目次
- 復興した江戸しぐさは嘘?
- 江戸しぐさとは
- 江戸時代の商人・町人のマナー
- 秘伝として口伝えで伝承されており江戸っ子はみんなやっていた
- 組織の弾圧や虐殺によって江戸しぐさの文献や描写が残っていない
- 一人の生き残りとして小林和雄が復興
- マナー講座や道徳授業などに用いられている
- 復興された江戸しぐさ捏造説
- 江戸時代の生活にそぐわない
- 資料が全く存在せず学問的な検証に耐えられない
- 江戸しぐさの存在を主張する人の言い分が首尾一貫していない
- 具体的な江戸しぐさの例とその矛盾点
- 傘かしげ
- こぶし腰浮かせ
- 時泥棒
- 逆らいしぐさ
- ロク
- 江戸しぐさが道徳教育として取り入れられた経緯
- 2004年に公共広告機構に取り上げられて注目を浴びる
- 越川禮子の著作が注目される
- 企業のマナー講習や教育現場に進出
- 文科省認可の教科書に江戸しぐさが取り上げられる
- 原田実「江戸しぐさの正体」による批判
- 他に紹介されている江戸しぐさ一覧
- うかつあやまり
- お心肥やし
- おはようには、おはよう
- 肩引き
- 喫煙しぐさ
- 七三の道
- 束の間のつき合い
- 念入れしぐさ
- 陽に生きる
- もったい大事
- 横切りしぐさ
- 嘘でも本当でも江戸しぐさには学ぶべき部分がある
江戸しぐさは、江戸時代の商人・町人のネットワークの中で伝承されていったマナーであるとされています。しかし、江戸しぐさの存在を証明する文献資料は皆無であり、学問的な検証は不可能です。
江戸しぐさの存在を信じる人たちは、時の政府によって文献資料が燃やされてしまったから資料がないのであり、不自然なことではないと主張しています。
江戸しぐさの存在を信じる人たちは、時の政府によって文献資料が燃やされてしまったから資料がないのであり、不自然なことではないと主張しています。
via pixabay.com
しかし、江戸時代に江戸っ子の間で広く親しまていたマナーの資料がどこにも残っていないというのは、やはり不自然です。直接的な資料がなくとも、落語や俳句などにそのような文化が描かれるはずですが、江戸しぐさに関連する記述は見当たりません。
江戸しぐさは、学問的な検証に耐えうるものではないのです。実際に、歴史学者や民俗学者からはまともに相手にされていません。
江戸しぐさは、学問的な検証に耐えうるものではないのです。実際に、歴史学者や民俗学者からはまともに相手にされていません。
江戸しぐさの存在を主張する人の言い分が首尾一貫していない
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先に解説した通り、江戸しぐさは戦後、小林和雄によって復興され、越川禮子が中心となって普及させたマナーです。江戸しぐさの存在は、小林や越川の主張による部分が大きいのですが、彼らの主張が首尾一貫していないという批判があります。
江戸しぐさ衰退の理由は、政府による江戸っ子虐殺であるという説はすでに解説した通りです。しかし、江戸しぐさを復興した小林は、政府による虐殺などということは言っていません。
江戸しぐさ衰退の理由は、政府による江戸っ子虐殺であるという説はすでに解説した通りです。しかし、江戸しぐさを復興した小林は、政府による虐殺などということは言っていません。
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小林は、江戸しぐさ衰退の理由を「明治時代に入って江戸っ子自身が自ら語らなくなってしまったため」と説明しており、江戸っ子虐殺などという話は出てきません。
しかし、江戸しぐさの普及に努めている越川は、政府による虐殺説を主張しており、師と弟子で主張が異なってます。他にも小林と越川で主張が異なる点が多々あり、多くの人から批判されています。
しかし、江戸しぐさの普及に努めている越川は、政府による虐殺説を主張しており、師と弟子で主張が異なってます。他にも小林と越川で主張が異なる点が多々あり、多くの人から批判されています。
具体的な江戸しぐさの例とその矛盾点
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江戸しぐさとされているマナーは多数ありますが、それらのマナーが江戸時代に存在していたとすると、明らかにおかしい点があるという批判もあります。
具体的な江戸しぐさの例とその矛盾点について解説します。
具体的な江戸しぐさの例とその矛盾点について解説します。
傘かしげ
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最も有名な江戸しぐさと言われているのが、「傘かしげ」という所作です。傘かしげとは、傘を差して道を歩いている際に、同じく傘を差している人とすれ違うときに傘を外側に傾けてぬれないようにするという所作のことです。
このマナー自体は確かに良いことですが、江戸時代の文化とは明らかに矛盾する点があります。そもそも江戸時代の傘は高級品であり、庶民が簡単に手を出せる代物ではありませんでした。
このマナー自体は確かに良いことですが、江戸時代の文化とは明らかに矛盾する点があります。そもそも江戸時代の傘は高級品であり、庶民が簡単に手を出せる代物ではありませんでした。
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江戸時代に一般的だった雨具は傘ではなく、笠(頭に被る日よけ、雨よけ)や蓑(藁で作られた雨よけで衣服の上にまとう)だったため、このようなマナーが江戸に存在したとは考えにくいという批判があります。
また、江戸時代の狭い路地で傘を傾けてしまうと逆に歩きづらくなってしまうため、むしろ迷惑なのではないかという指摘もあります。
また、江戸時代の狭い路地で傘を傾けてしまうと逆に歩きづらくなってしまうため、むしろ迷惑なのではないかという指摘もあります。
こぶし腰浮かせ
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「こぶし腰浮かせ」とは、乗り物に乗る際にこぶし1つ分を空けて座るマナーのことです。江戸時代の狭い舟に乗る際に、後から座る人のスペースを確保するという意味があり、現代の電車内でのマナーにも適用できます。
ただし、このようなマナーが江戸時代に存在していたとは考えられないという批判があります。江戸時代の舟にはそもそも座席がなかったため、このようなマナーがあってもほとんど役に立たないというのです。
むしろこのマナーは、電車のように長い座席のある乗り物が存在する現代こそ有効なため、現代人による創作・捏造だと批判されています。
ただし、このようなマナーが江戸時代に存在していたとは考えられないという批判があります。江戸時代の舟にはそもそも座席がなかったため、このようなマナーがあってもほとんど役に立たないというのです。
むしろこのマナーは、電車のように長い座席のある乗り物が存在する現代こそ有効なため、現代人による創作・捏造だと批判されています。
時泥棒
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先に少しだけ触れた「時泥棒」というマナーを具体的に解説しましょう。時泥棒とは、突然相手を訪問すると相手の時間を奪ってしまって相手に失礼なので、必ず事前に約束を取り付けるというマナーです。
しかし、繰り返しになりますが、江戸時代の時間感覚は現代の時間感覚よりも相当ルーズです。江戸時代の時の数え方は不定時法(日の出から日の入りまでを12で割って1時間の長さを算出する方法)であり、季節によって時間の長さが全く違っていました。
しかし、繰り返しになりますが、江戸時代の時間感覚は現代の時間感覚よりも相当ルーズです。江戸時代の時の数え方は不定時法(日の出から日の入りまでを12で割って1時間の長さを算出する方法)であり、季節によって時間の長さが全く違っていました。
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時計も普及しておらず、人々が時間を正確に知る手段もない江戸時代に、このようなマナーが存在したとは考えにくいと批判されています。
日本で時間を正確に守ることを良しとするマナーが生まれたのは、明治以降です。政府主導で時間についての教育が行われた結果、このようなマナーが生まれたと考えられています。
日本で時間を正確に守ることを良しとするマナーが生まれたのは、明治以降です。政府主導で時間についての教育が行われた結果、このようなマナーが生まれたと考えられています。
逆らいしぐさ
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逆らいしぐさとは、年長者の教えに対して逆らうような言葉や態度のことです。江戸時代の商人の間では、このようなしぐさは厳禁であり、年長者を敬っていたとされています。
年長者を敬うことを良しとする考えは、現代にもあります。しかし、厳しい商売の世界で、年長者の教えに逆らってはいけないなどという考えが本当に通用するのかどうかという批判があります。
年長者を敬うことを良しとする考えは、現代にもあります。しかし、厳しい商売の世界で、年長者の教えに逆らってはいけないなどという考えが本当に通用するのかどうかという批判があります。
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そもそも年長者を敬うという考えは、儒教の影響を強く受けたものです。江戸時代以前は、仏教の僧侶などによって学ばれており、江戸時代以降は武士の基礎教養となりました。商人ではなく、僧侶や武士などの教養ある身分の考えです。
明治以降に広く庶民に教育が普及した結果、このようなマナーが生まれたとされており、江戸時代の庶民にはない考えであると批判されています。
明治以降に広く庶民に教育が普及した結果、このようなマナーが生まれたとされており、江戸時代の庶民にはない考えであると批判されています。
ロク
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