ヨーゼフメンゲレの生涯とその功績とは?数々の人体実験を行った理由は?

ナチスの非道さを語るうえで欠かせない人物、ヨーゼフメンゲレ。双子に固執し、過激な人体実験を行った人物として知られていますが功績や、息子との関係はあまり知られていません。この記事では、知られざる功績や息子とのやり取りについても、詳しくご紹介していきましょう。

目次

死の天使と呼ばれたヨーゼフメンゲレが求めていたもの

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偏った思想を持つ指導者によって、多くの人々を恐怖に巻き込こんだナチス。ナチスを語るうえで、重要な人物と言えば、ヨーゼフメンゲレです。ヨーゼフメンゲレは、医者でありながら、残虐な人体実験を繰り返したことで知られ、死の天使と呼ばれることもありました。

ヨーゼフメンゲレは、過激な人体実験を繰り返した人という部分がだけが広がり、「サイコパス」「異常者」という印象のみが残っています。しかし、ヨーゼフメンゲレは、医学分野において功績も残しているのです。また、ヨーゼフメンゲレだけが異常な人体実験を繰り返していたわけでもありません。
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この記事では、世間に知られることが少ないヨーゼフメンゲレの功績や、そのれらと現代医学との繋がりについてご紹介していきましょう。

さらに、息子とのやり取りから、ヨーゼフメンゲレの思想、人間性についても解説していきます。この記事を読み終えた時、ヨーゼフメンゲレをこれまで通り「死の天使」と呼ぶことができるでしょうか。

ヨーゼフメンゲレの生涯

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ヨーゼフメンゲレは、「サイコパス」「異常者」として紹介されることが多い人物の一人ですが、生い立ちや生涯を見つめると、違った一面も見えてきます。

己の欲求に忠実に従う姿は、「サイコパス」などと近しいものが感じられますが、彼には信念や追い求め続けたものがあり、その場その場の快楽を求め続ける「サイコパス」と違った一面を見つけることもできるのです。

ここからは、ヨーゼフメンゲレという人物の生い立ちや生涯について、ご紹介します。ヨーゼフメンゲレはどのようにして医学を学び、どのようにしてナチスの思想に惹かれていったのか、詳しく解説していきましょう。

1911年裕福な家系に誕生

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ヨーゼフメンゲレは1911年3月16日、ドイツ南部に位置したバイエルン王国に誕生しました。バイエルン王国とは、ドイツ革命が起こるまでドイツに存在した王国の事です。ヨーゼフメンゲレの両親は、農業機械工場を経営していたため、非常に裕福な家庭でした。

また、ヨーゼフメンゲレには弟が2人おり、長男です。兄弟との関係について、不仲という説は聞かれませんでしたが、多くのエピソードが残っていたわけではないため、それほど良好な関係を築いていなかったと考えられます。

医学にたずさわり功績や実績を上げた

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厳しい教育方針をとる母親の元、メンゲレ家の長男として誕生したヨーゼフでしたが、父親が経営していた農業機械工場を継ぐことはありませんでした。ヨーゼフメンゲレは、ミュンヘン大学やウィーン大学、ボン大学で医学や人類学を学び、医者の道を進みます。

ヨーゼフメンゲレは、医者であり研究者でもありました。研究の過程で、様々な博士号を取得します。こういったことから、非常に優秀な人物であったことがわかるでしょう。

第二次世界大戦中にアウシュヴィッツに勤務

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ヨーゼフメンゲレは、20歳になると右翼的思想を持つ、鉄兜団に参加するようになりました。右翼的思想とは、愛国心を持ち、秩序や伝統を守り続け、安定した生活を続けることを目指すものです。

特権階級と承認された人々が特権を行使し、それらを維持していける社会、つまり、伝統的な社会格差を残し続けること、人に優劣を付けることが当然であり理想的な社会という思想になります。

ヨーゼフメンゲレは非常に裕福な家庭に生まれ、医学分野を極めていたことから、自分を特権階級だと認識していたと考えられるでしょう。そのため、右翼的な思想に、心酔していったと考えられます。
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ヨーゼフメンゲレが加入した鉄兜団は、国家社会主義ドイツ労働者党が政権を取ったのちナチス党撃退に吸収されます。健康上の理由から、一度国家社会主義ドイツ労働者党を離れたものの、1937年再び加わりました。国家社会主義ドイツ労働者党別名ナチ党も、右翼的な思想を持っていたからです。

1937~1943年まで、医者として活動するというよりは、兵士として武装しセンチに赴いていました。もちろん、軍医として配属されることもありましたが、当時は実験ではなく前線で活動することが多かったと言われています。

しかし、東部戦線において負傷すると、前線での任務に適さないという理由から、アウシュヴィッツ収容所に配属されることとなりました。

ナチス人種論の熱狂的な信者であった

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ヨーゼフメンゲレは、ナチ党に入党するまでにも、右翼的な思想を持っていました。ナチ党に入ってからは、これらの思想が加速し、ナチス人種論の熱狂的な信者となります。「ナチス人種論」とは、特別な人種、民族が存在し、その人々が世界を支配する権利を持っているというものです。

ナチ党が定義する特別な民族とは、ヨーロッパを構成していた白色人種とされました。当時のヨーロッパの人種は、北方人種や地中海人種、ディナール人種などの混血で構成されていましたが、そのどれもが優れた容姿、精神を持っていると主張したのです。
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なかでも北方人種は最も優れているとされ、それらの血を多く受け継ぐのはドイツ民族であり、ドイツ民族こそ世界を支配する人種だと定義づけました。そして、ユダヤ人への迫害が始まります。ナチスがユダヤ人を標的にしたのは、宗教的要素も関係していました。

キリスト教は、ユダヤ教を起源としていますが、ユダヤ教がイエス・キリストを救世主として認めなかったため、敵視するようになります。ヨーロッパでキリスト教が普及すると、キリスト教徒はユダヤ教徒を迫害するようになりました。職を与えなかったり、結婚やあらゆる権利をはく奪していきます。

つまり、ナチス以前からユダヤ教徒は迫害されていたのです。それが、過激な行動力、思想を持つナチスによって、体現されていきます。

収容所のユダヤ人に人体実験を繰り返した

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ナチ党が政権を握っていた時代、ドイツ国内の各地に収容施設が存在していました。収容施設には、ユダヤ教徒、反ナチス分子、エホバの証人など、ナチ党の思想に反するという理由だけで、多くの人々が収容されていきます。その中でも有名な収容施設が、アウシュヴィッツ強制収容所です。

アウシュヴィッツ強制収容所には、多くのユダヤ教徒、ユダヤ人が収容され、残虐な扱いを受け続けました。ヨーゼフメンゲレが配属され主治医官となってからは、さらに過激な人体実験が加わり、収容された人々にとって地獄のような日々が続きます。

クラシック音楽の指揮さながらの作業に人々は恐怖した

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