2019年9月6日 更新

アヨツィナパの43人とは?イグアラ市学生集団失踪事件の発端とその後も

メキシコである日突然、普通の学生6人が殺害され43人が集団失踪するという意味のわからない事件が起きたのですが、その犯人が...なんと!この43人は「アヨツィナパの43人」と呼ばれ「イグアラ市学生集団失踪事件」とも呼ばれ、今でも捜索されてています。

目次

アヨツィナパ教員養成大学生が、再びいきなり銃撃を受け、バスから強制的に降ろされ、43人がパトカーにのせられ連行された頃、チルパンシンゴ市とイグアラ市間の高速道路で、別の武装グループが1台のバスを銃撃していました。

そのバスには、メキシコサッカー第3リーグのチーム、チルパンシンゴ市の『アビスポネス』の選手たちが乗車していました。この銃撃により1人のサッカー選手、バスの運転手、タクシーの女性乗客1人が死亡しました。

6人以上が死亡し57人が行方不明となった

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9月26日、イグアラ市でアヨツィナパ教員養成大学生とイグアラ市警察の間で、同時に2回の衝突が起きており、この衝突で6人が死亡し、57名の学生が行方不明になっていました。

アヨツィナパ教員養成大学生43人は、イグアラ市警の公安部幹部のフランシスコ・サルガド・バジャダレスによる指示で警察車両に乗せられ隣町のコクラ警察署に勾留されていました。そして、コクラ警察署の副署長から麻薬犯罪組織『ゲレーロス・ウニドス』に後始末という『殺人』を依頼されたとされています。

後日13人は無事発見される

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衝突の原因がなかなかはっきりしないままでしたが、銃撃され行方不明となっていたアヨツィナパ教員養成大学生のうちの13人はやがて無事発見されました。しかし、拉致されパトカーに乗せられた43人の学生の行方はわからないままでした。

警察側からの発砲で6人の学生が命を落としたことで、イグアラ市の市長と警察署長が責任を問われ召喚されましたが、彼らは姿を消してしまいました。

そして、メキシコの司法長官により「9月26日の衝突と43人の学生の行方不明の裏にイグアラ市長がいる」という情報が発表されました。

学生と警察の衝突理由

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学生と警察が衝突した理由も明確になっていない部分があります。メキシコの左翼学生と警察は非常に悪いのは、昨日今日始まったことではないからです。

なぜ、イグアラ市学生集団失踪事件でアヨツィナパ教員養成大学生43人が選ばれ、行方不明とされる殺人が行われたのでしょうか?理由がわからないままなので、解決の糸口が見つけられていないまま事件が風化されていっているようです。ここでは考えられる衝突理由をご紹介していきます。

学校への助成金をめぐるトラブル

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アヨツィナパ教員養成大学は、政府から援助を得ていないので資金が足りないことが当たり前になっており、それを不満とする事に対してデモを行うことが習慣になっており伝統的に続いていました。

1968年の学生弾圧追悼デモのために、毎年10月2日にメキシコ市でデモが開催されますが、問題の2014年9月26日も、アヨツィナパ教員養成大学生は同じような目的で5台のバスに乗り込んだとされています。

当然ながらバス会社も了解の上のことであったため、当初考えられたようなアヨツィナパ師範学校の学生達に対する政治的弾圧事件ではなく、イグアラ市から学校への助成金をめぐるトラブルだともされました。

学生がバスを盗もうとした

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メキシコ市では毎年政府に対する抗議集会が開かれていましたが、ゲレロ州の教員養成大学は、伝統的に「貧しい農村部出身の若者を積極的に入学させる」という方針で、多くの左翼活動家を輩出してきており、大学生たちはバス会社から運転手付きでバスを無賃で借りデモに出かけることが日常茶飯事でした。

問題の2014年9月26日も、学生たちは学校への助成金を巡るデモのための募金活動もしていました。バス会社の了解を得て、複数のバスを借りていくところでしたから「学生がバスを盗もうとしたから」という理由はありません。

腐敗する警察への抗議または政府に関するイベントの妨害

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アヨツィナパ教員養成大学生たちは、警察の腐敗に抗議するために、わざわざティクストラ市にあるアヨツィナパからバスで約30分かけてチルパンシンゴ市まで、さらに州都のチルパンシンゴ市からイグアラ市までバスで約1時間半かけて、デモやイベントや助成金を巡るデモのための募金活動に向かいました。

なので「警察または政府に関するにまつわる何らかのイベントを妨害し、腐敗する警察への抗議しようとしており、そこで衝突が起きた」ということも考えられますが、しょっちゅうあることでしたのでこれが初めてではありませんでした。

2011年に起きた抗議デモへの報復

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2011年12月12日、ゲレロ州の州都チルパンシンゴで、いつもの左翼学生による抗議デモ中に、ゲレロ州のアヨツィナパ教員養成大学生と警察が衝突し、警察から銃撃された学生2名が命を落としました。

国立人権委員会は、12月12日の殺人事件に関して調査を行い「デモに介入したゲレロ州政府の職員168人は、学生の集会をする自由の権利を侵害し、デモ隊を犯罪者に対するように扱った」「デモに介入した警察官は武器を所持していたのに対し、参加者たちは武器を何も携帯していなかった」と詳細に述べ報告されていました。

しかし、2名の男子学生の死に関して、デモに介入したゲレロ州政府の職員への処罰は加えられていなかったのです。この事件も、新たなデモを引き起こす種になっていました。

警察の対応への批判

Cop Policewoman Colleagues - Free photo on Pixabay (590154)

今までも、国民の生活にとって警察が頼りにならない存在であることから、数々のデモや衝突が行われてきていましたが、イグアラ市学生集団失踪事件での学生と警察の衝突から、今までよりさらに大きい規模で国内外から多くの批判が集まっています。

全くの非武装である学生に対して、なぜ一方的に銃撃し、逮捕し、殺害してしまったのでしょうか?警察は、そこまでのリスクを犯してまで、何を守り隠したかったのでしょうか?その理由をご紹介していきます。

学生は武器を所持していなかった

Gun Hands Black - Free photo on Pixabay (590155)

アヨツィナパカ教員養成大学の教室では、ルシオカバナスバリエントス、ジェナロバスケスロハス、オトンサラザールなどの重要人物が教育を受け、このような社会指導者の歴史の影響を受けることで、ゲリラ紛争の温床になっていました。

行方不明の43人のうちの一人『Cabañas』はメキシコのゲレロの南東に顕著な存在を持つゲリラ組織『貧しい党』のリーダーでした。

しかし、アヨツィナパ教員養成大学生は、貧しい家庭出身の男子学生たちしかおらず、学校は学校は政府から援助を得ていないため資金が足りず、武器など買うお金もありませんでした。

警察は一方的に突如攻撃を始めた

Police Bogota Riot - Free photo on Pixabay (590158)

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