2019年9月8日 更新

リンゼイアンホーカーさん殺害事件の詳細!市橋達也の逃亡劇

市橋達也という名前に聞き覚えはあるでしょうか。マスコミが当時、連日繰り返し報道していた大きな殺人事件の犯人です。現代社会で殺人事件は年間900件以上起こっています。その中でなぜこの事件がここまで大きく報道されたのでしょうか。詳しく解説していきます。

目次

逃亡当初5万円ほどあった所持金も、日数がたつにつれて底をついてきます。今後も逃亡を続けるには資金が必要、金を手にするためには働く以外方法はない、と市橋受刑者は考えました。

しかし全国指名手配をされている市橋受刑者の顔は、世間に知れ渡っています。そのまま働こうとすれば、すぐに逮捕されてしまうでしょう。

市橋受刑者は再び自己整形手術を行います。今度は左頬のほくろ2つをカッターでそぎ落とし、分厚い下唇をハサミで切り落としました。

こちらも無麻酔で行っていますので、痛みは相当なものだったに違いありません。逃亡への執念がうかがい知れます。

南方を避けて青森県まで北上

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市橋受刑者は千葉から東京に移動し、東京を出た後は埼玉、群馬、茨城などの北関東周辺を放浪しました。移動はすべて電車と徒歩によるもので、逃走資金を節約するために無賃乗車を繰り返していました。

熱海を経て静岡県の駿河湾付近まで南下した後に、市橋受刑者は青森県まで北上します。なぜなら事件前、福岡の知人に近々遊びに行く旨のメールを送っていたため、南下すると警察に逃亡先を予測される危険性があると考えたのです。

大阪市西成区へ移動

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新潟を経由して青森まで北上した市橋受刑者でしたが、青森駅前公園で1週間ほど野宿している間に、青森が不景気であることを察知しました。青森で職を探すことは難しいと判断したようです。

そこで働いて収入を得るために、景気の良い大阪市西成区に移動をしました。市橋受刑者はこの大阪で初めて自分の手配書を見たということです。

公共職業安定所を訪れたものの、手配書を見たことで大阪でも働くことはできないと思ったのか、すぐに岡山県を経由して四国に移動しました。

贖罪の意味を兼ねてお遍路を歩く

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四国に入った市橋受刑者は、香川県高松市から徒歩で徳島県へ、続いて高知県、愛媛県とお遍路を歩きました。これには贖罪の意味があったとされています。

お遍路の先々にも、自分の手配書が貼られているのを確認し、逮捕されるのは時間の問題だと考え無人島での生活を検討し始めます。このとき贖罪の意思はあっても、出頭する意思のなかったのでしょう。

無人島について調べ、沖縄県のオーハ島を選んだ市橋受刑者は、贖罪であったお遍路を途中でやめ、フェリーで別府港に移動し、鹿児島県を経由して沖縄に渡りました。

オーハ島へ渡航

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沖縄県の島尻郡久米島町のオーハ島へ渡った市橋受刑者ですが、島での生活はうまくいきませんでした。魚を食べようとしても簡単には釣れず、飲み水の確保もままなりません。海岸近くの岩場に生活の場を持ちましたが、雨風を凌ぐことは難しかったようです。

過酷な生活を1週間続けたものの、脱水症状が現れ、空腹に耐えられなくなった市橋受刑者は、沖縄本島の建設現場で偽名で働き始めました。建設現場で逃亡資金を稼ぎ、再びオーハ島へ渡るという生活に変化していきます。

オーハ島と大阪での住み込み労働で生活

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2007年6月市橋受刑者は再び大阪に移動しました。生活の拠点はオーハ島に置きながら、大阪での住み込み労働を繰り返す生活スタイルを確立します。住み込みでの仕事は解体現場や建設現場など、日当払いのものを選びました。

住み込みでの労働は生活費を差し引いて1日7000円程度の収入となり、市橋受刑者は月に25万円ほど稼いでいます。勤務態度は良かったようですが、警察の気配を少しでも感じると寮に所持品を残したまま逃げ出すこともありました。

眉間の整形手術

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大阪の住み込み労働で貯めたお金で、2008年10月に名古屋の形成外科に入院、鼻の形成手術を受けました。小鼻を小さくし、鼻を高くしたようです。

更に2009年11月には、名古屋の別の病院で眉間を高くする手術を行っています。これらの手術はそれぞれ高額な手術費用が掛かっていますが、市橋受刑者は労働で稼いだ資金で整形を繰り返し、人相を変えていきます。

逃亡が長くなるにつれて、逮捕される恐怖心も強くなっていったに違いありません。その恐怖心を払拭するために整形を行っていたのでしょう。

オーハ島での生活

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市橋受刑者は2年7ヶ月の逃亡中、沖縄県島尻郡久米島町のオーハ島を4回訪れています。最初の滞在はわずか1週間で断念していますが、最長で3ヶ月ほど滞在しているのが確認されています。

オーハ島はダイビングや海水浴の場所としては人気でしたが、居住していたのは老人ひとりでしたので、潜伏先としては適当でしたがその分生活をするための設備はなく、かなり過酷な生活だったことがうかがえます。

市橋受刑者はこのオーハ島でどのように命をつないでいたのでしょうか。

島での潜伏場所

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オーハ島の初回滞在時は、海岸近くの岩場に潜伏していたようです。しかし動物や虫などの攻撃に耐えられず、2回目の滞在からは同じく海岸近くにもともとあったコンクリート造りの小屋に潜伏するようになりました。

もとから存在する建築物に潜伏することは、野宿よりも人に見つかるリスクが上がります。しかしやむなくそのリスクを冒してまで潜伏場所を変更せざるをえないほど、最初の潜伏先は過酷な環境下にあったということでしょう。

サバイバル術を勉強し自給自足の生活

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1回目の潜伏は、何の準備もないまま島に入ったため、食料や水の確保ができず、1週間たった時にはひどい空腹と脱水状態で、島での生活が諦めたようです。

2回目以降の潜伏はサバイバルについて図書館で勉強し、魚やヤシガニを食べたり、野菜を栽培するなどの自給自足の生活を送るようになりました。飲み水は近くの島に泳いで渡り、1週間分の飲料水をペットボトルに入れて確保したようです。

時には蛇を食べるなど、都市部で不自由なく育ったとは思えないほど過酷なサバイバル生活を送っていました。身体能力の高さもさることながら、サバイバル能力も高かったことがわかります。

市橋達也逮捕までの経緯

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