もいたのですが、地下鉄サリン事件が起きるまで、世の中ではオウム真理教に対しての警戒心は少しも抱いていなかったのです。
傍目にはとても胡散臭い、麻原彰晃やオウム真理教でしたが、何故、村井秀夫を始め多くの若者達が取り込まれていったのでしょう。ここでは、のちにオウム真理教のNo.2となり刺殺された、村井秀夫の生い立ちを紹介します。
その一方で、家族を取られ被害を訴えていた人々もいたのですが、地下鉄サリン事件が起きるまで、世の中ではオウム真理教に対しての警戒心は少しも抱いていなかったのです。
傍目にはとても胡散臭い、麻原彰晃やオウム真理教でしたが、何故、村井秀夫を始め多くの若者達が取り込まれていったのでしょう。ここでは、のちにオウム真理教のNo.2となり刺殺された、村井秀夫の生い立ちを紹介します。
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1958年12月5日大阪府吹田市に生まれる
via pixabay.com
どんな極悪人も、のちに過ちを起こしてしまう犯罪者も、生まれてきた時は皆ただの赤ん坊です。家庭環境で変化してしまうのか、それとも生まれつき何か悪の芽を持ってきてしまうのかは分かりません。
村井秀夫も当然、ごく普通の無垢な赤ん坊として、この世に誕生しています。村井がこの世に誕生したのは、1958年(昭和33)12月5日(金)です。調べてみると、何の因果かその日は仏滅でした。
彼の家族のことや、幼少期の話などはほとんど資料が見当たりませんが、両親と兄のいる村井家に産まれます。実家は、大阪吹田市の住宅街にある、5階建てのアパートだと言われていますが、生まれた時からその家だったのかは不明です。
村井秀夫も当然、ごく普通の無垢な赤ん坊として、この世に誕生しています。村井がこの世に誕生したのは、1958年(昭和33)12月5日(金)です。調べてみると、何の因果かその日は仏滅でした。
彼の家族のことや、幼少期の話などはほとんど資料が見当たりませんが、両親と兄のいる村井家に産まれます。実家は、大阪吹田市の住宅街にある、5階建てのアパートだと言われていますが、生まれた時からその家だったのかは不明です。
内向的なSF少年だった
via pixabay.com
幼い頃の村井は、いつもニコニコしているような優しい子だったと言われています。運動は苦手で、プールでは震えるほど怖がっているような子だったそうです。
好きだったものは、テレビ映画の「スタートレック」で、中でも登場人物の1人である「ミスター・スポック」に夢中だったのです。星空を眺める事も好きだったことから、宇宙に興味があったのでしょう。
村井は、大人になってからもずっとSFが好きだったのは変わらず、大学時代は「火星年代記」という文庫を常にカバンに入れているほどのお気に入りだったと言われています。
好きだったものは、テレビ映画の「スタートレック」で、中でも登場人物の1人である「ミスター・スポック」に夢中だったのです。星空を眺める事も好きだったことから、宇宙に興味があったのでしょう。
村井は、大人になってからもずっとSFが好きだったのは変わらず、大学時代は「火星年代記」という文庫を常にカバンに入れているほどのお気に入りだったと言われています。
城みちるに似ていた
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城みちると言えば、「イルカに乗った少年」で一躍トップアイドルになった人です。彼は、1957年(昭和32年)生まれなので、村井秀夫と1つ違いなのです。
「イルカに乗った少年」でデビューしたのが、中学3年生15歳の時なので、同性代の村井は顔が似ていると言われ、当時のあだ名は「ジョー君」でした。
村井はアイドルのように派手な性格ではありませんし、イルカにも関係はありませんが、動物が大好きで、虫も殺せない程優しい性格だったのです。この頃将来の夢は、「動物の飼育員になる」と近所の人に話していたという証言もあります。
「イルカに乗った少年」でデビューしたのが、中学3年生15歳の時なので、同性代の村井は顔が似ていると言われ、当時のあだ名は「ジョー君」でした。
村井はアイドルのように派手な性格ではありませんし、イルカにも関係はありませんが、動物が大好きで、虫も殺せない程優しい性格だったのです。この頃将来の夢は、「動物の飼育員になる」と近所の人に話していたという証言もあります。
超能力に大きな興味を寄せていた
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村井秀夫は、超能力に興味を持つ少年時代を過ごしていますが、村井だけが特別だった訳ではありません。村井がジョー君と呼ばれていた頃の1973年(昭和48年)に、ノストラダムスの大予言がベストセラーになり、「あなたの知らない世界」が始まるなど、世間ではオカルトブームが到来していたのです。
ツチノコ、ネッシーなどのUMA系、ユリゲラーの超能力、口裂け女やコックリさんなどの怖い話など、テレビでは様々なオカルト番組を流していました。
村井が21歳になる1979年(昭和54年)には、オカルト雑誌「ムー」も登場し、70~80年代に子供時代を過ごしていた人達は、誰しもが不思議な話や怖い話に夢中になっていたのです。
ツチノコ、ネッシーなどのUMA系、ユリゲラーの超能力、口裂け女やコックリさんなどの怖い話など、テレビでは様々なオカルト番組を流していました。
村井が21歳になる1979年(昭和54年)には、オカルト雑誌「ムー」も登場し、70~80年代に子供時代を過ごしていた人達は、誰しもが不思議な話や怖い話に夢中になっていたのです。
via pixabay.com
この国は、戦後GHQ(コミンテルン)が仕掛けた、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」という政策により、日本人の無力化や自虐史観植え付け、更に日本人をこの世から消す為の人口統制至るまで、マスコミ、教育、政治など様々なものを使い、日本人が二度と団結して、立ち上がらないように洗脳していきました。
戦後70年程経って、最近はネットの登場で、少しずつその事実に気が付いてきた人も増えましたが、効果は今になって表れています。戦後から長い時間を掛けて、少子化や、禁煙、男女などの二元論で国民を分断、不安を煽り続けるなど、マスコミが空気を作り出してきたのです。
その仕掛けの1つとしてのオカルトブームがありました。更に昔からある宗教や新興宗教なども、人々を恐怖で脅しながら管理し、支配する為のツールなのです。ちなみに、のちに村井が入信するオウム真理教には、村井以外にもムーの読者が相当多いという共通点がありました。
戦後70年程経って、最近はネットの登場で、少しずつその事実に気が付いてきた人も増えましたが、効果は今になって表れています。戦後から長い時間を掛けて、少子化や、禁煙、男女などの二元論で国民を分断、不安を煽り続けるなど、マスコミが空気を作り出してきたのです。
その仕掛けの1つとしてのオカルトブームがありました。更に昔からある宗教や新興宗教なども、人々を恐怖で脅しながら管理し、支配する為のツールなのです。ちなみに、のちに村井が入信するオウム真理教には、村井以外にもムーの読者が相当多いという共通点がありました。
1972年友人兄が自殺する光景を目撃する
via pixabay.com
幼少期や子供時代、ある日突然「死」について考えたことがある人は多いでしょう。「人が死ぬとはどういうことか?」「死んだらどうなるのか?」など疑問が湧きあがり、怖くて眠れなくなったという経験をしたことは、誰しも1度はあるかもしれません。
特にオカルトブーム真っ最中に子供時代を過ごした人は、地獄や妖怪、お化けの存在を信じ、追い打ちを掛けるように、1999年(平成11年)世界は滅ぶというノストラダムスの予言があったのですから、死について考えた人は多いはずです。
村井は14歳になる1972年(昭和47年)に、トラックに飛び込んで自殺した、友人の兄の姿を目撃したというショッキングな経験をしています。思春期の多感な時期、顔見知りの若い人が自ら命を絶つ瞬間、村井は相当トラウマを残したのかもしれません。そしてやはり、その時から「死」について考えるようになったのではないでしょうか?
特にオカルトブーム真っ最中に子供時代を過ごした人は、地獄や妖怪、お化けの存在を信じ、追い打ちを掛けるように、1999年(平成11年)世界は滅ぶというノストラダムスの予言があったのですから、死について考えた人は多いはずです。
村井は14歳になる1972年(昭和47年)に、トラックに飛び込んで自殺した、友人の兄の姿を目撃したというショッキングな経験をしています。思春期の多感な時期、顔見知りの若い人が自ら命を絶つ瞬間、村井は相当トラウマを残したのかもしれません。そしてやはり、その時から「死」について考えるようになったのではないでしょうか?
大阪大学理学部物理学科でX線天文学を専攻
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高校時代の同級生や先生の証言によれば、村井秀夫は、とても数学が得意な生徒だったようです。時に、教師が難問の回答に詰まった際、村井が教師に回答の仕方を教えたという逸話も残されています。
そんな村井は、大阪大学理科研究科に入学し、その後大学院では宇宙物理を専攻し、天体のX線放射線の研究をしていました。研究の際に使う機器や、ソフトウェア開発などが得意で、様々なことに興味を持って熱心に研究をする学生だったようです。
物理以外にも、動物園巡りや、シャボン玉が割れる瞬間の撮影と機械製作、当時健康ブームで流行した紅茶キノコ作りにも没頭していたと言われていることから、好奇心旺盛な性格だったのでしょう。
そんな村井は、大阪大学理科研究科に入学し、その後大学院では宇宙物理を専攻し、天体のX線放射線の研究をしていました。研究の際に使う機器や、ソフトウェア開発などが得意で、様々なことに興味を持って熱心に研究をする学生だったようです。
物理以外にも、動物園巡りや、シャボン玉が割れる瞬間の撮影と機械製作、当時健康ブームで流行した紅茶キノコ作りにも没頭していたと言われていることから、好奇心旺盛な性格だったのでしょう。
神戸製鋼に入社
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