目次
- リンゼイアンホーカーさん殺害事件とは?
- リンゼイアンホーカーさん殺害事件発覚時
- 2007年3月26日行方不明者宅を捜索
- 同日市橋達也宅へ向かう
- 市橋宅で遺体発見
- その後捜査員が発見するも犯人逃走
- 事件前の市橋達也について
- 医学部を目指し4浪
- 千葉大学園芸学部緑地環境学科へ入学
- 両親が所有するマンションで仕送りだけで生活
- 仕送りを止められそうになる
- 過去にも逮捕歴があった
- 市橋達也の性格は?
- 事件後の捜査
- 市橋達也を死体遺棄容疑で指名手配
- 警察犬投入で衣類を発見
- 捜査特別報奨金
- 手配ポスターでの呼びかけ
- 2008年イギリス紙で市橋達也の自殺記事が掲載される
- 市橋達也とリンゼイアンホーカーさんの関係
- 英会話学校「NOVA」
- 3月20日リンゼイさんから友人への電話
- 被害者宅へ押しかける
- 3月25日英会話レッスンの約束を交わす
- リンゼイアンホーカーさん殺害までの経緯
- 行徳駅前の喫茶店来店時の防犯カメラ
- タクシーで市橋達也の自宅へ向かう
- 自宅で被害者を拘束して暴行
- 被害者を監禁
- 逃亡を試みた被害者を殺害
- 死亡後にホームセンターへ向かう
- 被害者遺族の活動
- 駐日英国大使館において記者会見
- イギリスのマスコミと何度も訪日
- 専用サイトのネット販売
- 日本のマフィアやヤクザにも捜査依頼?!
- 市橋達也の逃亡生活
- 事件直後の所持品や着衣
- 障がい者用トイレで自己整形手術
- ほくろの切り落としと唇の切除
- 南方を避けて青森県まで北上
- 大阪市西成区へ移動
- 贖罪の意味を兼ねてお遍路を歩く
- オーハ島へ渡航
- オーハ島と大阪での住み込み労働で生活
- 眉間の整形手術
- オーハ島での生活
- 島での潜伏場所
- サバイバル術を勉強し自給自足の生活
- 市橋達也逮捕までの経緯
- 2009年美容形成外科からの通報
- 建設会社からの通報
- 警察官から職質される
- フェリー乗り場からの通報
- 2009年市橋達也の逮捕
- 殺人と強姦致死の罪
- 市橋達也の裁判について
- 殺人罪・強姦致死罪・死体遺棄罪
- 第一審
- 控訴審
- 弁護団の主張
- 無期懲役が確定
- 市橋達也の裁判での様子
- 市橋達也の現在の情報
- 報奨金を受け取ったのは?
- 事件後の影響
- 市橋達也のファンクラブ
- 市橋達也を雇っていた建設会社
- TBS社員の逮捕
- 裁判費用募金
- 中国でのデマ
- 「逮捕されるまで―空白の2年7カ月の記録」
- 逃亡中の手記を出版
- 印税は被害者遺族に
- 被害者遺族は受け取らず
- 手記を元にして製作された映画
- I am ICHIHASHI
- 映画を見た人のの感想
- 市橋達也の家族の現在
- 事件後は被害者遺族の訪日の費用を負担
- 母親がテレビの取材に応じる
- 医師の仕事を辞める
- 市橋達也の姉
- 日本で最も有名な犯人逃亡事件
自宅マンションに監禁を開始した翌日3月26日の2~3時頃に、拘束を解いてホーカーさんが逃亡しようとしたため、市橋受刑者はホーカーさんの頚部を圧迫して窒息死させました。
その後の司法解剖では、頸部は3分以上圧迫されたと診断されています。市橋受刑者はホーカーさんが完全に絶命するまで、頸部を強く圧迫したものと考えられています。
一人の身勝手な男の行動で、美しく若いイギリス人女性の人生のが強制的に終わらせられてしまいました。
その後の司法解剖では、頸部は3分以上圧迫されたと診断されています。市橋受刑者はホーカーさんが完全に絶命するまで、頸部を強く圧迫したものと考えられています。
一人の身勝手な男の行動で、美しく若いイギリス人女性の人生のが強制的に終わらせられてしまいました。
死亡後にホームセンターへ向かう
市橋受刑者はホーカーさんを殺害した後、近くのホームセンターで赤玉土56リットル、園芸土50リットル、シャベル1個、発酵促進脱臭剤2個、脱臭剤2個、苗木1本を購入しました。これはホーカーさんの遺体を遺棄するためのものです。
ホームセンターの外によく置いてある袋入りの土は1袋10~20L入りのものがほとんどですので、土だけでも5~10袋程度購入しています。かなりの大荷物ですので、部屋に運び込むのも一苦労だったことでしょう。
捜査員が自宅マンションに捜査に訪れる当日、ベランダに浴槽とホーカーさんの遺体を移動させて購入した土を投入、遺体を遺棄しました。
ホームセンターの外によく置いてある袋入りの土は1袋10~20L入りのものがほとんどですので、土だけでも5~10袋程度購入しています。かなりの大荷物ですので、部屋に運び込むのも一苦労だったことでしょう。
捜査員が自宅マンションに捜査に訪れる当日、ベランダに浴槽とホーカーさんの遺体を移動させて購入した土を投入、遺体を遺棄しました。
被害者遺族の活動
ホーカーさんの母国イギリスには、両親と二人の姉妹がいました。ホーカーさんが殺害されたという知らせを聞かされた衝撃は、想像を絶するものだったでしょう。
日本で娘が殺害され、警察がその犯人をまんまと取り逃がしたという異常事態にホーカーさんの家族も黙ってはいませんでした。
さまざまな活動を通し、警察に働きかけ、日本の社会全体に働きかけ、事件が風化されないように努めていました。遠いイギリスから、この島国に働きかけることは簡単なことではなかったでしょう。
日本で娘が殺害され、警察がその犯人をまんまと取り逃がしたという異常事態にホーカーさんの家族も黙ってはいませんでした。
さまざまな活動を通し、警察に働きかけ、日本の社会全体に働きかけ、事件が風化されないように努めていました。遠いイギリスから、この島国に働きかけることは簡単なことではなかったでしょう。
駐日英国大使館において記者会見
事件の起きた1週間後、駐日英国大使館で記者会見が開かれました。開いたのはグレアム・フライ駐日英大使で、ホーカーさんの父親のメッセージをマスコミを通して全国に伝えています。
「娘は日本を愛していた。日本の人々と知り合うことが大好きで、日本は信頼と敬意の上に築かれた尊敬すべき社会と考えていた」と日本の素晴らしさを強調したうえで、「犯人は逮捕されなければならない。警察が犯人を見つけだすための情報を持っている方はどうかご協力ください」と国民に情報提供を呼びかけました。
「娘は日本を愛していた。日本の人々と知り合うことが大好きで、日本は信頼と敬意の上に築かれた尊敬すべき社会と考えていた」と日本の素晴らしさを強調したうえで、「犯人は逮捕されなければならない。警察が犯人を見つけだすための情報を持っている方はどうかご協力ください」と国民に情報提供を呼びかけました。
イギリスのマスコミと何度も訪日
ホーカーさん一家は、イギリスのマスコミと一緒に何度も訪日しています。事件現場となった市橋受刑者のマンションに慰霊に通ったり、駅での指名手配ビラの配布を行い市橋受刑者の逮捕へ協力を訴え続けました。
またマスコミがいない単独訪日も何度も行いました。時間の経過とともに、市橋受刑者が見つからないことに腹立たしさや不安をおぼえたことでしょう。娘を亡くした国に何度も来なければならなかったことも、辛かったに違いありません。
またマスコミがいない単独訪日も何度も行いました。時間の経過とともに、市橋受刑者が見つからないことに腹立たしさや不安をおぼえたことでしょう。娘を亡くした国に何度も来なければならなかったことも、辛かったに違いありません。
専用サイトのネット販売
2007年6月27日には専用サイトを立ち上げ、市橋受刑者の顔を印刷したTシャツをネットで販売を開始しました。これは決してお金儲けが目的ではなく、事件を風化させないための活動の一つです。
種類は25種で、一枚1800円~3000円で販売されました。専用サイトは英語だったので販売対象はイギリス国内だったのかもしれませんが、デザインは日本語で「捕まるまで眠れない」とメッセージが入ったものもあります。これはホーカーさんの両親の気持ちを表しているのでしょう。
種類は25種で、一枚1800円~3000円で販売されました。専用サイトは英語だったので販売対象はイギリス国内だったのかもしれませんが、デザインは日本語で「捕まるまで眠れない」とメッセージが入ったものもあります。これはホーカーさんの両親の気持ちを表しているのでしょう。
日本のマフィアやヤクザにも捜査依頼?!
イギリスのメディア『Mail Online』は、ホーカーさんの父親が日本のマフィア、つまりヤクザに接触して、市橋受刑者探しを依頼していたと報道しました。
これはイギリスのマスコミが帯同して訪日した際に、あるバーでホーカーさんの父親がヤクザ8人と接触し依頼したというものです。この依頼により渋谷で市橋受刑者のビラを配布することができたと伝えられています。
この報道の真偽はわかっていませんが、日本の警察がなかなか市橋受刑者の逮捕に至っていなかったため、あらゆる方面の協力を得たいという父親の心境は十分理解できます。
これはイギリスのマスコミが帯同して訪日した際に、あるバーでホーカーさんの父親がヤクザ8人と接触し依頼したというものです。この依頼により渋谷で市橋受刑者のビラを配布することができたと伝えられています。
この報道の真偽はわかっていませんが、日本の警察がなかなか市橋受刑者の逮捕に至っていなかったため、あらゆる方面の協力を得たいという父親の心境は十分理解できます。
市橋達也の逃亡生活
ホーカーさんを殺害後、遺体を遺棄して間もなく自宅マンションに捜査の手が伸びた市橋受刑者は、逃亡の準備はほとんどできていなかったと推測されます。それを裏付けるように、逃亡時は靴も履いていません。
急に始まった逃亡劇ではありましたが、その後2年7ヶ月という長期にわたって市橋受刑者は逃亡を続けています。その逃亡生活がどのようなものだったのでしょうか。常人では考えられない数々の出来事を、市橋受刑者は実行しています。
急に始まった逃亡劇ではありましたが、その後2年7ヶ月という長期にわたって市橋受刑者は逃亡を続けています。その逃亡生活がどのようなものだったのでしょうか。常人では考えられない数々の出来事を、市橋受刑者は実行しています。
事件直後の所持品や着衣
市橋受刑者は自宅で捜査員から逃亡した直後に靴と靴下、上着を紛失しています。裸足で逃走したため、足はケガをし血だらけになりました。
しかし都合よく、ゴミ捨て場からサンダルと上着を手に入れることができたようです。このとき所持金は5万円程度だったと言われています。
車を持っているする当時交際中だった女性に公衆電話から連絡を取って一緒に逃げることを頼もうとしましたが、女性が通話中だったために単独で逃亡しました。
しかし都合よく、ゴミ捨て場からサンダルと上着を手に入れることができたようです。このとき所持金は5万円程度だったと言われています。
車を持っているする当時交際中だった女性に公衆電話から連絡を取って一緒に逃げることを頼もうとしましたが、女性が通話中だったために単独で逃亡しました。
障がい者用トイレで自己整形手術
警察に追われる身となったことに恐怖心を抱いた市橋受刑者は、逃げ切るためには顔を変えなければいけないと思い至ります。そこで東京大学医学部附属病院の障がい者用トイレに侵入しました。
信じがたいことですが、侵入する前にコンビニで購入した裁縫セットを使って、自分で整形手術を行ったのです。行った手術は鼻翼を左右から縫い縮めるもので、小鼻が小さくなり、逃亡初日にして人相が少し変化しました。
これを無麻酔で、自分で行っているのですから驚異的な忍耐力です。しかも公共のトイレを使用しているため、ほとんど声も出していないのではないでしょうか。
信じがたいことですが、侵入する前にコンビニで購入した裁縫セットを使って、自分で整形手術を行ったのです。行った手術は鼻翼を左右から縫い縮めるもので、小鼻が小さくなり、逃亡初日にして人相が少し変化しました。
これを無麻酔で、自分で行っているのですから驚異的な忍耐力です。しかも公共のトイレを使用しているため、ほとんど声も出していないのではないでしょうか。
ほくろの切り落としと唇の切除
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