2019年5月24日 更新

新潟少女監禁事件の概要とは?犯人佐藤宣行の生い立ちやその後と被害者との関係

ミレニアムイヤーと世の中が浮かれて迎えた2000年(平成12年)の1月末、とあることがきっかけで発覚した新潟少女監禁事件を御存じですか?実は事件の犯人である佐藤宣行は、すでに出所しているのです。今回は、新潟少女監禁事件の被害者や犯人のその後などを解説します。

Horses Racing Jockey - Free photo on Pixabay (294303)

暴行虐待を続けておきながら、佐藤は少女を話し相手として、「子供のままでいないように」という理由から、マンガや新聞を与え、時事ネタなどを話し合えるように知識を与えていました。

特に自分の趣味である競馬や、F1については詳しく教えていたようです。その他にも、算数や比例式などを教えたと佐藤は供述しており、そのようなことから監禁された時に9歳だった少女も、保護された19歳の時に目立った知力の低下は見られず、知識量や語彙力もあまり遅れはありませんでした。

しかし、少女の成長にとっては、多少の役に立てた行為とは言っても、佐藤が誘拐監禁した行動は全く許されるものではありません。

佐藤宣行は少女のことを「友達」と思っていた

Siblings Brother Sister - Free photo on Pixabay (294316)

逮捕されてからの佐藤の供述で、彼の異常な考えがどんどん発覚していきました。誘拐監禁した上、散々暴行を働いて言うことを聞かせていたのにも係わらず、佐藤は少女のことを友達だと思っていたのです。

更に、自分の方が19歳も年上ということを忘れ、同じ年頃の友達と思っていたというのですから驚きます。佐藤の中では、誘拐してきた少女は、同じ年頃の自分が好きな異性の話相手と思っており、ずっと一緒に暮らしたかったと供述していたのです。

もっと驚くのは、暴力と恐怖で支配しておきながら、少女とうまくやれていたと言っていたことです。逮捕され、初めて少女に恨まれていたことを知ったと言う佐藤宣行。相手の気持ちを汲むことが出来ないというのは、とても恐ろしいことですね。

事件発覚の経緯

Press Camera The Crowd - Free photo on Pixabay (294331)

新潟少女監禁事件は、偶然から発覚したと冒頭でも述べていますが、もう少し詳しく説明していきましょう。事件発覚のきっかけを作ったのは、佐藤宣行の母親の決断です。

しかし、少女にしてみれば、もっと早くその決断をして欲しかったでしょう。ここでは、事件発覚の経緯を説明していきます。

母親への暴力がエスカレート

Violent Woman Man - Free photo on Pixabay (294348)

佐藤宣行が少女を誘拐して一年程過ぎ、母親が64歳になった頃に宣行はスタンガンを手に入れました。少女を匿っている後ろめたさや、ストレスなど何かしらの理由はあったのかもしれませんが、少女への暴行の他に母親にも暴力を振るうように変化していきます。

最初の頃は、窓ガラスを割ったり家の中を破壊する行為だけでしたが、徐々に母親に手を上げるようになり、殴る蹴るの暴力から、最終的にはスタンガンを使っての暴行を与えるようになっていました。

そのような家庭内暴力を10年近く受け続けていた母親も、事件発覚の1年前、1999年(平成11年)には、母もすでに73歳と老い、我慢の限界に来ていた母はその年の12月に精神科へと相談しに行くことになるのです。始めは医師も息子を連れて来なさいと言うのですが、もちろん佐藤は拒否。しかし医師は母親の様子から、強制入院させることを決めたのです。

医療保護入院の決定から発覚

Door Bad Luck 13 - Free photo on Pixabay (294360)

息子が監禁生活を始めて6年程経った、1996年(平成8年)に、母親は柏崎署に相談するも対応してもらえず、保健所に息子のことを相談しています。その時は、息子が暴れることを理由に家庭訪問は断りつつ、精神科にて向精神薬を処方してもらい、息子に服用させていました。そして、いよいよ暴力に耐えきれなくなった母が、再び精神科にて相談。

担当医師も、状況の酷さを案じて医療保護入院を母親に提案したのです。さすがの母親も、これに同意したので、事件発覚の9日前に一度息子に面会を求めましたが、やはり宣行は拒否してしまいます。その後、保健所や精神科医、市職員などで状況を話し合い、2000年(平成12年)1月28日(金)の午後1時半頃、医師などの関係者7名で、宣行を保護しに部屋へと乗り込みました。

宣行は当然暴れ、ここで柏崎署に応援を求めましたが来ず、医師たちは鎮静剤を討ち宣行が眠るまで、格闘していたのです。その間も、関係者達は毛布が微妙に動いていることに気づいており、宣行が静まってから毛布をハサミで切ったところ、見知らぬ少女が出てきて発覚したのです。

佐藤宣行と両親の関係

Boy Parents Walking Railroad - Free photo on Pixabay (294373)

佐藤宣行の異常性は、幼少期の人格形成が原因ですが、その根本となる両親との関係はどうだったのでしょうか?親も人間ですから、子供が思っている程完璧な大人ではないということは、自分が大人になってから初めて分かることです。

しかし、幼い頃の子供にとって、それなりの愛情と躾はとても重要なのです。親は未熟ながらでも、子供と成長していけるように子育ては気を付けていく必要がありますね。

詳しい話は、この後の生い立ちでも述べますが、佐藤宣行が犯した罪の一端を担っているのは、確実に両親だったと言っても過言ではありません。ここでは、佐藤宣行と両親の関係を紹介します。

父親は既に他界している

Candle Light Candlelight - Free photo on Pixabay (294383)

冒頭でも述べましたが、佐藤宣行の父親は宣行が誘拐事件を起こす前の年、1989年(平成元年)に90歳前後で亡くなっています。

この父は、宣行が小学校に入った頃から息子に嫌われるようになった上に、高齢になってから家を追い出され、その後息子に逢うことも無くこの世を去りました。

父親がもう少し厳しく躾を出来ていたのであれば、宣行の性格がここまで歪むことは無かったのではないかと、考えずにはいられません。

母親も佐藤宣行を溺愛

Mother And Son Silhouette Motherly - Free image on Pixabay (294388)

両親の溺愛っぷりは、この後の生い立ちで詳しく書きますが、母親は宣行のことを大人になってからも、「ボクちゃん」と呼んでいました。

宣行が大人になってからも、母親は競馬の送り迎えをしては、レースが終わるまで一緒に待つちょっとした有名人で、競馬新聞やアイドルのレコードなどのお使いもさせられていたのです。

母親は10年以上2階に上がっていない

Apartment Accommodation Flat - Free photo on Pixabay (294400)

同じ家にいながら、誘拐監禁されていた少女を発見した時、母親はその子の存在を全く知りませんでした。当初は、知っていて息子を庇っているのではないかと疑いを掛けられていましたが、その後の検証で無関係だったことが判明し、立件は見送られました。

母親の供述から、10年以上階段も登ったことが無いということで指紋を確認したところ、宣行の部屋や階段などからも全く発見されず、監禁されていた少女も「母親がいたことを全く知らなかった」と証言していることで、母は事件に関与していないことが分かったのです。

佐藤宣行の生い立ち

Away Bridge Wood - Free photo on Pixabay (294883)

人は生まれた時から性格が悪いのか、それとも幼少期からの育ちなのかは分かりません。生まれながらのサイコパスも、中にはいるのでしょうが、何かしらの犯罪を起こす人は、両親との関係が上手く行っていないことが多いです。

佐藤宣行は、確実に両親の取った行動が、彼を歪ませてしまった原因を生み出しています。子育て中のお父さん、お母さんも他人事ではありません。自分が加害者の親にならないように、参考にしつつ佐藤宣行の生い立ちを追っていきましょう。

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