2019年12月29日 更新

横浜バラバラ殺人事件の概要とは?残忍な犯行手口と犯人の生い立ち

残忍な殺人が行われた横浜バラバラ殺人事件。この事件においてはその部分だけがよく注目されております。しかし、その点だけでは言い表せない死刑にまつわる様々な人間感情が存在しております。それらをあらゆる情報を元にお届けして参ります。

目次

近藤剛郎に出会い覚せい剤密輸

Beach Sea Island - Free photo on Pixabay (344577)

Iと近藤剛郎の付き合いがどの程度であったかは知る由もありません。しかし、2009年に開始された覚醒剤の密輸、その運び屋のまとめ役としてIは、犯行グループに所属していました。ですから、少なくとも近藤剛郎とは、半年程度の関係性はあったということになります。

その長さであれば、まだ互いを信用しきってはいない状態であり、力関係上、Iが自身の実力以上のことしなければならなかったことでしょう。そうしなければ、養育費を払うのもままならなかったと考えられます。

事件当時は岩盤浴店の店長

Sky Moon Skyscape - Free image on Pixabay (344578)

事件当時には、岩盤浴店の雇われ店長であったという情報はネットでよく見掛けますが、その点についての詳しい情報を示した資料はありません。例えば、近藤剛郎や暴力団の息がかかっていたというような噂も見当たらないものになっています。

覚醒剤の密輸が上手くいっているのであれば、このような仕事を兼業する必要はないものであります。しかし、Iが関わった覚醒剤の密輸はどれも成功しておらず、裁判で「密輸の報酬で生活していた」というIの証言を考えると、密輸で得ていた報酬はそう多くなく、ギリギリか、むしろ足りないくらいの状況であったのではないかと考えられます。

ですから、岩盤浴店の雇われ店長はそうした少ない収入を補填するためのものであったことでしょう。

近藤剛郎の生い立ち

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横浜バラバラ殺人事件においての発端を作ったのが近藤剛郎であります。彼がI含む犯行グループ7名に殺害依頼をしなければ、このような凄惨な事件は発生することはありませんでした。ですから、この事件において最も罪深いと言えるのでありますが、近藤剛郎は未だ逃走中であります。

そのため、今の彼についての詳細は依然として判明しておりませんが、彼の過去についての情報は存在しているようであります。こちらも、信用できる文章からなるものではありませんので、噂としての情報であることをご了承下さい。

元早稲田大学法学部

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近藤剛郎は早稲田大学の法学部に在籍していたそうですが、2008年に除籍となっているようであります。このことで、彼が法律に詳しく、その知識を犯罪行為を行うのに役立てていたと考えられているようです。

事実、犯罪グループを組織し、覚醒剤の密輸で稼ぐことを目的とした活動を行っていたのですから、それを可能とする知識と資金を持っていたことは間違い無いでしょう。

彼がどれ程の犯罪を犯したかについては様々な噂が存在しておりますが、覚醒剤の密輸や殺人について以外の情報は確たる証拠がないものでありますし、どれほどの犯罪を犯していたかは掴めません。

麻薬密輸グループを複数束ねる?

Waterfall Pond Dark - Free photo on Pixabay (344581)

近藤剛郎の犯罪行為で明らかとなっているのは、横浜バラバラ殺人事件で浮かび上がった、覚醒剤の密輸と殺人であります。そして、覚醒剤の密輸に関して、複数のグループを束ねていた情報はありません。

また、麻薬を扱ったという情報もよくネットには流れていますが、その事実があるかどうかは、確認できる資料がありません。ですから、近藤剛郎の余罪については未だ判明していないことばかりなのであります。

しかし、横浜バラバラ殺人事件は、元暴力団の組員とのトラブルによって起こったものであり、その道においての活動は行っていたと考えて間違い無いでしょう。ですから、近藤剛郎は裏社会ではそれなりに経験を積んでいたと考えられます。

麻雀店を経営するも被害者の一人に経営権を奪われる

Vietnam Ha Giang Street - Free photo on Pixabay (344582)

近藤剛郎は元麻雀店の経営者で、被害者にその経営権を奪われるということがあったようであります。被害者のどちらも、元暴力団の組員でありますし、真っ当な手段であったかは解らぬものの、その報復が死であったことで、横浜バラバラ殺人事件は発生したのであります。

このことについての詳細は、まずは近藤剛郎が逮捕されなければ、知ることはできないでしょう。それは、殺人依頼をされたIを含む犯行グループの8名は、この麻雀店の経営を巡るトラブルに直接には関わっていないからであります。

ですから、近藤剛郎を除いて知って居る人間は、亡くなった被害者の2人しかいないのです。

Iに被害者2名の殺害を依頼

Nature Landscape Panorama - Free photo on Pixabay (344583)

近藤剛郎は自らの手を汚さずに、I含む8名の犯行グループに殺人依頼をすることで、麻雀店の経営者である二人の被害者とのトラブルを解決することを目論みました。そのため、I含む8名の犯行グループはこの時点では、麻雀店の経営者達となんの関わりもなかったことになります。

つまり、初対面であの凄惨な殺人事件が起こってしまったのであります。近藤剛郎は他者に任せることで、痛みを負わず、Iは近藤剛郎に責任があると考え、無責任な心持ちがあったことでしょう。それも横浜バラバラ殺人事件が悪質なものになった要因であります。

事件の背景

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横浜バラバラ殺人事件についてのこれまでのご紹介から、事件の流れについての情報は一通りお届けすることができましたが、その背景にあったものについての話も、この事件にとっては重要であります。

裁判においても、Iの人とは思えぬ冷酷さがどこから産まれたのかについては、問題にあげられ、その答えに繋がる情報は、I自身の口から説明されております。それは「アメリカン・ギャングスター」という映画であり、この映画の影響を受けて、裏社会でのし上がることにIは躍起になっていたのであります。

そのような事件の背景にある情報をお届けします。

麻雀店経営権を取り戻すため殺害を依頼

Clouds Dawn Vietnam - Free photo on Pixabay (344585)

いくら上司と言える近藤剛郎の依頼であっても、殺人を許容するIの精神は通常ではありません。なぜ、その殺害依頼を受けたかということを考えると、まずはIが裏社会でのし上がろうとしたこと、相手が元暴力団の組員であったことなどがあげられます。

つまり、通常ではないシチュエーションと、自身の躍進を願うばかりに殺人依頼を受け、さらに己の能力を誇示するために残虐な行為に走ったと考えられます。社会で上手くいかず、金の工面にも困って、最早まともな精神ではいられなかった。それが、Iの凶行の要因であります。

Iは麻薬王に憧れていた

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Iは裁判において、自らの行為を認め、嘘偽りなく全てを語りました。その際に1970年代のニューヨークを舞台にした、実在の麻薬王を描いた映画「アメリカン・ギャングスター」の主人公に対しての憧れがあったことを証言しました。

その主人公は東南アジアから大規模な密輸を行っており、近藤剛郎から覚醒剤の密輸に誘われたIは、その主人公と自身を重ねたようであります。そして、その陶酔が殺人をも肯定してしまうものになったのです。

裁判において、その映画を知る検察官から、主人公が最後にどうなったかと尋ねられたときに、Iは麻薬王のわびしい晩年を説明しました。

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