2019年12月29日 更新

横浜バラバラ殺人事件の概要とは?残忍な犯行手口と犯人の生い立ち

残忍な殺人が行われた横浜バラバラ殺人事件。この事件においてはその部分だけがよく注目されております。しかし、その点だけでは言い表せない死刑にまつわる様々な人間感情が存在しております。それらをあらゆる情報を元にお届けして参ります。

目次

横浜バラバラ強盗殺人事件の概要

Meteora Rock Sunset - Free photo on Pixabay (344538)

まず、はじめに。この事件はとても残虐であり、真っ当な常識と人を思いやる心がある一般市民にとっては過激であり、許しがたい事実が存在しております。このような、記事を扱うライターであっても心苦しさから、ペンを握る手が重くなるものであります。

ですから、ご閲覧に当たっては、心の準備の他に、途中でも気分が悪くなったのであれば、すぐさまに中止することをご考慮ください。その上で、この事件がどのようなものであり、どういう経緯を経て、解決への道を進んだかをご確認下さい。

それでは、裁判員裁判で初の死刑判決、死刑確定となった、横浜バラバラ強盗殺人事件についての情報をご紹介します。

2009年6月犯行グループとIは、被害者2名を呼び出し監禁

Sky Clouds Sun - Free photo on Pixabay (344539)

横浜バラバラ強盗殺人事件は、ベトナムなどから覚醒剤の密輸を行っていた、犯行グループの8名の内の一人であるIと、そのIに殺害を依頼した共犯によって、引き起こされた事件であります。

Iと犯行グループの面々に加え、その共犯が、歌舞伎町の麻雀店経営者の男性2名を、千葉県船橋市内のホテルに呼び出し、監禁しました。

そのときに被害者となった男性二名を、残虐な方法で殺したばかりか、その内の一人の男性から、1300万円というお金を奪い去いさったものであります。

被害者1人の首を切断

Sea Vacancy Sand - Free photo on Pixabay (344540)

横浜バラバラ強盗殺人事件においての、実行犯であるIの残虐性を決定付けたのが、この殺害方法であります。

麻雀店の実質の経営者である会社員の男性の命乞いや、「殺してからにしてくれ」などのせめてもの懇願をことごとく受け入れず、被害者の指を数えながら切り落とし、最後には生きたまま首を切り落としたと言われております。

創作のストーリーなどでこのような状況は目にすることもあります。しかし、それが現実で起こったとするならば、これほど胸が痛いことはありません。

被害者1人を刺殺

Blizzard Snow Woman Winter - Free photo on Pixabay (344541)

殺害された順序に確定的な情報はありませんが、もう一人の被害者は、生きたまま首を切り落とされた被害者とは違い、刺殺され、殺されたようであります。

生きたまま首を落とされた被害者については、裁判における傍聴記録から事件当時の詳細が解るのでありますが、刺殺された被害者の事件当時の様子を表した情報は少ないようであります。

これはIの冷酷非道さがいかなるものであったかを示すために、必要な情報であったからこそ、生きたまま首を落とされた被害者の様子が争点にあがったのであり、刺殺された被害者の様子についてを検証していないということではありません。ただ、その情報が世間的に広まることはなかっただけであります。
Tree Lake Reflection - Free photo on Pixabay (344518)

刺殺された被害者は、麻雀店の経営者であったそうです。

そのことで、もう一人の被害者である会社員の男性との差異が、どれ程であったかは知りようがないものの、残虐的な殺し方をされなかった理由については、それが原因であると言われているようであります。

あとは想像するしかありませんが、刺殺といえど、痛みは十分のものであったでしょうし、恐ろしい犯行には変わりないものであります。また、死後にバラバラにされたのも確かでありますし、ここに残虐性がなかったということにはなりません。

遺体をバラバラに切断し山梨県の山間部に遺棄

Architecture Industry Factory - Free photo on Pixabay (344542)

遺体を解体し、どこかに隠すという行為は、犯行を隠すことが目的となります。それは、突然の事故のような殺人においても行われてしまうものであります。しかし、この横浜バラバラ殺人事件においては、殺人する目的があり、なおかつ隠蔽も当然のように行われたのであります。

つまり計画的であり、非常に悪質な犯罪行為であったということであります。

まして、生きたままその解体作業を行うという残虐さは、想像し難いものであります。その解体された遺体は横浜港や山梨県の山中に遺棄されました。このような周到さから、犯行を行ったIが、その後もどれほど冷静であったかをうかがえるものであります。

2009年「遺体のようなものが流れている」という通報

Frozen Hoarfrost Ice - Free photo on Pixabay (344543)

2009年の6月に、横浜市金沢区幸浦2丁目で、岸壁にて男性の遺体が発見されたようであります。このことから、横浜バラバラ殺人事件が世に知れ渡ることとなりました。

最初に見付かったのが遺体の下半身であり、解体された死体を見付けた方の心中は、さぞ心苦しいものであったでしょう。しかし、この事件はバラバラ殺人事件であり、これだけで終わることはありませんでした。海に遺棄された被害者の身体の一つ一つが徐々に発見されていくのであります。

1件目の通報の翌日再度通報が入る

Landscape Sky Clouds - Free image on Pixabay (344544)

初めの通報があった翌日にも、遺体がまた発見されました。それは、二つの頭部であり、そこで、男性のものと推定されました。その後も右足がない下半身、結束バンドで固定された両手首が発見されたのであります。

それらの遺体から、殺害された被害者が2名であることが判明しました。その後、山梨県でも胴体が発見され、他の遺体と合わせて、死亡解剖が行われたことにより、ノコギリと鋭利な刃物で切断されたという事実が、浮かび上がったようです。

被害者は麻雀店経営者男性(当時28歳)

Scenery Silk Terraces Mu Cang Chai - Free photo on Pixabay (344545)

当時、28歳の被害者は、東京都世田谷区の麻雀店の経営者であり、元暴力団の組員であったそうです。もう一人の被害者とは知人であり、麻雀店の経営者ではあるものの、その知人が実質の経営者だったと言われております。

被害者でありますし、犯人達よりも情報は少ないものとなっております。しかし、被害者が狙われた理由は判明しております。それは横浜バラバラ強盗殺人事件において、殺人依頼を出した近藤剛郎が、元の麻雀店の経営者であったことに起因します。

被害者達は麻雀店の経営を巡って、近藤剛郎と揉めたことにより、殺人依頼を受けたIによって、殺害されたのであります。こちらの被害者は刺殺され殺害され、生きたまま首を切り落とされた被害者とは違い、事件当日の様子については不明瞭であります。

2人目の被害者は会社員男性(当時36歳)

Turtle Landscape - Free photo on Pixabay (344546)

もう一人の被害者は、神奈川県大和市の会社員でありながら、事件の起因となった麻雀店の実質的な経営者であったと言われております。彼も元暴力団の組員であり、その繋がりから麻雀店の経営に関わったと考えられます。

被害者が直接、横浜バラバラ強盗殺人事件の共犯者である近藤剛郎にどれほどの恨みを買っていたかは解りません。しかし、Iに生きたまま首を切り落とされており、その残虐な殺し方から、近藤剛郎の恨みのほどを想像することだけはできます。

しかして、Iの裁判において、その事実を取り上げた文章は見付からず、近藤剛郎が捕まらぬ限り被害者達との関係性がはっきりとすることはないでしょう。

1 / 8

関連する記事 こんな記事も人気です♪