2019年9月26日 更新

池田容之とは?横浜バラバラ強盗殺人事件の概要や犯人の現在についても

残虐極まりない犯行で日本中を震撼させた横浜バラバラ強盗殺人事件。死刑判決が下された池田容之は現在どのような心境で刑の執行を待っているのでしょうか?その生い立ちや高校時代、その後の転落を紹介するとともに、黒幕と噂される工藤明生なる人物についても迫っていきます。

目次

公判での被告の態度について、唯一記者会見に応じた裁判員は「初公判では突っ張っているように見えたが、被害者家族の証言や母親の手紙などが読まれていくうちに、被告の心情が大きく変わっていったように見えた」と語っています。

当初は拘置所内で警察官に殴りかかることもあるなど、反省の色が見られなかったという池田ですが、意見陳述で極刑を求める遺族の声を聞いた際には、弁護人に対して「これでも生きろって言うのか」と言い、むせび泣くような一幕もあったといいます。

池田容之の発言

Courtroom Benches Seats - Free photo on Pixabay (663648)

被害者の遺族ら6人は、全員池田の極刑を求め、被害者の母親は「息子の体を横浜港に行って取ってきなさい」と、その怒りと憎しみを池田にぶつけました。

公判を重ねるうちに態度が変わっていった池田は、「逮捕直後は死んで償えばそれでいいと思っていた。遺族の生の声を聞いたことが、自分の犯した行為を後悔するきっかけとなった」と述べています。

自身に下される判決に対しても、当初は「自分は死刑。弁護は必要ない」と弁護人に行っていましたが、遺族の意見陳述が行われたその次の公判では「生きていいのか死ぬべきか、葛藤は日々あります」と、涙ながらに自身の中で迷いがあること心情を吐露していました。

池田容之が事件を起こした動機

Madness Smoke Sad - Free photo on Pixabay (663595)

池田がこの事件を起こしたことの表面的な動機は、確かに金であると言えます。2人を殺害して、組織内で優位に立ち、麻薬密輸の利権を得るためという部分には、確かに池田にとって更なる大金を稼ぐための手段としての側面があります。

しかし、それはあくまで動機の一つの形でしかなく、池田をここまで残忍な行為に駆り立てた根底にあるのは、池田の心の内にある複雑で歪んだ権力への憧れがありました。

果たして、池田が犯行を起こした本当の動機とは何だったのでしょうか?

事件の原点は「アメリカン・ギャングスター」

Gangster Tough Per - Free photo on Pixabay (662876)

池田は公判の中で、事件の原点とも言える映画が存在していたことを述べています。その映画は2007年に公開された『アメリカン・ギャングスター』という映画でした。

この映画は1970年代のニューヨークを舞台に、実在した麻薬王「フランク・ルーカス」を描いた作品で、池田はこの主人公が東南アジアから大規模な麻薬の密輸をする姿に憧れたといいます。

2010年10月13日に行われた麻薬密輸に関する公判の被告人質問では、この映画のことに触れ、検察官に「あの主人公が最後どうなったか知っていますか」と、麻薬王のわびしい晩年と自身の転落を重ねているかのような口ぶりで語っていました。

自分は人を殺せる人間とアピールするために殺した

Black White Gray - Free photo on Pixabay (663592)

正確には近藤からの依頼は「AとBを殺害してくれ」ではなく、「AとBを殺害する人物を探してくれ」というものでした。これに対して池田は自分が「人を殺せる人間」であるということをアピールして、覚せい剤密輸の利権を得ようと、自らの手で2人を殺害することを考えました。

それは単に、利権が欲しいというだけではなく、「人を殺せる人間」をアピールすることによって、近藤に認めてもらい、その他の仲間達からも一目置かれたいという歪んだ願望によるものだったのでしょう。

自分は神に選ばれた

Religion Faith Cross - Free photo on Pixabay (663663)

池田は公判において、近藤と知り合い、麻薬密輸に関わるようになった頃の自分の心境について、「収入と共に、刺激的な非日常の世界に憧れた面もあった」と話しています。

そこに現れた近藤から「運びの仕事をやらないか」と誘われ、麻薬密輸グループ内における国内でのトップの位置に取り立てられます。近藤から成功報酬は1回150万円だと提示された池田はその報酬の大きさに浮かれて、自分は神に選ばれたか、宝くじにあたったかのように思ったようです。

共犯者の近藤剛郎について

Man Skull And Crossbones - Free photo on Pixabay (663729)

ここまではこの事件の実行犯である池田容之という人物についてのことをメインに書いてきましたが、この池田に2人の殺害を依頼し、背後で糸を引いていたのは首謀者である近藤剛郎でした。

この事件に関わった人物の中で唯一、未だ捕まらずに逃亡を続けている近藤に関しては、なぜこの若さでこれだけの権力を得るに至ったのかなど、謎の部分も多く残されています。

しかし、この事件について究明していくうえで、この近藤という男のことを知ることも大変重要な意味を持つはずです。

早稲田大学の法学部に在籍していた

Student Professor Uni - Free image on Pixabay (663665)

近藤剛郎は、かつて早稲田大学の法学部に所属していました。早稲田大学と言えば国内屈指の名門私立大学として知られており、その法学部ともなればその偏差値は70前後とかなり高くなります。曲がりなりにも、そこに通っていた近藤という男がいかに頭の切れる人物だったかは想像に難くないでしょう。

2008年の9月には大学から除名とされていますが、在学中に培った法学についての知識を武器に、若くして麻薬密輸グループを指揮する立場にまでなったのかもしれません。

除名直後に起きた麻薬密輸事件にも近藤が関与しているとされている点から、在学中から既にこのような犯罪行為に手を染めていた可能性が高いようです。

様々な麻薬密輸事件に関係している

Addict Homeless Tramp - Free photo on Pixabay (662938)

先にも述べたように、近藤は麻薬密輸グループの元締めのような存在であり、池田らが行っていた麻薬密輸以外にも、複数の密輸に関係しているとされています。

2008年11月に、マレーシアで入手した覚せい剤約992グラムをバッグに隠して関西空港から持ち込もうとした男らが逮捕された事件においても、逮捕された無職の男と元東洋大ボクシング部の男の背後には、近藤の存在があるとし、警察が行方を追っていました。

この事件において押収された覚せい剤の末端価格は6千万円になるとされ、このような密輸を何度も繰り返していることから、近藤はかなりの額を荒稼ぎしていると思われます。

事件後逃亡、現在はタイへ?

City Street Traffic Urban - Free photo on Pixabay (662969)

その後、近藤は横浜バラバラ殺人事件において池田らに指示を出した首謀者であるとして、強盗殺人の容疑で国際指名手配されることとなります。

近藤は事件から10年が経った今でも捕まっておらず、その正確な足取りは分かっていませんが、一部情報によるとタイに潜伏しているのではないかと噂されています。

横浜の事件においても自分の手を汚さずに邪魔な人間を排除するという狡猾さを持った近藤は、その狡猾さを武器に、タイでもうまいこと捜査の網をすり抜けるようにして生活しているのでしょう。果たして近藤が逮捕されて、法の元に厳正な裁きを受けることになる日は来るのでしょうか?

最初に逮捕された共犯者3名について

Skeletons Funny Hear No Evil Speak - Free photo on Pixabay (663073)

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