2019年10月28日 更新

何故事件は起こった?土浦連続殺傷事件の犯人の心理や警察の対処

土浦連続殺傷事件は、金川真大という犯人が起こした通り魔事件です。今回はこの事件の被害者についてや当時の警察の捜査状況、動機について紹介します。他にも生い立ちや逮捕のその後、死刑執行までの裁判の様子なども紐解いていきます。

目次

判決は「死刑判決」

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12月18日に判決公判では、死刑判決が言い渡されました。判決理由の趣旨は、生きがいがないのは被告人金川の自尊心のせいで、良好な人間関係が築けなかった為であり、生きがいを見つける機会を自ら放棄したと言えます。

そして、金川と同じ家庭環境下にある妹や弟は何かしらの生きがいを見出しており、原因は金川にあることが挙げられました。

また、高校卒業後、生きがいが見いだせず、自堕落な生活をして生きがいを見出せないのは自業自得であるとの述べています。

この瞬間金川は、非常に安堵したのではないでしょうか。

犯人「私の完全な勝利である」

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判決直後のメディアとの面会で金川は、「完全勝利といったところでしょうか」と満足そうに話しをしたそうです。金川は、一刻も早い死刑執行を望む主張は変わりませんでした。

検察側とは違い、弁護人は東京高等裁判所に即日控訴しました。しかし、金川は12月28日にその控訴を取り下げる手続きをしました。その取り下げ手続きにより、一週間後の2010年1月5日に死刑の判決が確定したことにより、この事件の裁判は終結をしました。

加害者のその後

Beyond Death Faith - Free photo on Pixabay (703649)

金川には、死刑判決がされました。そのあとは、死刑執行まで拘留所で過ごすことになります。その後の金川がどのように過ごしたのか紹介していきます。

移送時にトラブル

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2010年1月5日に死刑判決された後に、金川は東京拘置所に移送されることになります。しかし、金川死刑囚は当初の移送日に大暴れをし、トラブルを起こします。今回大暴れをした事により、2010年5月までに移送が大幅に遅れてしまいます。

その為、次回決定した移送日には、屈強な刑務官30人に囲まれて移送されることになりました。そして、拘置所は最上階の独房に入れられることになりました。早々にトラブルが発生してしまうほど、気に入らなかった事があったのでしょうか。

拘置所では最大の警戒態勢

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移送前のトラブルがあったせいで、東京拘置所でも最大限の警戒態勢が敷かれることなります。例えば、両隣の独房は空室になっていたり、部屋への私物の持ち込みも最大限に制限されたりしました。

その他にも運動や入浴なども、トラブル防止の為、全囚人の中で一番最後に指定されました。またこの拘置所では、信望が高いベテランの刑務官が担当となりました。その事で、金川とコミュニケーションを積極的にとったため、金川の反抗的な態度なども収まってきました。

母からの差し入れの雑誌や漫画で過ごす

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収監中は新聞や母親から差し入れられたゲーム専門誌や、自弁で購入したエロ漫画などを読んでいました。また、その他自由時間ではビデオ鑑賞をし、アニメ作品やスポーツなどを見ていました。

そして、監獄内にいる受刑者の 徳性涵養のために講説する教誨師はつけず、支援団体の広報や宣伝の紙の受け取りも拒否していました。

早く死刑になりたかったので、自分のした行動を反省したり、懺悔したりするのが嫌だったからなのでしょうか。

法務大臣への”死刑執行を促す手紙”

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金川は、収監中は早期の死刑執行を要求する姿勢は変わりませんでした。なので、法務大臣あてに早期の死刑執行を要求する葉書を頻繁に送っていました。

その他にも死刑廃止を推進する議員の連盟が行っていた、死刑囚へのアンケートでも重ねて早期の死刑執行を要求していました。

元々、自分が死にたくて人を殺した犯人ですから、死刑になりたくて仕方がなかったのでしょう。しかし、生きている時にしっかりと反省出来る期間があった方が良かったですが、金川は拒否をしていました。

平成25年2月21日、死刑執行

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そして、事件の発生から約5年後となる2013年(平成25年)2月21日に、法務省が発した死刑執行命令により、東京拘置所にて金川の死刑が執行されました。

執行されたのは、金川が29歳の時でした。それにより、金川の人生に幕が閉じたのです。なお同じ日には、奈良小1女児殺害事件を起こした犯人・名古屋市中区で発生したスナックバー経営者殺害事件を起こした犯人の死刑囚計2人を含めて、計3人の死刑囚に刑が執行されていました。

土浦連続殺傷事件の犯人の生い立ち

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自分が死にたい為に沢山の人を無差別に襲撃した金川ですが、今までどういう人生を送ってきたのでしょうか。生い立ちについて紹介していきます。

家族構成

Architecture Family House Front - Free photo on Pixabay (708467)

金川家の家族構成は、両親と弟、そして2人の妹の6人家族で、ごく一般的な家庭でした。その家族に、金川真大は、1983年10月に生まれます。

金川が幼い頃から父親は仕事での転勤が多く、真大は上海、ニューオーリンズを経て4歳で日本に帰国しました。真大の父親は高卒で外務省のノンキャリアで、母親は11歳下の専業主婦でした。

真大が小さい頃父親は、真大に過度の期待をしていました。しかし、小学校3年生を過ぎた事から真大の学業の成績が振るわなくなってきます。

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