2019年9月9日 更新

ヨーゼフメンゲレの生涯とその功績とは?数々の人体実験を行った理由は?

ナチスの非道さを語るうえで欠かせない人物、ヨーゼフメンゲレ。双子に固執し、過激な人体実験を行った人物として知られていますが功績や、息子との関係はあまり知られていません。この記事では、知られざる功績や息子とのやり取りについても、詳しくご紹介していきましょう。

目次

息子は父が戦犯だと知らなかった

Father Son Grandson - Free photo on Pixabay (613282)

アルゼンチンを訪れたイレーネとその息子は、ヨーゼフメンゲレと再会します。ヨーゼフメンゲレの息子は、父親と再会し言葉を交わすまで、父親がヨーゼフメンゲレであったことも、戦犯であることも知りませんでした。また、出会ってしばらくの間、叔父だと聞かされていたようです。

ヨーゼフメンゲレの息子が残した発言を元に作られた映画の中でも、そのようなくだりが描かれ、息子の葛藤や戸惑いも描かれていました。幼少期に離れ離れになった息子とヨーゼフメンゲレは、再会後少ないながら言葉を交わします。

父とのやり取りによって殺意を覚える

Killer Horror Jimmy - Free photo on Pixabay (613284)

終戦直後から、ヨーゼフメンゲレは死の天使として大々的に紹介されました。これまで、どのような犯罪行為を行ってきたか、非道な人体実験を繰り返していたか、新聞やメディアを通して世間に知れ渡っていたのです。父親と再会し、自身がヨーゼフメンゲレの息子だと知った男性の衝撃は、はかり知れないでしょう。

こういったあらゆる葛藤を経て、息子は父親と会話を続けました。父親の身勝手ともとれる発言に、息子は殺意と共に憤りも感じることとなります。

父親が白骨となり発見されるまで同じ地を踏むことは無かった

Steps Stairs Up - Free photo on Pixabay (613288)

息子と再会した当時、ヨーゼフメンゲレは国際指名手配犯でした。つまり、息子の通報があれば、すぐにでも逮捕することが可能だったのです。しかし息子は、父親の潜伏先を他言することなく、側を離れました。息子や妻に愛情を向けず、人々に残忍な実験を繰り返した人物を、見逃したのです。

父親と距離を置いた後2人は、2度と会うことはありませんでした。ヨーゼフメンゲレが心臓発作で溺死し、その人物がヨーゼフメンゲレだと世間に知れ渡るまで、息子は同じ地を踏むことはなかったのです。

ヨーゼフメンゲレと息子のやり取り

Man Portrait Gloomy - Free photo on Pixabay (613292)

ヨーゼフメンゲレとその息子は、終戦後再会し、実際に言葉を交わしました。その内容は、新聞やインタビューなどによって残されています。また、それらのやり取りを取り入れた、映画や小説も作られました。

ここからは、死の天使と恐れられたヨーゼフメンゲレと、たった一人の息子の会話について、ご紹介していきます。息子の葛藤、そしてヨーゼフメンゲレが本当にただの死の天使だったのか、知ることができるでしょう。

我々は過ちを犯した

People Man Guy - Free photo on Pixabay (613298)

数十年ぶりに再会した息子に、父親であるヨーゼフメンゲレは淡々とした口調で語りました。その内容の一つに、「我々は過ちを犯した」というものがあります。

「我々」とは、ナチスの行いそのものだったとも考えられますが、後続の文言から考察すると、人体実験を共に行っていた医者たちだったとも考えられるでしょう。

この発言から、ヨーゼフメンゲレは自らが率先して行った人体実験について、非人道的な行いであったことは、ある程度理解していたと考えられます。

決して人に危害をかけたことなどない

Microscope Research Lab - Free photo on Pixabay (613294)

ヨーゼフメンゲレの残忍な人体実験は、新聞や報道によって広く世間に知れ渡っていました。それは、息子の耳にも届いていたのです。息子は父親に、人体実験について質問しました。その内容は、詳しく明かされていませんが、なぜあのような行いをしたのか等だったと考えられます。

その問いに、「新聞に書かれていることは全て嘘だ」と答えました。そして、決して人に「危害」を加えたことはないと口にします。ヨーゼフメンゲレの発言が意味した「危害」と、その他多くの人々が思っている「危害」は、酷くかけ離れたものだったのでしょう。

収容所の実験の科学への寄与を否定できようか

Prora Ruin View - Free photo on Pixabay (613302)

自分たちが行っていた人体実験が、世間一般から受け入れられない行為だと理解しつつ、「危害」という認定ではなかったと主張したヨーゼフメンゲレは、さらに自らの行いを肯定する発言をします。

それが、「収容所の実験の科学への寄与を否定できようか」という発言です。つまり、収容所で行った人体実験によって知り得た情報は、非常に有益で、それらが今後世界にもたらす利益を、否定できる者がいるのかという意味になります。

確かに、行いは非道であったかもしれないと認識しつつ、それらがもたらす発展は確実であると、ヨーゼフメンゲレは確信していたのです。

全ての種に寛容な世の中が間違っている

Earth Planet World - Free image on Pixabay (613306)

ヨーゼフメンゲレは最後に、「全ての種に寛容な世の中が間違っている」と息子に発言しました。この発言に、息子は殺意を覚えます。ヨーゼフメンゲレは、ナチス党に入党する前から持っていた「種の選別」「特別な人種」という信念を持ち続け、人体実験を繰り返していたのです。

現代では、多種多様な人種、性格、指向に寛容的風潮があります。しかし、日本でも出生前診断と呼ばれる診断があり、それらは種の選別とも言われているのです。他にも、障害者や性的マイノリティ、嫌韓など、持って産まれた特徴を理由に、排除する動きが多々見られます。

ヨーゼフメンゲレが目指した世界を肯定する現象が、今もなお見られるのです。

父親を見逃した理由は「息子だから」

Baby Child Father - Free photo on Pixabay (613307)

ヨーゼフメンゲレとその息子は、少ないながら言葉を交わします。息子は、ヨーゼフメンゲレの発言に、殺意を覚えることもありました。多くの人々を殺害し、それらをひたすら反省するわけでもなく、肯定したと捉えられるような発言もあったからです。

しかし、その後息子は静かに父親の元を離れました。戦犯であるヨーゼフメンゲレが、ブラジルに潜伏していることも口外しません。その行為について、一言「息子だから」という言葉を残しました。ヨーゼフメンゲレが、どれほど非道な行いをしていたとしても、父親であり、自分はその息子なのです。

ヨーゼフメンゲレの功績

Medicine Pills Capsules - Free photo on Pixabay (613313)

ヨーゼフメンゲレは、ただやみくもに、人体実験を繰り返していただけではありません。戦争という特殊な環境によって、異常なほど残忍な人体実験ではあったものの、彼には彼なりの求めるものがあり、目的を持ち医療に向き合っていた一面もあります。

ここからは、ヨーゼフメンゲレの功績についてご紹介していきましょう。ヨーゼフメンゲレが行った行為は、非常に残忍で、肯定されるものではありません。しかし、ヨーゼフメンゲレが残した功績にもまた、無視できないものなのです。

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