2019年12月29日 更新

横浜バラバラ殺人事件の概要とは?残忍な犯行手口と犯人の生い立ち

残忍な殺人が行われた横浜バラバラ殺人事件。この事件においてはその部分だけがよく注目されております。しかし、その点だけでは言い表せない死刑にまつわる様々な人間感情が存在しております。それらをあらゆる情報を元にお届けして参ります。

目次

近藤剛郎に認められるため積極的に参加した

China Village Asia - Free photo on Pixabay (344587)

Iは裏社会でのし上がろうとしていたのは間違い無いものであり、その上でまずは近藤剛郎に認められる必要がありました。ですから、覚醒剤の密輸をなんとか成功させることや、殺人依頼に受けることは、彼なりの麻薬王への道であったのであります。

その先には、近藤剛郎から覚醒剤の密輸の利権を譲り受け、麻薬王と同様の舞台に上がるということが思い描かれていたことでしょう。しかし、それはあまりに身勝手なものであり、Iの死刑に繋がった動機でありました。

横浜バラバラ強盗殺人事件の裁判の様子

Fishing Boat Sea Port - Free photo on Pixabay (344588)

ここまでの項で横浜バラバラ殺人事件に関する情報の殆どをお伝えいたしましたが、どのようにIや犯行グループが逮捕され、裁判が開かれ、死刑に至ったかについてはご紹介できておりません。

Iは事件当時の精神状態から裁判に至るまでに、一般的な人間感情を取り戻し、己の罪を認め、裁判では何一つ偽ることなく全てを話しました。また、法廷ではいかなる刑にも服すると述べたのであります。

事件が起こった理由や事件当時の情報も大切ではありますが、それよりも事件後の死刑までのいきさつの方が横浜バラバラ殺人事件のなんたるかを表したものとなります。

2009年覚せい剤取締法違反で逮捕

Beach Ocean Shoreline - Free image on Pixabay (344589)

覚せい剤取締法違反でI含む犯行グループ8名が逮捕されました。その時点で近藤剛郎だけは逮捕されずに、指名手配という状態になりました。この覚せい剤取締法違反においての裁判は、のちに開かれて、犯行グループ8名のそれぞれに刑が科せられました。

そして、横浜バラバラ殺人事件に関しても8名の起訴となったようであり、事件に加害者側として関わった人数はI含む8名と近藤剛郎であるということになります。その横浜バラバラ殺人事件に関しては、Iの自供によってその全容が判明することになりました。

覚せい剤取締法違反で逮捕され強盗殺人を自供

Kauai Hawaii Island - Free photo on Pixabay (344590)

すでに遺体も発見されており、警察の調べも進んでいたことがあって自供がなくとも、Iの凶行は明るみになっていたことでしょう。しかし、全ての事実を知るためには、Iの自供がなくしては成り立たなかったとも言えます。

このことから、不明瞭であった横浜バラバラ殺人事件が、どれほどの残忍な犯行であるかということが発覚し、世間の目も注目することになったのであります。そして、Iや犯行グループの面々の余罪が次々に明らかになります。

2009年10月死体遺棄容疑で再逮捕

Mountain Landscape Scenery - Free photo on Pixabay (344591)

まずは死体を遺棄したことに対しての事実確認がとれ、その件に関わったIと犯行グループの面々が逮捕されました。既に覚せい剤取締法違反で逮捕されておりますし、ここからは容疑が固まり次第、即逮捕という流れになります。

死体遺棄に関してはIのみではなく、犯行グループの面々も関わったものであり、こちらも後の裁判でそれぞれに刑が科せられております。Iに至っては、重すぎる罪であり、一つ一つ罪を問うよりも、無期か死刑かとなりました。

2009年11月強盗殺人容疑で再逮捕

Rainforest River Water - Free photo on Pixabay (344593)

2009年11月11日にIは強盗殺人容疑で再逮捕されることになりました。被害者達を殺害したことだけではなく、1300万円を奪い取った事実も明らかとなり、横浜バラバラ殺人事件においての最たる罪が表に出て来たのであります。

このことにより、横浜バラバラ殺人事件は近藤剛郎を除いては解決への道を進み始めました。ただし、被害者側の家族や加害者側の家族にとっては、いつまでも終わらぬ事件ではあります。しかし、このことは精神的なけじめの一つであることは確かであります。

Iは9件の罪に問われる

Torrent Water Momentum - Free photo on Pixabay (344594)

強盗殺人、殺人、死体損壊、死体遺棄、逮捕監禁という横浜バラバラ殺人事件においての罪と、覚せい剤取締法違反、関税法違反、公務執行妨害、傷害という多くの罪に問われることとなりました。横浜バラバラ殺人事件がなかったとしても、重大な犯罪行為を行っていたことは間違い無いものであります。

しかし、Iに死刑判決が下されたことについての最も大きい要因は、やはり残虐な殺害にあり、横浜バラバラ殺人事件においての罪が大きくのしかかっています。さらに多数の罪がのしかかり、このような多くの罪を抱えて生きて行くのは、非常に困難であります。

2009年12月共犯者を国際手配

Sa Pa Occupational Rehabilitation - Free photo on Pixabay (344595)

近藤剛郎は実際に手をくだしてはいないのですが、Iが犯した罪の全ての元であります。ですから、Iよりももっと多くの罪が科されることになります。

近藤剛郎はIの残虐な殺害方法を指示したということはなかったのでしょうが、それを起こさせるに十分な要因を作ったことには変わりなく、逮捕されれば、極刑となることは免れないでしょう。

それを理解しているかについては定かではないものの、彼はどこまでも逃走し続けることに変わりはありません。そのため、警察が逮捕できるかどうかはわからぬものの、近藤剛郎が捕まらない限り横浜バラバラ殺人事件に終わりは訪れません。

2010年11月犯行を認め反省の態度を示す

Sea View Boat Greece - Free photo on Pixabay (344596)

2010年11月1日に横浜地裁で初公判が開かれました。この裁判においてのIは、終始に渡って己の罪を認め、嘘偽りなく全てのことを話ました。また、法定ではいかなる刑にも服すると述べ、死刑であったとしてもそれを受け入れることを伝えたのであります。

裁判ではあまりに残虐な殺害の様子やそのことによって、解体された被害者の遺体、Iの身勝手な動機などが語られる中、Iは人間感情を持って全てに受け答えしました。その誠実な様子のIと事件当時の非道なIとの差異によって、裁判に関わったものが、無期か死刑を決めるのは大変に難しいものとなりました。

Iに死刑判決

Vietnam Ha Giang Street - Free photo on Pixabay (344597)

Iは間違い無く、事件当時の考えを捨てて、一般人が持つ常識と人間感情を取り戻していました。しかし、己の意志で行った殺人であり、その殺人がこれまでにないほど残虐であったこと。これらがIを減刑にすることを拒むものとなりました。

被害者家族の感情も、推し量り、日本社会においての誤った認識を起こさないためにも、Iは死刑になりました。この裁判の判決が出たあと、裁判長より、重大な結論であり、裁判所としては控訴することを勧めるという異例の言葉が、Iに伝えられました。

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