2019年9月8日 更新

リンゼイアンホーカーさん殺害事件の詳細!市橋達也の逃亡劇

市橋達也という名前に聞き覚えはあるでしょうか。マスコミが当時、連日繰り返し報道していた大きな殺人事件の犯人です。現代社会で殺人事件は年間900件以上起こっています。その中でなぜこの事件がここまで大きく報道されたのでしょうか。詳しく解説していきます。

目次

自宅マンションに監禁を開始した翌日3月26日の2~3時頃に、拘束を解いてホーカーさんが逃亡しようとしたため、市橋受刑者はホーカーさんの頚部を圧迫して窒息死させました。

その後の司法解剖では、頸部は3分以上圧迫されたと診断されています。市橋受刑者はホーカーさんが完全に絶命するまで、頸部を強く圧迫したものと考えられています。

一人の身勝手な男の行動で、美しく若いイギリス人女性の人生のが強制的に終わらせられてしまいました。

死亡後にホームセンターへ向かう

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市橋受刑者はホーカーさんを殺害した後、近くのホームセンターで赤玉土56リットル、園芸土50リットル、シャベル1個、発酵促進脱臭剤2個、脱臭剤2個、苗木1本を購入しました。これはホーカーさんの遺体を遺棄するためのものです。

ホームセンターの外によく置いてある袋入りの土は1袋10~20L入りのものがほとんどですので、土だけでも5~10袋程度購入しています。かなりの大荷物ですので、部屋に運び込むのも一苦労だったことでしょう。

捜査員が自宅マンションに捜査に訪れる当日、ベランダに浴槽とホーカーさんの遺体を移動させて購入した土を投入、遺体を遺棄しました。

被害者遺族の活動

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ホーカーさんの母国イギリスには、両親と二人の姉妹がいました。ホーカーさんが殺害されたという知らせを聞かされた衝撃は、想像を絶するものだったでしょう。

日本で娘が殺害され、警察がその犯人をまんまと取り逃がしたという異常事態にホーカーさんの家族も黙ってはいませんでした。

さまざまな活動を通し、警察に働きかけ、日本の社会全体に働きかけ、事件が風化されないように努めていました。遠いイギリスから、この島国に働きかけることは簡単なことではなかったでしょう。

駐日英国大使館において記者会見

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事件の起きた1週間後、駐日英国大使館で記者会見が開かれました。開いたのはグレアム・フライ駐日英大使で、ホーカーさんの父親のメッセージをマスコミを通して全国に伝えています。

「娘は日本を愛していた。日本の人々と知り合うことが大好きで、日本は信頼と敬意の上に築かれた尊敬すべき社会と考えていた」と日本の素晴らしさを強調したうえで、「犯人は逮捕されなければならない。警察が犯人を見つけだすための情報を持っている方はどうかご協力ください」と国民に情報提供を呼びかけました。

イギリスのマスコミと何度も訪日

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ホーカーさん一家は、イギリスのマスコミと一緒に何度も訪日しています。事件現場となった市橋受刑者のマンションに慰霊に通ったり、駅での指名手配ビラの配布を行い市橋受刑者の逮捕へ協力を訴え続けました。

またマスコミがいない単独訪日も何度も行いました。時間の経過とともに、市橋受刑者が見つからないことに腹立たしさや不安をおぼえたことでしょう。娘を亡くした国に何度も来なければならなかったことも、辛かったに違いありません。

専用サイトのネット販売

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2007年6月27日には専用サイトを立ち上げ、市橋受刑者の顔を印刷したTシャツをネットで販売を開始しました。これは決してお金儲けが目的ではなく、事件を風化させないための活動の一つです。

種類は25種で、一枚1800円~3000円で販売されました。専用サイトは英語だったので販売対象はイギリス国内だったのかもしれませんが、デザインは日本語で「捕まるまで眠れない」とメッセージが入ったものもあります。これはホーカーさんの両親の気持ちを表しているのでしょう。

日本のマフィアやヤクザにも捜査依頼?!

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イギリスのメディア『Mail Online』は、ホーカーさんの父親が日本のマフィア、つまりヤクザに接触して、市橋受刑者探しを依頼していたと報道しました。

これはイギリスのマスコミが帯同して訪日した際に、あるバーでホーカーさんの父親がヤクザ8人と接触し依頼したというものです。この依頼により渋谷で市橋受刑者のビラを配布することができたと伝えられています。

この報道の真偽はわかっていませんが、日本の警察がなかなか市橋受刑者の逮捕に至っていなかったため、あらゆる方面の協力を得たいという父親の心境は十分理解できます。

市橋達也の逃亡生活

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ホーカーさんを殺害後、遺体を遺棄して間もなく自宅マンションに捜査の手が伸びた市橋受刑者は、逃亡の準備はほとんどできていなかったと推測されます。それを裏付けるように、逃亡時は靴も履いていません。

急に始まった逃亡劇ではありましたが、その後2年7ヶ月という長期にわたって市橋受刑者は逃亡を続けています。その逃亡生活がどのようなものだったのでしょうか。常人では考えられない数々の出来事を、市橋受刑者は実行しています。

事件直後の所持品や着衣

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市橋受刑者は自宅で捜査員から逃亡した直後に靴と靴下、上着を紛失しています。裸足で逃走したため、足はケガをし血だらけになりました。

しかし都合よく、ゴミ捨て場からサンダルと上着を手に入れることができたようです。このとき所持金は5万円程度だったと言われています。

車を持っているする当時交際中だった女性に公衆電話から連絡を取って一緒に逃げることを頼もうとしましたが、女性が通話中だったために単独で逃亡しました。

障がい者用トイレで自己整形手術

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警察に追われる身となったことに恐怖心を抱いた市橋受刑者は、逃げ切るためには顔を変えなければいけないと思い至ります。そこで東京大学医学部附属病院の障がい者用トイレに侵入しました。

信じがたいことですが、侵入する前にコンビニで購入した裁縫セットを使って、自分で整形手術を行ったのです。行った手術は鼻翼を左右から縫い縮めるもので、小鼻が小さくなり、逃亡初日にして人相が少し変化しました。

これを無麻酔で、自分で行っているのですから驚異的な忍耐力です。しかも公共のトイレを使用しているため、ほとんど声も出していないのではないでしょうか。

ほくろの切り落としと唇の切除

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