目次
- オウム真理教に心酔し人生が大きく変わった遠藤誠一
- 遠藤誠一とは
- 1987年3月オウム真理教入信
- 1994年6月厚生省大臣に就任
- 地下鉄サリン事件の責任者を勤めたとして死刑判決が下る
- 2018年7月死刑執行
- 遺体はアレフに輸送され葬送
- 遠藤誠一の生い立ち
- 1960年6月北海道で誕生
- 母親は世界救世教の信者
- 宗教は身近な存在だった
- 難聴を患っていた
- スポーツ好きで社交的な子ども
- 獣医を目指す
- 帯広畜産大学に進学し感銘を受ける
- 1986年獣医師の資格取得
- 京都大学大学院医学研究科博士課程に進学
- 研究に没頭する中で魂や精神世界に興味を持ち始める
- 遠藤誠一がオウム真理教に心酔した理由
- 1986年12月麻原彰晃が執筆した本に出会う
- 神秘体験を経験し麻原彰晃及びオウム真理教への興味を深める
- 1987年3月オウム真理教に入信
- 麻原彰晃の言葉に解放されたと感じ報いたい
- オウム真理教に心酔し研究室でも孤立していく
- 愛のイニシエーション開発に没頭するため出家
- 様々な場面で力を発揮する遠藤誠一に麻原彰晃は寵愛するようになる
- 麻原彰晃の四女の許嫁となる
- 選挙戦で真理党は惨敗し宗教の武装化が始まる
- 遠藤誠一は生物兵器開発に取り組むも失敗
- 失敗を挽回したいという思いから化学兵器開発に取り組む
- 麻原彰晃から寵愛を受けつつある土谷正実に敵対心を持つ
- 麻原の関心・立場を確立させたいという思いから犯罪行為もいとわなくなった
- 遠藤誠一が行った罪
- 生物兵器培養
- 化学兵器製造
- 違法薬物製造
- サリン散布予定場所の下見
- サリン散布当日は医療班として現場に同行
- 罪証隠滅工作
- 遠藤誠一の晩年
- 土谷正実と共に逮捕
- 裁判では反省する様子を見せる
- 弁護士の解任と共に態度を一変させる
- 死刑確定後は死刑に怯え続けた
- 四女と文通を続けた
- 宗教に入信していると噂の有名人
- 清水富美加(幸福の科学)
- 久本雅美(創価学会)
- 木村拓哉(日蓮正宗)
- 堂本光一(エホバの証人)
- 桑田佳祐(真如苑)
- コシノ3姉妹(イエス之御霊教会教団)
- 中島みゆき(天理教)
- なぜ人は宗教に心酔するのか
- 人の思想は変化しやすいもの
- 承認欲求
- 所属と愛の欲求
- 依存
- 宗教に関するトラブルは日常生活に溢れている
- 宗教間での批判合戦
- 戦争
- 政治
- 結婚
- 勧誘
- 差別や偏見
- 宗教は危険なものなのか
- 宗教の教えは危険なものではない
- それらを受け取る人間側の問題
- 宗教の教えや価値観を誤解し思い込むことの恐ろしさ
- 固執することによって他者・考えを否定する事がトラブルを引き起こす
- 自身に明確な根拠がなく「教え」だからという理由で行動してしまう危うさ
- 最も恐ろしい価値観は勧誘・否定が「善」であるという認識
- 善悪の判断は自身でつけなければならない
オウム真理教に心酔し人生が大きく変わった遠藤誠一
皆さんは、1995年に起きた地下鉄サリン事件はご存じですよね。この事件で使用されたサリンを製造したのが、遠藤誠一です。
遠藤誠一は、京都大学大学院に進学するという高学歴の持ち主なのに中退し、オウム真理教に出家した遠藤誠一さん。そこから自身の才能をオウム真理教内で発揮し、犯罪に手を染めていき人生が大きく変わってしまいました。
今回は、遠藤誠一がなぜここまでオウム真理教に心酔し、犯罪に手を染めていったのか詳しく解説していきます。
遠藤誠一は、京都大学大学院に進学するという高学歴の持ち主なのに中退し、オウム真理教に出家した遠藤誠一さん。そこから自身の才能をオウム真理教内で発揮し、犯罪に手を染めていき人生が大きく変わってしまいました。
今回は、遠藤誠一がなぜここまでオウム真理教に心酔し、犯罪に手を染めていったのか詳しく解説していきます。
オウムの村井の生い立ち!刺殺事件の真相や犯人のその後は? - POUCHS(ポーチス)
無差別テロと呼ばれる地下鉄サリン事件の後、オウム真理教のNo.2であった村井秀夫刺殺事件が起きました。当時から現在まで、村井は口封じされたのではないか?という疑惑が多く語られています。今回は、村井秀夫刺殺事件の真相や、犯人の正体とその後を紹介します。
遠藤誠一とは
遠藤誠一が、オウム真理教に出家後どういう経緯で地位を確立していき、罪を犯し、裁判で判決が下っていったのか詳しくご説明したいと思います。
1987年3月オウム真理教入信
遠藤誠一は、1986年に麻原彰晃の著作「超能力秘密の開発法」に出会い、神秘体験を経験します。その後、麻原彰晃への興味を深めると、オウム神仙の会(当時はヨガサークル)の大阪支部を訪ね、1987年3月に宗教団体という認識を持たずにオウム真理教へ入信しています。
1994年6月厚生省大臣に就任
1994年6月に教団における独自の省庁制が発足すると、CMI・AFIの責任者であった遠藤誠一は、厚生労働大臣に任命されます。
地下鉄サリン事件の責任者を勤めたとして死刑判決が下る
2002年2月12日、検察側より死刑が求刑されます。その最大の理由として、「松本サリン事件で多数の死傷者が出たことを知りながら、地下鉄サリン事件ではサリン生成の責任者を務めたこと」が強調されました。
さらに「自らの意思で積極的に教団の違法行為に関与したこと」「一連の犯行動機は教団内での昇進にあり、情状酌量の余地が全くないこと」「公判において虚偽の否認を続けたこと」が死刑求刑の要旨とされました。
2002年10月11日の第一審で死刑判決が下されます。
2007年5月31日の控訴審も第一審に続き死刑判決となります。
2011年11月21日、上告審である最高裁第1小法廷において上告棄却されます。同年12月12日に判決訂正申し立ての棄却決定し、死刑が確定します。
さらに「自らの意思で積極的に教団の違法行為に関与したこと」「一連の犯行動機は教団内での昇進にあり、情状酌量の余地が全くないこと」「公判において虚偽の否認を続けたこと」が死刑求刑の要旨とされました。
2002年10月11日の第一審で死刑判決が下されます。
2007年5月31日の控訴審も第一審に続き死刑判決となります。
2011年11月21日、上告審である最高裁第1小法廷において上告棄却されます。同年12月12日に判決訂正申し立ての棄却決定し、死刑が確定します。
2018年7月死刑執行
2018年7月6日に死刑が執行されました。遠藤誠一は58歳でした。
遺体はアレフに輸送され葬送
死刑執行後、遠藤誠一の遺体は、アレフ・新保木間施設へ搬送され、オウムの宗教服であるワインレッドのクルタが着せられ、埼玉県内で火葬されました。
その後、遺骨は教団施設の専用の部屋に祀られ、9月に本人の意向に従い日本海に散骨されました。
その後、遺骨は教団施設の専用の部屋に祀られ、9月に本人の意向に従い日本海に散骨されました。
遠藤誠一の生い立ち
死刑判決が確定し昨年死刑が執行された遠藤誠一ですが、彼がどうな幼少期を送ってきたのか、オウム真理教に入信するまでの生い立ちについてご紹介したいと思います。
1960年6月北海道で誕生
遠藤誠一は、1960年6月5日、北海道札幌市にて長男として生まれます。
母親は世界救世教の信者
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