2019年9月26日 更新

池田容之とは?横浜バラバラ強盗殺人事件の概要や犯人の現在についても

残虐極まりない犯行で日本中を震撼させた横浜バラバラ強盗殺人事件。死刑判決が下された池田容之は現在どのような心境で刑の執行を待っているのでしょうか?その生い立ちや高校時代、その後の転落を紹介するとともに、黒幕と噂される工藤明生なる人物についても迫っていきます。

目次

池田は被害者らの必死の命乞いを終始無視し続けました。さらには泣き叫びながら「殺さないで」と懇願する被害者に対して「泣くなよおまえアッハッハ」と嘲笑う様子には微塵も人の心が感じられず、池田という男の残忍さが次第にエスカレートしていった様子が伺えます。

死を覚悟し、家族に電話をさせて欲しいと言う言葉すら聞き入れなかったことに関しては、裁判官も「家族に電話を、という最後の望みすら聞き入れなかったのは冷酷この上ない」と非難しています。

被害者との面識がなかった

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この事件の発端となった麻雀店経営権に関してのトラブルは、あくまで被害者らと近藤剛郎との間の問題でした。しかし、近藤から依頼を受けた池田は、面識もなく、個人的には何の恨みもないはずの2人を躊躇なく殺害し、裁判時には2人に対しての感情として、「怒りも哀れみもなかった」と言い放ちます。

さらに検察官からの「1人目を殺害した時点で、2人目の殺害を思いとどまらなかったのか」との質問には「1分1秒でも早く終わらせ、この場を立ち去るのが僕の仕事だと思った」と述べています。

池田は裁判で、2人の遺体を解体する際の心情に関して「蟹の解体を思い出して手足を切断した」と語っています。池田にとっては、自分と関わりのない人間の命など、虫けらと同じくらいにしか感じなかったのかもしれません。

お金の為なら何でもやる人間だった

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この事件で池田は、被害者から奪った1340万円の内、報酬として700万円を受け取っており、これに関して池田は「報酬は使ったが、喉から手が出るほどお金に困っていたわけではない」と答えています。

しかし、犯行動機としては2人を殺害することで近藤からの信用を得、自身の地位を確たるものとすることで、覚せい剤密売の利権を手に入れたいがためだったとしています。

このことから、結局池田は金のために2人を殺害するに至ったということが伺え、池田の数々の言動からも、金のためならどんな凶悪行為も正当化している一面も感じられます。

被害者の首を切断した後に談笑していた

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池田の異常性は2人を殺害した後の様子にも表れています。被害者Bの首を切断した池田は、もう1人の共犯の男と「汚ねーなこの野郎。この道具早えーな!見た?30秒もかからなかったな!こいつ気持ち悪いヤクザだな」などと談笑していたといいます。

さらにはバラバラにした遺体をゴミ袋に淡々と入れていき、「人形みたいでしょ?」とも言っていたそうです。この発言に対して池田は裁判で、「人形だと思い込んで気を紛らわそうとした」などと答えています。

このように普通の人間ならば耳にすることすら憚られるような数々の残虐行為を繰り返し、人を人とも思わない言動の数々からも、池田という男はまさに異常者であるとしか言いようがありません。

横浜バラバラ強盗殺人事件のその後

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結局、池田らの犯行からそう時間が経たないうちに事件は明るみに出て、この事件に関わったとされる7人が逮捕・起訴されることとなりました。そしてこの事件は、事件の前年から始まった裁判員裁判によって裁かれることとなります。

果たして実行犯として残虐極まりない行いをした池田にはどのような罪状が言い渡されたのか?また、唯一捕まっていない首謀者の近藤はどうなったのか?この凶悪事件の主犯格であるこの2人がその後どうなったのかについて見ていきます。

池田容之の罪

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この事件で捕まった犯人グループに対して、横浜地裁は2010年10月14日に覚せい剤密輸についての罪で有罪とする部分判決を下します。

そして2010年11月16日、主犯格である池田に対して、殺人罪も含めた判決として求刑通りの死刑判決が言い渡されました。これに対し、池田の弁護人が控訴しましたが、2011年6月16日に池田自身が控訴を取り下げたため死刑判決が確定し、裁判員裁判による初めての死刑判決が確定することとなりました。

近藤剛郎を国際指名手配

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実際に被害者らを殺害したのは池田ですが、この事件のきっかけとなったトラブルを起こし、池田に2人の殺害を依頼した首謀者の近藤剛郎にも当然ながら重い罪が科せられるはずでした。

2009年12月8日に捜査本部は強盗殺人容疑で近藤の逮捕状を取り、2009年12月15日には国外逃亡した近藤を国際指名手配としました。

己の手を汚すことなく、私利私欲のために池田に2人を殺害させた近藤は、現在どこにいるのでしょうか?

死刑判決が下った池田容之の現在

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こうして死刑判決を受けた池田は、己が極刑に処される日を待ちながら今もなお服役中です。自ら控訴を取り下げ、死を受け入れたかのようだった池田は、果たして自らの罪の重さと、その報いとしての死をどのように考えているのでしょうか?

そして、殺害した2人の被害者に対してはどのように想いを馳せて日々を過ごしているのでしょうか?ここでは、現在も服役中の池田がどのように獄中生活を送っているのかを見ていきましょう。

池田容之は現在も服役中

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事件の発生、そして池田の死刑判決確定から長い月日が流れましたが、現在もまだ刑は執行されておらず、池田は東京拘置所に拘置されています。

日本における死刑確定から死刑執行までの平均期間は約5年だと言われています。

そのことから考えても、再審請求もされていない死刑囚の執行猶予期間としてはかなり長めとなっていますが、この間、池田は何を考え生きてきたのでしょうか。

裁判時には、裁判官から被害者のためにしていることを聞かれると、毎日午前と午後に2人に対して「申し訳ありませんでした。成仏してください」と祈っていると述べていた池田ですが、その祈りは現在も続いているのでしょうか。

死刑求刑の際の池田容之の様子

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自らに対する死刑の求刑そして死刑判決を聞くというのは、凶悪な事件を起こした犯人が自らの死を意識させられる瞬間です。特に表情に変化が見られない者や、がっくりとうなだれるような者、中には取り乱して暴れるような者もいるでしょう。

横浜バラバラ殺人事件を起こした池田もそのように死刑を求刑されたうちの1人ですが、その際の池田の様子はどのようなものだったのでしょうか。裁判における池田の様子や言動などを見ていきましょう。

表情や行動

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