2019年9月23日 更新

勝田清孝事件の詳細や裁判の様子!史上最悪の連続殺人事件の真相とは

勝田清孝という人物をご存知でしょうか。勝田清孝は、日本でも最悪な連続殺人犯です。ここまでは勝田清孝がどういった犯罪を行って史上最悪と言われいるかなど紹介します。生い立ちや連続殺人事件の詳細や逮捕されてからの裁判の様子なども紹介していきます。

目次

勝田のかいた遺書

Writing Pen Man - Free photo on Pixabay (634863)

勝田は、死刑判決が正式に出る前、死刑判決反対派の支援者の来栖宥子の実母(藤原姓)と養子縁組していました。そうした事で「藤原清孝」となり、来栖は勝田の義理の姉となっていました。

そして、勝田は死刑執行当日、死刑執行を伝えられたあと、僧侶らから遺言を書いてはどうかと勧められます。しかし勝田は、初めは遺書を書こうとしませんでした。しかし、僧侶らに説得され、刑場の隣の部屋で2つの遺言書を書きました。

そのうち1通は、実の両親に対して感謝の言葉などが書かれており、もう1通には義理の姉に対して、自らの遺骨・所有物は全て残さず、拘置所で焼却処分して欲しいというものでした。

勝田の遺骨

Skull And Crossbones Bone - Free image on Pixabay (634875)

勝田の遺言では、遺骨・所有物については、拘置所で焼却処分して欲しいとの事でした。しかし、カトリック信者の義姉は死刑執行後に勝田の遺体を引き取ります。そして、教会にてキリスト教式の通夜を行いました。

そして、勝田の葬儀は2000年12月2日に名古屋市内の斎場で執り行なわれ、義姉の他にもキリスト教会の関係者ら約20人が参列しました。勝田の遺体はその後火葬され、遺骨については岡山県内にある義姉の実家の墓に納骨されました。

勝田清孝の生い立ち

Book Read Old - Free photo on Pixabay (634879)

ここでは、勝田清孝の生い立ちについて紹介します。勝田清孝は、どういう人間だったのか見ていきましょう。

裕福な家の長男として生まれる

Baby Sleeping Girl - Free photo on Pixabay (634884)

勝田清孝は1948年8月29日に、京都府相楽郡木津町鹿背山(現・木津川市鹿背山)の集落で、農家の長男として生まれました。生まれた家は比較的裕福な家庭だったといいます。

両親は共働きで忙しく、多忙であったために、孤独と感じることは多かったようです。そのため、近所の人のお手伝いをしたりしていて、近所では評判の良い子供時代でした。しかし、この際にお手伝いをした対価として駄賃をもらったりして、金銭に対する執着を養ったようです。

売店荒らしなどの犯罪を行っていた

Hacker Kopûšon Light - Free photo on Pixabay (634894)

勝田清孝は、高校時代にはもうすでに素行は荒れていたようです。高校(京都府立木津高校農業科に通っていました)では吹奏楽部に所属しており、お小遣いの多い部員と張り合うために、校内食堂で食券を盗んで友人らにおごったりしていました。

また、他にも車両の窃盗や、盗品の販売、バイクを走行中の女性に対して、頭を竹の棒で殴打して金品を奪うなどのひったくり、車上荒らし、売店荒らしなどの犯罪を働いたりしていました。

高校時代に逮捕の経験も

Taxes Tax Evasion Police - Free photo on Pixabay (634905)

高校在学中には、すでに女性に対するひったくりの現行犯で逮捕の経験があり、大阪府の和泉少年院に送致されました。それと同時に高校は退学処分となりました。この事件のときで、高校2年生でした。

また、逮捕される際には、警察の家宅捜索が入り、家の屋根裏部屋より盗品数十点が発見されました。それにより、普段からひったくりや強盗をしていたのが明るみに出ることになりました。

この事件により、今まで自分に無関心だと思われた父親が面会にきます。その父親が田畑を売り、被害者への弁済にあてたことを知って全うに生きようと決意します。

女性との結婚を考えるも両家から批判

Criticism Write A Review - Free photo on Pixabay (634916)

少年院には約7か月間いました。仮退院後は、父親に紹介された自動車部品会社に就職し、父親の面子を潰してはいけないと懸命に働いたそうです。

しかし、会社の同僚の財布がなくなるという事件があり、この事件で勝田は犯人扱いを受けてしまいます。その後この窃盗自体の罪は晴れますが、同僚からいじめを受けるようになり、退職してしまいます。

その後も少年院の経歴がいじめの原因になり、職に就いては長続きしない時期が続きました。そんな時、1歳年下の女性と付き合い、結婚を考えます。

しかし、女性の両親には「少年院帰りのやつとは一緒にはできない」と断られ、自身の両親も「家の格が違う」と反対されます。

駆け落ちし結婚

Bride Marry Wedding Red - Free photo on Pixabay (634929)

結婚を反対されましたが、どうしても一緒になりたい2人は、大阪府へ駆け落ちしました。その後、結婚をするにあたって新しい仕事を探していた勝田は、当時給料の良かった運送会社への就職を決めます。当時、免許のなかった勝田はトラックの免許を取得し、長距離運転のドライバーとして働き始めました。

奈良県の運送会社で働き始めた後に両家の承諾を得て結婚し、男の子が二人生まれました。勝田は、結婚をした妻に楽をさせたいという思いと、運送屋として独立するという夢があったそうです。

しかし、一生懸命働いていた矢先、隣町で女性が暴行・殺害されてしまうという事件が起きてしまいます。当時の警察は、少年院に入院上がりの勝田に容疑をかけて、会社に事情聴取に訪れます。

最終的には勝田は犯人ではないことが証明されましたが、会社に少年院にいたという過去が全社員に知られてしまい退職を余儀なくされ、クビになってしまいます。

消防職員採用試験に合格

Firefighter Fire Portrait - Free photo on Pixabay (634937)

就職先を再び失ってしまったことを心配した父親が、自らのコネを利用して、消防士の試験を受けてみないかと話を持ってきます。しかし勝田は地元で就職することに、抵抗を持っていました。

しかしその心配をよそに、23歳で受けた消防職員採用試験に合格してしまいます。ただ、父親のコネでの採用の為、同僚からの目は冷たかったそうです。勝田は以前の会社ように同僚からのいじめを恐れ、日々同僚に奢ったりなど恩を売って人間関係を作ろうとしました。その為、すぐにお金には困る事になりました。

仕事ぶりは真面目で、救難救助訓練の東近畿大会に連続で出場を果たし、全国大会にも3年連続で出場するなど、高く評価されていました。

しかし、愛人や車などでも金遣いが荒く、借金の穴埋めのために長距離輸送のアルバイトを始め、空き巣も始めるようになっていました。

その間にホステスを中心に事件を起こす

Bar Barmaid Barman - Free photo on Pixabay (634951)

昼間は真面目で頼りにされる消防士、夜は空き巣なども繰り返す犯罪者の生活を続けていました。消防士で良い成績を上げても劇的に給料が上がるというわけではなく、常にお金が足りなかった勝田には、空き巣は不可欠で頻繁に繰り返していました。

そんな時、勝田はホステスなどの水商売の女性のバッグには、大金が入っていることが多いことに気づきます。それに目を付けた勝田は、クラブのホステスを狙い、ひったくりを繰り返すようになります。

6 / 7

関連する記事 こんな記事も人気です♪