2019年9月23日 更新

勝田清孝事件の詳細や裁判の様子!史上最悪の連続殺人事件の真相とは

勝田清孝という人物をご存知でしょうか。勝田清孝は、日本でも最悪な連続殺人犯です。ここまでは勝田清孝がどういった犯罪を行って史上最悪と言われいるかなど紹介します。生い立ちや連続殺人事件の詳細や逮捕されてからの裁判の様子なども紹介していきます。

目次

残虐なシリアルキラー「勝田清孝」

Death Cute Mascot - Free vector graphic on Pixabay (634377)

勝田清孝は、逮捕後に22件の殺人を自供し、窃盗や空き巣については300件~400件は行っていたとも言われる、至上最悪のシリコンキラーです。

22件の殺人を自供しましたが、実際に立件出来たのは、8件のみで残りの14面件は確証がないと立件はされませんでした。被害にあってしまった遺族の方は報われない話ではあります。

勝田清孝は1972年~1983年までの約10年間にわたり、凶悪犯罪を繰り返してきましたが、どういう犯行を行ってきたのか、どういう人物だったのか紹介していきます。

勝田清孝事件の概要

Potatoes Ketchup Murder - Free photo on Pixabay (634385)

勝田清孝がおこした事件は、【勝田清孝事件】として、様々な自供や捜査資料が沢山残っています。勝田清孝という人物がどういった事件を起こしてきたか、紹介していきます。

10年間にも及んだ連続殺人事件

Psycho Shower Scene - Free vector graphic on Pixabay (634399)

勝田清孝は、東海地方・近畿地方などで8人を殺害 した連続殺人事件です。犯行も捕まらないことを理由にどんどんエスカレートしていきました。勝田の凶行で命を落としたのは8人とされています。

ただしこれは、立件されて刑が確定した犯行だけです。勝田は実際には22人もの人を殺害したと自供しています。8件以外の残りの14件の殺人については、証拠が不十分の為、迷宮入りになっています。勝田と被害者の接点がない事が、事件が未解決事件となってしまった一つの要因かもしれないです。

勝田には傷害事件の前科があった

Gun Gangster Mafia - Free photo on Pixabay (634402)

勝田は、逮捕される前にも傷害事件などを度々冒してして、逮捕されていて前科がある人でした。しかし、逮捕されるのが車上荒らしをしているときだったので、逮捕されても軽い刑で見逃されていました。

車上荒らしが危険な連続殺人犯とは警察も想像していなかったのでしょう。昔から勝田は、虚栄心が強く他人とぶつかる事も頻繁にあったそうです。その為、自分の身の丈に合わない高い物が欲しいという欲求もあり常にお金が足りず、犯行に及んでいました。

強盗などを含めた犯罪件数は300件にも及ぶ

Skate Apocalyptic Doomsday - Free photo on Pixabay (634407)

勝田は、連続殺人の他にも沢山の窃盗や強盗などの犯罪も行っていました。その数はなんと300件以上にも上ります。一部では、500件は行っていたという報道もあります。

こんなに犯行をしていては、すぐ犯人が特定出来そうなものですが、出来なかった要因としては、事件当時はマイカーが急速に庶民に広がった時代で、犯人が車を使い広範囲に渡り犯行を行うだろうという想定が出来ていなかった事にあります。

また同時に、事件が他の府県にまたがっていた為に、県警間で情報をシェアをする事が出来なかった事も要因として考えられます。

勝田清孝の連続殺人事件

Internet Crime Cyber - Free image on Pixabay (634412)

上記でもお伝えしましたが、勝田清孝は連続殺人を引き起こした人物です。では、具体的にどういった事件を起こしてきたのか、紹介していきます。

強盗及び強姦の事件が最初

Fear Woman Stop Violence Against - Free photo on Pixabay (634419)

勝田は、小さい頃から酷い虚栄心と浪費癖があり、常にお金がなく借金を抱え続ける生活を続けていました。なので、常に空き巣や窃盗などを頻繁に起こしていました。

そのような生活を続けていて、ついに1972年9月13日に、京都市東山区でホステスの女性宅に窃盗の目的で不法侵入します。しかし、その家に住む女性に見つかってしまい、女性を性的に犯した後、絞殺しました。これが一番最初の殺人事件でした。

この事件で、勝田は特に罪悪感に苛まれることはなく、長距離ドライバーのアルバイトを始めて、県外でも空き巣の犯罪を繰り返しました。

クラブママを強盗殺人

Crime Scene Chalk Outline - Free vector graphic on Pixabay (634429)

一番最初の殺人事件後の約3年後の1975年7月6日に、大阪府吹田市のクラブ経営者の女性のハンドバックを窃盗しようとしましたが、女性に気付かれ、抵抗された為にロープで首を絞めて殺害します。この女性には、殺害前に車が邪魔だと注意された事に腹が立ち、それでひったくりをしようとしたそうです。

当然この事件は、計画的な犯行ではなく、激情に駆られての犯行だったため、遺体をどうしようかと悩みます。悩んだ結果、証拠隠滅のため、死体を運んだ被害者の車であるフェアレディーZを燃やしたり、女性の遺体を農業用の池に無造作に捨てました。

この事件で、勝田は女性から10万円を奪いました。

ホステスを強盗殺人

Potatoes Knife Ketchup - Free photo on Pixabay (634435)

次は1976年3月5日に、愛知県名古屋市のホステスの女性を殺害します。殺害された女性は、若い女性高い外車に乗っていた為、ターゲットになってしまったようです。

そのまま車で後をつけ、女性が自宅らしき場所で車を停めて降りてきたので駆けより、ハンドバッグを引ったくろうとしましたが、これも失敗に終わり、騒がれたので絞殺します。この時は、現金12万円を強奪しています。

こちらも遺体をその女性の車に乗せて自分で運転し、遺体は田んぼに捨て、車は15kmほど離れた所に放置しました。この際に勝田は変質者の仕業に見せかけようと思いつきます。

その方法として、警察の捜査を撹乱させるため、被害女性の陰部にススキの穂を差し込みました。この事件は、稀代の猟奇事件・「カマロ事件」(被害の女性の車がカマロだった為)として世間を揺るがすことになりました。

空き巣後に玄関先で遭遇した人を絞殺

Detective Crime Scene Dagger - Free photo on Pixabay (634442)

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