目次
- 名古屋アベック殺人事件とは?
- 事件の犯人について
- 実行犯で主犯格の少年A
- 実行犯で準主犯格の少年B
- 成人男性C
- 少年D
- 少女E子
- 少女F子
- 名古屋アベック殺人事件詳細
- 被害者カップルがドライブデートへ
- 男女6人グループが車を襲撃
- 車外に連れ出し激しい暴行
- 2人を拉致監禁
- 男性被害者の殺害
- 女性被害者の殺害
- 山中に死体遺棄
- 事件の捜査について
- 名古屋市港区では少年犯罪が多発していた
- 逮捕の決め手となったのは?
- 未成年の加害者に初めての死刑判決?
- 犯人たちのその後と現在
- 少年A
- 少年B
- 成人男性C
- 少年D
- 少女E子
- 少女F子
- 被害者家族のその後と現在
- 男性の父親
- 女性の母親
- 犯人たちの被害者遺族への対応
- 少年A
- 少年B
- 成人男性C
- 少年D
- 少女E子
- 少女F子
- 少年犯罪について考えさせられる事件
名古屋アベック殺人事件とは?
名古屋アベック殺人事件とは、1988年(昭和63年)に愛知県名古屋市緑区で発生した、殺人及び集団強姦事件です。
被害者2人がアベックだったこと、事件発生場所の名古屋を取って「名古屋アベック殺人事件」と呼ばれています。
被害者2人がアベックだったこと、事件発生場所の名古屋を取って「名古屋アベック殺人事件」と呼ばれています。
2人の命を弄び、長時間にわたる暴行の末、事件が発覚するのを恐れて殺害するという残虐さと、犯行を行ったのが未成年の少年グループだったことから日本社会に衝撃を与えた事件となりました。
一部のマスコミが当時未成年だった加害者少年の実名報道をしたことで話題となった事件でもあります。
一部のマスコミが当時未成年だった加害者少年の実名報道をしたことで話題となった事件でもあります。
事件の犯人について
名古屋アベック事件が世間から注目された理由のひとつが、加害者6人中5人が当時未成年だったということです。
唯一の成人も当時20歳で、ほとんどの加害者が未成年の少年少女たちによる集団暴行事件は世間に衝撃を与えました。
唯一の成人も当時20歳で、ほとんどの加害者が未成年の少年少女たちによる集団暴行事件は世間に衝撃を与えました。
また、未成年にとって人の命はどう映っているのかを考えさせられる事件でもありました。
この事件の加害者として逮捕・起訴され有罪判決を受けた6人の生い立ちや犯罪歴などをひとりずつ紹介していきます。
この事件の加害者として逮捕・起訴され有罪判決を受けた6人の生い立ちや犯罪歴などをひとりずつ紹介していきます。
実行犯で主犯格の少年A
実行犯であり、主犯の少年Aは当時19歳でした。長野県に昭和43年8月20日次男として生まれ、厳格な父のもと生活していました。
アベック殺人事件以前にも、窃盗事件や不審火事件を起こすなどして問題児だったことが裁判で明らかになりました。
アベック殺人事件以前にも、窃盗事件や不審火事件を起こすなどして問題児だったことが裁判で明らかになりました。
弟が暴力団に拉致され弟を助けに暴力団事務所に乗り込んだ際、弟を開放する条件として少年Aが暴力団入りを求められたことにより組入りを行います。
Aは暴力団に入れば楽な生活ができると考え、組員が集まる場所に出入りするようになりそこで事件のメンバーでもある少年BとC、Cの彼女だったE子と出会うこととなりました。
Aは暴力団に入れば楽な生活ができると考え、組員が集まる場所に出入りするようになりそこで事件のメンバーでもある少年BとC、Cの彼女だったE子と出会うこととなりました。
実行犯で準主犯格の少年B
準主犯格とされる少年Bは、当時17歳でした。名古屋市熱田区に昭和46年2月5日長男として誕生します。
当時の父親の仕事がうまくいっておらず、一家で経済的に困窮しており給食費が払えなかったことでクラスメイトからいじめにあうようになります。
当時の父親の仕事がうまくいっておらず、一家で経済的に困窮しており給食費が払えなかったことでクラスメイトからいじめにあうようになります。
父親から「売られた喧嘩は買え。喧嘩をするなら負けるな」といわれたり、多少の問題行動については放任された生活を送っていました。
女性に振られたことがきっかけで不良となり窃盗や空き巣などを繰り返し、また、女性にもてるという理由で暴力団の構成員になりA・C・E子の3人と知り合いになりました。
女性に振られたことがきっかけで不良となり窃盗や空き巣などを繰り返し、また、女性にもてるという理由で暴力団の構成員になりA・C・E子の3人と知り合いになりました。
成人男性C
加害者唯一の成人男性であるCは、鹿児島県に昭和43年1月27日に長男として生まれました。幼くして両親が離婚したために、愛知県にいる祖母に引き取られ暮らしていました。
小学3年生のころから不登校になり、店からおもちゃを窃盗して窃盗事件を起こしていました。
小学3年生のころから不登校になり、店からおもちゃを窃盗して窃盗事件を起こしていました。
中学卒業を機に、実母と養父、姉と4人で生活し始めますが、義父との折り合いが悪く家を飛び出し職を転々とします。
養父に自分の荷物を質屋に入れられたことで、養父・実母に失望し不良少年集団とうるむようになります。そのころにDと出会い、知人の紹介で暴力団の構成員となりました。
養父に自分の荷物を質屋に入れられたことで、養父・実母に失望し不良少年集団とうるむようになります。そのころにDと出会い、知人の紹介で暴力団の構成員となりました。
少年D
無職だった少年Dは当時19歳でした。名古屋市瑞穂区に昭和44年4月26日長男として誕生します。
幼いころに両親は離婚しており。母親に養育されて育ちました。家では長男として家庭の中心にならなければとの意識を持ち続けていました。
幼いころに両親は離婚しており。母親に養育されて育ちました。家では長男として家庭の中心にならなければとの意識を持ち続けていました。
中学に入ってからは不良と行動を共にするようになり、窃盗や恐喝を行い名古屋地裁で不処分となっています。
18歳の頃にA・B・C・E子らと出会い、「暴力団組員になれば住居と食事が確保できる」と考え暴力団組員の舎弟となりました。
18歳の頃にA・B・C・E子らと出会い、「暴力団組員になれば住居と食事が確保できる」と考え暴力団組員の舎弟となりました。
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