2019年8月7日 更新

御巣鷹山では度々心霊現象が?日本航空123便墜落事故との関係とは

520人の尊い命が一瞬で奪われてしまった、日航機墜落事故。あまりにも悲惨な事故だったせいか、墜落現場となった御巣鷹山では度々心霊現象があると言われています。今回は、日本航空123便墜落事故の概要と噂されている陰謀論を含め、御巣鷹山の心霊現象を検証します。

目次

東京ー大阪間という路線であった123便には、実は芸能人も多く搭乗していました。その中で生き残った人もいれば、亡くなってしまう人もいたのです。

強運の持ち主と言うべきか、まだ死ぬ運命では無い人だったと言うべきかは、各自の感じ方によりますが、犠牲者のことを想うと、やはり運の良しあしでは決められません。

しかし、搭乗を回避した芸能人としてよく名前が出る、明石家さんまは、強運の持ち主とつい呼びたくなってしまう人物です。ここでは、123便搭乗を回避した明石家さんまについて紹介します。

大阪のラジオ番組のため搭乗予定だった

Microphone Radio Mic - Free photo on Pixabay (541899)

80年代は、空前のお笑いブームが到来していた時代です。関西ローカルタレントであった若き明石家さんまも、このブームに乗って東京に進出してきました。

東京でも大人気となった明石家さんまは、当時ラジオや、テレビのレギュラー番組を抱え大阪と東京を行ったり来たりするほど多忙な生活をしていたのです。

事故当日も、明石家さんまは、大阪でのラジオ番組「MBSヤングタウン」のレギュラー出演の為、いつもと同じ日本航空午後6時発の便に搭乗する予定でした。

収録が早く終わり、一便早く飛行機に搭乗

Boeing 777 Ana All Nippon Airways - Free photo on Pixabay (541967)

大阪のラジオ出演の前、明石家さんまは東京でも仕事をしていました。当時若者達に人気だったフジテレビのお笑い番組、「オレたちひょうきん族」の収録も、この日明石家さんまはしていたのです。

いつもなら多少押し気味になる収録が、この日は何故か早く終わった為、明石家さんまは早めに大阪へ移動をしようと考え、空港へと向かいました。

混雑する空港でしたが、本来乗るはずだった便より1便早い、全日空の飛行機に空席があり、明石家さんまはそれに乗って大阪へと移動したのです。

日本航空123便墜落事故を逃れた

Microphone I Am A Student Radio - Free photo on Pixabay (542000)

何も知らないまま無事大阪へと着いた明石家さんまの元にも、午後7時半頃には日本航空123便行方不明の一報は飛び込んで来たでしょう。

当日は、どの放送局でも臨時ニュースに切り替えていましたが、さんまのラジオ番組でも報道特番に切り替わることになりました。

番組変更のお知らせは、明石家さんま本人の口から発せられたそうですが、流石の明石家さんまも、自分が乗るはずだったということに恐怖やショックを覚え、「いつも使っている便やから…」と放送中に呟いたと言われています。

その後、新幹線を利用するようになる

Bullet Train Shinkansen Railway - Free photo on Pixabay (542018)

ラジオ放送中の時点では、明石家さんまも、世間と同じように123便が墜落したということまでは知らなかったでしょう。しかし、行方不明になったという速報でも背筋が凍る思いだったのかもしれません。

その後、いつどこで明石家さんまが墜落の報を知ったのかは不明ですが、いつも乗る便を直前に変更したという行動があるだけに、相当なショックを受けたことは想像出来ます。

彼はそれ以来、飛行機での移動を止め、新幹線移動に切り替えてしましました。

「いまる」の名前由来

Baby Sleeping Girl - Free photo on Pixabay (542035)

タレントやモデルで活躍中の、IMALU(いまる)は、明石家さんまと女優、大竹しのぶの長女です。両親はすでに離婚している為、本名は大竹いまるです。

彼女が誕生し、父親である明石家さんまは娘の名前を発表しましたが、当時はわりと不評な名前でした。名前の意味は、「生きてるだけで丸儲け」というものですが、大竹しのぶ的には「今を生きる」という意味だ話しています。

しかし、123便墜落事故から逃れた明石家さんまは、その頃から「生きてるだけで丸儲け」を座右の銘にしており、大切な1人娘の名前に、その奇跡の力を込めたのかもしれません。

搭乗を回避した有名人たち

Airport Cafe Coffee - Free photo on Pixabay (542131)

東京、大阪は日本の二大中心都市です。その為、この路線を結ぶ公共交通機関は、多くの有名人や著名人が利用します。

中でもタイトなスケジュールの人程、早く着く飛行機を選びますが、そんな忙しい有名人達もあの日、ちょっとした行動の変化で明暗が分かれることになりました。

そんな運命の分かれ道は、一体何処にあるのでしょう?ここでは、明石家さんま以外にも、日本航空123便墜落事故を直前に回避していた有名人を紹介していきます。

ジャニー喜多川

Phone Eighties Old - Free photo on Pixabay (542143)

多くの男性人気アイドルグループを輩出し、芸能界やテレビ局に多大なる影響力を持っていたと言われる、ジャニー喜多川は、ジャニーズ事務所の元社長です。「ジャニーさん」という愛称でお馴染みの彼は、2019年(令和元年)7月9日(火)、解離性脳動脈瘤破裂により、87年の人生を終えました。

ジャニーさんが亡くなったことで、残されたジャニーズ事務所の今後が心配になるのは、やはりジャニー喜多川の力が大きかったからでしょう。実は87年と長く生き延びたジャニーさんには、数々の強運伝説があります。

彼は少年時代から、海での遠泳中漂流したり、空襲から偶然逃れることが出来たなど、その時命を落としてもおかしくないことが多々ある人生でした。123便墜落事故の時も、本来ジャニーさんはその飛行機に乗る予定だったのです。しかし、仕事が押してしまったことで直前にキャンセルし、やはり逃れることが出来たのです。

笑点メンバー

Hurricane Tropical Cyclone Typhoon - Free photo on Pixabay (542277)

日曜の夕方、お茶の間に響く気の抜けたBGMで始まる番組「笑点」は、1966年(昭和41年)から放送される長寿番組です。53年の歴史では、メンバーの入れ替えや、病気降板、そして死を迎えてしまった出演者もいましたが、基本メンバーは80年代の頃からあまり変わっていません。そんな笑点メンバーも、123便を回避した有名人です。

当時のメンバーは、馬面をネタにされていた司会者の5代目、三遊亭圓楽、一番長く出演し最後の最後まで笑点メンバーであった桂歌丸、昔からキャラが変わっていない林家木久蔵、ちゃんら~んでお馴染み林家こん平、ニヒルキャラの三遊亭小遊三、当時ピンクを担当していた古今亭朝次、そして腹黒の三遊亭楽太郎、更に座布団運びの山田君の8人です。

笑点メンバーはあの日、徳島で阿波踊りに参加するため、123便ではない飛行機を予約していました。しかし、当日は悪天候で飛行機が遅延。このままでは約束していた時間に間に合わなくなるかもしれないと、次に飛びそうな123便に乗るかどうかを検討していたそうです。しかし、こん平が予約したもので行こうと決定した為、回避することが出来たのです。

稲川淳二

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今や夏期間のみ姿を見るようになった怪談タレントの稲川淳二。彼に霊感があるのかはよく分かりませんが、怖い体験を多くしている人に違いはありません。

そんな稲川淳二は、当初ラジオパーソナリティや、舞台俳優をしていましたが、貧乏で不健康そうなキャラとしてブレイクし、80年代後半からは、「オレたちひょうきん族」や「スーパージョッキー」などのバラエティー番組でも、レギュラーを持つようになりました。

忙しくなった稲川淳二も、あの日東京で「稲川淳二のためになる話」という健康番組の収録後、123便に乗って大阪へと向かうはずでした。しかし、突然立っていられない程に体調が悪くなり、しばらく動くこともままならなかったようです。その為、急いで大阪へ向かうことを止め、翌朝の新幹線に変更したおかげで、回避することが出来ました。

麻美れい

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