2019年9月23日 更新

勝田清孝事件の詳細や裁判の様子!史上最悪の連続殺人事件の真相とは

勝田清孝という人物をご存知でしょうか。勝田清孝は、日本でも最悪な連続殺人犯です。ここまでは勝田清孝がどういった犯罪を行って史上最悪と言われいるかなど紹介します。生い立ちや連続殺人事件の詳細や逮捕されてからの裁判の様子なども紹介していきます。

目次

さらに翌年の1977年6月30日に、名古屋市南区の麻雀荘店の女性店員宅に、女性が鍵をかけずに、ドアから立ち去ったのを見た勝田はすぐにこの家に忍び込み、家具の中から4万円を見つけました。

現金を見つける事が出来た為、逃げようとしたところ、この女性が運悪く帰ってきてしまい、バッタリと出くわしました。その女性が大声を上げたために、家の中に引っ張り込み、家の中にあったヒモ状のもので首を絞めて殺しました。

連続殺人の期間中はクイズ番組に出演

Camera Photos Photograph Polaroid - Free photo on Pixabay (635037)

こんな連続殺人を起こしている最中でしたが、勝田は朝日放送の「夫婦でドンピシャ」という番組に出演していたことが分かっています。

この番組で妻の体重の分だけ買い物ができて、その的中率を争う番組で賞金8万円と商品券10万円を手にしたといいます。勝田はかねてからこの番組に応募してしていたようです。

番組内では「僕は(女は)痩せ型の方を好むんですわ。妻は、顔は毎日見飽きてるけど、スタイルは100人中10番で合格ですわ。」と、のろける一面などを見せ、夫婦の良さを見せていました。勝田は裏では数々の殺人を起こしていた異常者でしたが、表では明るい平凡な亭主でした。

美容師指導員の女性を殺害

Skulls Genocide Murder - Free photo on Pixabay (634458)

また、同年の8月、名古屋市昭和区の女性が住むマンションに空き巣が出来るかどうかの下見で立ち寄ったところ、すぐ前のドアが開き、一人の女性に「あんた誰?何してんの?」と不審がられます。

それをヤバいと感じたため、この女性に襲いかかり、その女性の部屋の中でパンストで女性の首を絞めて殺害しました。遺体は発見を遅らせる為にベッドと壁の隙間に隠し、物色したところ、45万円相当のダイヤの指輪を奪って逃走しました。

男性を強盗しその後銃殺

Soldier Uniform Army - Free photo on Pixabay (634463)

この頃には、強奪殺害は5人目になり、その後始めての銃を使用した、殺人を起こすようになります。また事件自体もか弱い女性から、銃で脅せることようになったため、大金を持っている男性へとターゲットがシフトしていきます。

はじめて起こしたのは、1977年12月13日午後5時過ぎ、兵庫県神戸市葺合区脇浜町のビル通路で猟銃を使用し、現金輸送中だった「兵庫労働金庫神戸東支店」店員の男性を撃ち、現金410万円を奪い、逃走します。

ちなみにこの事件で使用された猟銃は、奈良県天理市の銃砲店の前に駐車している車から盗んだもので、このときの犯行に使ったトラックは、名古屋市の青果会社の駐車場から盗んだものでした。

撃たれた男性は、左肩から肺にかけて散弾が30数発が入っており、男性は2日後に出血多量で死亡しました。

銃で脅し24万円を奪い逃走(強盗のみ)

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1980年2月15日、勝田が31歳のとき、名古屋市瑞穂区で、瀬戸信金瑞穂通支店職員の男性を散弾銃で脅して、約24万円が入った鞄などを奪って逃走しました。

ここでは、銃で脅した強奪したもので殺害をした事はありませんでした。しかし、ここで勝田はより銃を用いることで簡単に人を従わせる事が出来ることができ、大金を奪うことができると分かったため、犯行もどんどんエスカレートしていきます。罪悪感などはなかったそうです。

スーパーで商品券などを奪い男性射殺

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そして、1980年7月31日、名古屋市名東区のスーパー「中部松坂屋ストア」の男性店長を駐車場で帰宅しようと車の運転席にいたところを散弾銃で脅しました。

その後事務所に連行し、金庫を開けさせ、総額576万円余りの現金と商品券合わせて580万円を奪いました。奪ったあとは、脅した男性に運転をさせ、中区にある車庫に止めたところで、男性店長が抵抗しました。

抵抗をしたため、散弾銃を胸にめがけて一発発射し、店長の男性は出血多量で死亡しました。散弾は前年の12月8日に名古屋市内の車のトランクから盗んだもので、散弾銃については、12月29日に名古屋市内の猟銃愛好家の自宅から盗んだものでした。

その他にも銃や車を盗む等の事件がある

Crime Criminal Murder - Free image on Pixabay (634475)

上記の事件の他にも、銃や車を盗まれる事件は発生していました。その全ての事件で勝田が関わっていたかは、判明していません。しかし、容疑が立証出来ていない事件がある以上、全く関わりがなかったとは言い切れません。

勝田はこのような非道な連続殺人を犯しいたのに、勝田に容疑がかからなかったのは、被害者がホステスということもあり、相手側には不倫や浮気などの複雑な人間関係や問題が存在していた為、警察の疑いは被害者の交流関係の捜査に目が向けられていたことがあります。

また、勝田が衝動的に犯行を起こしていた為、勝田と被害者との間に直接的な接点が無かったことなどが大きい要因でしょう。

逆上や抵抗をされ殺人することが多い

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勝田は、なんとなく相手の言われた事にイライラしたやちょっと犯行を見られて殺人することが多いです。殺害をするまで、ちょっと考えたりや殺してしまってどうしようかなど、深く考えてからの犯行はしていません。

人を殺すことに全く罪悪感がないようで、犯行を繰り返してしまう人物であると想像できます。そういった人物だからこそ、ここまでの事件を引き起こすことが出来たのでしょう。

実際に立証できない事件も含めると、かなりの人数を手にかけていることから、相当な異常者ではないでしょうか。

警察官を襲撃した113号事件

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勝田の事件と言えば、警察官を襲撃した113号事件が一番有名です。警察官を襲い、重症を負わせるなど非道な犯行でも有名です。どういった事件だったのか、紐解いていきます。

トヨタ・セリカを盗む

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1982年10月25日頃、勝田は名古屋市中区付近の駐車場に駐車されていた車のトヨタ・セリカを盗み出します。このトヨタ・セリカは当時21歳で名古屋大学の3年生のものでした。

車を奪った理由は、また新たな犯行を実施しようと企てていたのでしょう。逃走用の手段などがなければすぐにまた捕まってしまいます。もうこの頃の勝田はすでに多数の殺人や窃盗をしていて、罪悪感やこれはなってはいけないことだという気持ちもなかったのです。

偽名をなのり警察署へ電話

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