2019年5月24日 更新

新潟少女監禁事件の概要とは?犯人佐藤宣行の生い立ちやその後と被害者との関係

ミレニアムイヤーと世の中が浮かれて迎えた2000年(平成12年)の1月末、とあることがきっかけで発覚した新潟少女監禁事件を御存じですか?実は事件の犯人である佐藤宣行は、すでに出所しているのです。今回は、新潟少女監禁事件の被害者や犯人のその後などを解説します。

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「あの時こうしていれば…」という、新潟県警の不備はその他にもあります。そもそも、前歴者リストに佐藤宣行の犯歴を載せなかったことから始まっていますが、少女が行方不明になってから6年程経った1996年(平成8年)1月19日(金)、実は佐藤の母親が息子の家庭内暴力について、柏崎署に相談に行っているのです。

この時も、「家庭内暴力の話は保健所に言って」と相手にされず、柏崎署は相談簿も取っていませんでした。最初の犯歴に佐藤がきちんと載り、母親の相談簿も残されていたなら、もう少しだけ早く佐藤が浮かび上がってきたかもしれません。

この原因と同時に、房子ちゃんが行方不明になった翌年、三条署のとある警察官が普段から女性に対する問題を起こしていたことで、犯人はこいつではないか?と疑われていました。しかし、身内の犯行かもしれないということで、捜査自体も手を緩めたと言われています。

事件発覚した当初の対応

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少女が発見され、新潟少女監禁事件が発覚した時から、新潟県警は嘘の発表をしたり、そもそも最初は駆け付けもしませんでした。これだけでも、何を考えているのか分かりませんが、事件発覚した当日に県警本部長は、東京から来ていた警察庁特別監察チームのトップ、関東管区警察局長の接待の為に、新潟県三田村にあるホテルに泊まっていました。

ホテルに移動中に、少女発見の報告を受けていたのにも係わらず、そのままホテルで宴会をしていた本部長は、心配して帰った方がいいという局長に取り合わず、その場で指示だけしていたのです。

宴会中も報告の連絡がどんどんくる中、本部長達は図書券を掛けた麻雀をし、ゆっくり一泊して、翌日は局長を観光に連れて行っています。結局、本部長は予定通りに接待を済ませ、署にも戻らずに家に帰ったという呑気さでした。

本部長と局長は退職

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これらの新潟県警の一連の不祥事は、当初知られていませんでしたが、最初に虚偽の報告をしたことに保健所所長が異を唱えたことから、続々と発覚していきます。最終的には国会でもこの不祥事を取り上げられて、ようやく警察庁が新潟に検証チームを派遣したのが、事件から23日後の2月20日(日)になってからです。

検証チームが出した緊急調査結果を受けて、5日後の25日(金)になってから本部長が記者会見にて謝罪したのですが、記者会見場では辞職を口にしていませんでした。しかし、接待掛け麻雀が警察庁長官に知られてしまい、記者会見後に本部長と局長は辞職を申し入れて、本部長は2月29日(火)付けで依願退職することになりました。

局長の方は始め、処分はされませんでした。そのことで、再び世間の反発を買って、本部長も局長も結局は依願退職した上で、退職金も辞退する羽目になったのです。

少女と加害者の生活

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新潟少女監禁事件の概要をある程度知ったところで、長い監禁生活の間、誘拐された少女と犯人がどのような生活をしていたのか気になる人も多いでしょう。

ここでは、佐藤宣行の異常な行動と、少女がどうして逃げられなかったのかに焦点を当て、9年2ケ月にも及ぶ監禁生活を詳しく解説していきます。

下校時にナイフを突きつけ誘拐

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1990年(平成2年)11月13日(火)の夕方5時頃に、佐藤宣行は新潟県柏崎市から、同県の三条市まで車でたどり着いていました。目的は少女を物色していたのか、はたまた単なるドライブだったのかは分かりません。しかし、柏崎市から三条市までは50km以上もあるので、最初から房子ちゃんを狙っていた訳では無かったのです。

学校帰りだった房子ちゃんは、一人農道を歩いているところで、不運なことに佐藤の目に留まってしまいました。房子ちゃんを見た佐藤は、「可愛い、そして周りに誰もいない」と思った途端、行動を開始します。房子ちゃんの前に現れた佐藤は、護身用に持ち歩いていたという、刃渡り14cmのサバイバルナイフを房子ちゃんに突き付けて脅し、トランクに押し込んで柏崎市の自宅に戻ったのです。

移動の途中、房子ちゃんに近所の様子などを知られたりすることや、暴れたり騒がれないように、佐藤は粘着テープで房子ちゃんの手足を拘束し、目隠しもして再び自宅へと向かいました。その時、「お家に帰れるの?」と聞いた少女に対して、佐藤は「ダメだ、俺と暮らすんだ」と言いトランクに閉じ込めました。

繰り返される暴行

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自宅に連れ込んでからの佐藤は、少女に対して数々の罵声や暴行を行いました。少女の居場所は、佐藤のセミダブルベッドの上のみ。最初の数か月は、手足を拘束されたままでした。

佐藤が部屋を出る時や寝る時は、毛布から髪の毛すら出してはいけないことを強要し、泣く、声を出す、ベッドから降りる、そして毛布から出ていたりすることを禁止したのです。

それを破ると、ナイフで脅して罵声を浴びせられたり、何度も顔を殴られたりしました。監禁から1年目以降は、スタンガンも使っての暴行が繰り返されていたのです。

衛生的ではない生活

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佐藤は極端な潔癖症だったわりに、少女は9年2ケ月もの間、シャワーに入ったのはたった1度だけでした。母親に内緒で誘拐監禁しているので、確かに部屋から自由に出す環境ではありませんが、佐藤は少女に対して汚いとは思わなかったのでしょうか?

佐藤は自室のベッドの上だけが聖域と信じており、一度だけ少女がベッドの下に落ちて埃まみれになったことで、仕方なく目隠しをしてシャワーを浴びさせたということから、部屋の掃除も全くしていなかったことが分かります。

当然、顔を洗ったり歯を磨くことも無かったのではないかと考えられますし、ベッドのシーツや毛布を換えたことはないでしょう。服なども、佐藤が万引きして手に入れていたので、着替えもほとんど無く、少女はとても不衛生な環境で生活させられいたのです。

栄養失調等の疾患

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監禁したばかりの頃は、佐藤の母親が息子用に作っていた夜食の重箱弁当を、少女に与えていましたが、途中からコンビニ弁当に切り替えました。その理由が、高齢の母親の負担を考えてと言うのですから耳を疑います。弁当の負担よりも、母親に対する暴行の方が余程深刻な問題でしょう。

監禁されてから、1日3食分なのかはたまた2食分だったのかは不明ですが、佐藤は少女に一応食事をきちんと与えていました。しかし、6年程経った頃、少女の足に痣を見つけ、何故か糖尿病ではないか?という疑いを掛け、食事を1日1食に減らしてしまったのです。そんな生活を数か月続けられ、体重は38kgまで落ち、時々失神までするようになっていました。

糖尿病予防として、ベッドの上での足の屈伸運動だけは許されていましたが、ほとんど動くことも出来ず、日に日に少女は弱っていきました。保護された時は、栄養失調の他に骨粗鬆症や鉄欠乏性貧血があり、足の筋力も衰えて一人で歩くことも出来なかったのです。

解離性障害

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解離性障害(かいりせいしょうがい)とは、自分が自分では無いと感じ、自己を失う状態が起きることです。その間の記憶が無かったり、新たな人格が出て来たりする障害です。

あまりに辛い体験をすると、その辛さから逃れたいと人は思い、解離性障害を引き起こす原因を作ってしまいます。誘拐された少女も、あまりの暴行の辛さに「自分が殴られているのではない」と思い込み、その辛さから逃れようとしていました。少女が保護された時、解離性障害の症状も見られたと言われています。

その他にも殺されない為に、殴られる前に自ら頬を差し出したり、声を出さない練習として、自らスタンガンを自分の身体に当ててみたりと、自己防衛の為とは言え、とても辛い時間を耐えていたことが分かります。

ビニール袋に排泄

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佐藤自身も潔癖症で、自宅のトイレを使えなかった為、排泄物はなんとビニール袋で済ませていました。少女も勝手に部屋から出ることも出来ませんが、やはり排泄をビニール袋でさせられていました。

廊下や床下には、そのような排泄物の入ったビニール袋がたくさんあったことから、臭いも相当厳しい状況だったのでしょう。佐藤が逮捕されてから、自室の写真が公開されましたが、糞尿の入ったビニール袋を置いてあった場所の床は、アンモニアの刺激からか剥がれていたのです。

少女の知能は人並み

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