2019年5月24日 更新

新潟少女監禁事件の概要とは?犯人佐藤宣行の生い立ちやその後と被害者との関係

ミレニアムイヤーと世の中が浮かれて迎えた2000年(平成12年)の1月末、とあることがきっかけで発覚した新潟少女監禁事件を御存じですか?実は事件の犯人である佐藤宣行は、すでに出所しているのです。今回は、新潟少女監禁事件の被害者や犯人のその後などを解説します。

両親に溺愛されて育つ

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1962年(昭和37年)7月15日(日)、佐藤宣行はこの世に誕生しました。父は62歳、母は36歳という高齢出産で初めての子供が生まれたのです。

2人は「ボクちゃん」と呼んで、宣行を溺愛し、欲しい物は何でも買い与え、我慢させることを教えなかったのです。小学校入学前に、父は張り切って家を建てて、宣行に10畳もの広い自室を与えました。

息子が幼少期の頃までは、比較的家庭内は上手くいっていましたが、宣行が小学生になったある日、父親を見た同級生から「お爺ちゃんみたい」と言われたことをきっかけに、宣行は父親に当たるようになったのです。しかし、父親も母親も叱ることをしませんでした。

中学校1年の時に不潔恐怖症と診断

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宣行が中学校に入学したある日、「怖くて学校に行けない」と言い出した為、精神科を受診して「不潔恐怖症」と診断されました。この頃から、母親は息子を病院に送る為に、自動車免許証を取得し車も購入しています。

父も又、毎日商売道具であるタクシーを、決まった時間に洗わなければ気が済まない、不潔恐怖症であったことも関係しているのでしょうが、潔癖症になる人は自己愛が歪んでいることが多いのです。同級生に父をお爺ちゃん呼ばわりされたこと、それに対して母親のフォローが無かったことで、父の存在を否定し始めています。

信憑性は分かりませんが、その他にも週刊誌などによれば、父の趣味は裸の女性の絵を部屋に飾ったり、グラビアの写真を集めていたと言われており、思春期になってそんな父親から自分が生まれたということを否定し、拒否感から不潔恐怖症になったのではないでしょうか?

工業高校入学

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不潔恐怖症と診断された宣行でしたが、学校はそれなりに通えていたようです。高校は工業高校に入学し、身長も175cmと大きく成長しました。

しかし、動きがなよなよしていたり、話し方が男らしくなかったことで、同級生から「オカマ臭い!」とバカにされてしまうのです。コミュニケーションも上手く出来ず、学校では目立たない存在でした。

学校生活で楽しめなかった宣行は、その鬱憤を家に帰ってから父親に当たって、発散するようになってしまいます。父親もすでに77歳と高齢になっており、もちろん叱ることは出来なかったのです。

家の中で鬱憤を晴らすようになる

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宣行の身体が大きくなるにつれ、当然力も付いてきます。中学生の頃から、父親に当たったり、家の中で暴れて壁や襖などをどんどん壊していくほど激しかったと言われています。

当然、父親に暴言だけではなく、そのうち暴力も振るうようになり、母親は息子の部屋に近づくこも出来なくなっていきました。

就職するも数か月で辞職

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そのような環境でありながらも、宣行は工業高校を卒業して、自動車部品製造会社に工員として採用され、就職することが出来ました。

しかし、不潔恐怖症であった宣行は、すでに自宅のトイレに入れなくなっており、通勤途中で立小便をするのが日課だったのです。その際、「尿が作業着に付いた」「している最中に蜘蛛の巣が掛かった」など、些細な理由で出勤しなくなり、わずか数か月で会社を辞めてしまったのです。

そこから、宣行は長い引きこもり生活に入ります。しかし、競馬やドライブなどでは外出していたので、全く部屋から出なかった訳でもありません。そのおかげで、少女誘拐事件を引き起こしたことを考えると、完全引きこもり生活をしていてくれた方が良かったのかもしれませんね。

父親を家から追い出す

Hand Man Figure - Free photo on Pixabay (293204)

仕事を辞めて、家にいるようになると、父親の存在がいよいよ我慢出来なくなってきた宣行は、ついに年老いた父親を家から追い出してしまいます。父はすでに、80歳程になっており、暴力で息子が夫を殺してしまうことを恐れ、母親が夫の異母姉の家に匿ったとも言われています。

しかし、父を追い出したことにさすがに腹が立った母親は、息子と大喧嘩になり、自分も出ていくことを宣言しました。本当に出て行けていれば、母親も暴力や事件に巻き込まれることは無かったかもしれません。結果としては残念ながら、母親は逃げ出すことが出来ませんでした。

出て行こうとした母親を止めようとしたのか、怒りに任せた行動なのか、宣行は突然仏壇に火をつけたのです。火事を起こされてしまっては、尚更面倒になると判断した母親は、息子を精神科へまた連れていきました。強迫神経症と診断され、その日に宣行は入院しましたが、1か月程で退院してしまうのです。

母親から自立しようとする

Architecture Blueprint Floor Plan - Free photo on Pixabay (293272)

宣行が23歳になった頃、彼は突然母親に独立したいと言い始めます。ならばさっさと仕事を決め、家を出て行ってもらう方向を考えるべきでしたが、何を思ったのか独立出来るように、家を増築して欲しいと要求してきたのです。

母親はここでもNoと言えず、今度こそ就職して真面目になるこを期待し、700万円も掛けて増築を開始したのですが、自室に工事関係者が来ると「汚れる!」と宣行は拒否し続け、結局工事は途中で中止となりました。

母はこの時すでに60歳近く、保険外交員として働き続け、定年も5年延期出来て働いていましたが、ほとんど実入りはありません。幼い頃から、我慢を覚えさせなかった親の責任ですが、多少の憐れみを感じます。しかし、この我慢出来ない子に育ててしまったことで、宣行は、ついに最初の少女誘拐未遂事件を起こしてしまうのです。

裁判の結果

Law Justice Court - Free photo on Pixabay (293369)

事件発覚後、佐藤宣行はそのまま入院させられ、体力や精神の回復を待って、事件から2週間後の2000年(平成12年)2月11日(金)の、午後2時54分ようやく逮捕となりました。

それから22日経って、取り調べなどが終わった同年3月4日(土)新潟地方検察庁が、「未成年者略取誘拐」と「逮捕監禁致傷」の罪で、新潟地方裁判所へ起訴したのです。

佐藤宣行の裁判は3年程続くことになりますが、ここでは裁判の結果を紹介します。

地裁

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第1回目の公判は、逮捕された同年の5月23日(火)から始まります。新潟地方裁判所での裁判は、第7回まで行われました。裁判では、少女のプライバシーや精神などに配慮し、証人に呼ぶことはしませんでした。

「逮捕監禁致傷罪」では、最高でも10年しか求刑出来ない為、検察は何とか刑を重くしようと、第2回公判の前に、少女の為に佐藤宣行が行った万引きについても追起訴して、併合罪を適用を狙っていました。これに対し、弁護側は精神衰弱や精神障害を訴え、減刑を求めていたのです。

事件から約2年後の、2002年(平成14年)1月22日(火)の判決で、地裁は佐藤宣行に対して懲役14年の判決を言い渡しますが、佐藤はこれを控訴しました。

高裁

Lawyer Guide Book Justice - Free image on Pixabay (293524)

2002年(平成14年)12月10日(火)、東京高等裁判所は地裁の判決を棄却して、懲役11年の判決を下しました。併合罪の解釈に誤りがあるということで、なんと減刑になってしまったのです。

「逮捕監禁致傷罪」としては、最高の10年は削ることはせず、窃盗罪の方を1年としての判決になりました。しかし、これに対して少女の両親は怒りを露わにし、刑の少なさに納得しなかった東京高検は上告を決定したのです。

更に、佐藤宣行はこの判決に対して、これでも長すぎると不服を申し立て、上告することになり、最高裁まで持ち込まれることになりました。

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