目次
- 東大阪集団暴行殺人事件とは
- 東大阪集団暴行殺人事件の概要
- 発端は藤本翔士と徳満優多の喧嘩
- 徳満優多と佐藤勇樹が藤本翔士たちからリンチされる
- 小林竜司は徳満優多と佐藤勇樹を助けるために事件を起こす
- 【第一の事件】東大阪集団暴行殺人事件のキッカケとなった大喧嘩
- 徳満優多が友人の藤本翔士の恋人と親しくなっていった
- 藤本翔士と徳満優多の大喧嘩が起きる
- 勝利を収めた藤本翔士は徳満優多を別の場所に呼び出した
- 【第二の事件】東大阪集団暴行殺人事件の原因となったリンチ事件
- 徳満優多と友人の佐藤勇樹が到着すると藤本翔士は仲間を集めて待っていた
- 徳満優多と佐藤勇樹は5人からリンチされる
- 暴力団の影をチラつかせさらに50万円を要求した
- 【第三の事件】東大阪集団暴行殺人事件の詳細
- 徳満優多たちは主犯となる小林竜司と広畑智規に相談
- 小林竜司は警察に行こうとしたが広畑智規がリンチすることを決断
- 小林竜司と広畑智規は藤本翔士たちを岡山に呼び寄せた
- 藤本翔士と岩上哲也たちへのリンチが始まる
- 藤本翔士を生き埋めにする
- 藤本翔士の友人である会社員を殺人に加担させた
- 小林竜司は暴力団の知り合いに相談をする
- 岩上哲也も生き埋めにした
- 現場に居合わせた会社員が警察に行き事件が発覚
- 小林竜司は逃亡し指名手配された
- 後日母親とともに小林竜司は自首した
- 生き埋めにされた2人の遺体が発見された
- リンチをした9人も逮捕された
- 東大阪集団暴行殺人事件の裁判・判決【小林竜司】
- 公判前に精神鑑定を求めるが却下される
- 裁判中は礼儀正しい態度で裁判官を驚かせた
- 仲間の裁判でも積極的に証言した
- 一審で死刑判決を受けるが上告する
- その後死刑が確定する
- 情状酌量の余地があったのではと今でも議論になることが多い
- 東大阪集団暴行殺人事件の裁判・判決【広畑智規】
- 広畑智規は無期懲役
- 主犯格と判断されこの事件では二番目に重い罪となった
- 小林竜司に罪を背負わせるために口裏わせをしていたことも発覚
- 東大阪集団暴行殺人事件の裁判・判決【その他の人物】
- 徳満優多は懲役11年
- 佐藤勇樹は懲役8年
- 白銀資大は懲役20年
- 佐山大志は懲役7年
- 東大阪集団暴行殺人事件の犯人である小林竜司の生い立ち
- 父親から虐待を受けていた
- 学校でもイジメを受けていた
- 中学で佐藤勇樹と同級生になる
- 母親のことが大好きだった
- 事件当時は無職で高校を中退し大学も行っていなかった
- 東大阪集団暴行殺人事件の被害者
- 意見陳述で被害者家族は「全員を死刑にしてほしい」と述べた
- 世間では被害者への風当たりも強かった
- 東大阪集団暴行殺人事件のその後
- 小林竜司は大阪拘置所に収監されている
- 小林の母親は生活保護を受けながらも遺族にお金を送金しているという話も
- 小林竜司が書いた絵が公開された
- 絵の内容から精神が不安定になっていることが予測される
- 東大阪集団暴行殺人事件で注目された集団心理の法則
- 道徳性が低下する
- シンプルな思考になる
- 感情的になりやすくなる
- 暗示にかかりやすくなる
- 大阪集団暴行殺人事件は集団心理が引き起こした事件なのか?
- 小林竜司の証言「暴行しているうちに歯止めがきかなくなった」
- 徳満と佐藤は暴行をためらっていたが一度暴行を始めると止まらなくなった
- 小林竜司が仲間に暴行をするように発破をかけていた
- 徳満と佐藤はこれ以上やったらまずいと思っていたが言い出せなかった
- 東大阪集団暴行殺人事件が社会に与えた影響
- 集団心理の怖さを再認識させた
- 井筒和幸監督がこの事件を元にして映画を作った
- 死刑判決は重過ぎるという意見
- 小林竜司と文通していた岡崎正尚が「慈悲と天秤」を出版
- 東大阪集団暴行殺人事件のような事件を二度と起こしてはいけない
徳満優多には、懲役11年が言い渡されました。
そもそも今回の集団殺人事件の発端は、彼が起こした出来事から始まっていますが、被害者の殺害に関して、小林の指示のもと行ったことが認められたため、殺人罪に問われていないそうです。
徳満優多も藤本翔士の恋人にメールを送った時点で、その行動が、まさかこんな結末を迎えるとは当時の彼には全く想像できなかったことでしょう。
犯した罪を悔い改め、手にかけた2人に対して償うためにも、更生して真っ当に生きていってほしいです。
そもそも今回の集団殺人事件の発端は、彼が起こした出来事から始まっていますが、被害者の殺害に関して、小林の指示のもと行ったことが認められたため、殺人罪に問われていないそうです。
徳満優多も藤本翔士の恋人にメールを送った時点で、その行動が、まさかこんな結末を迎えるとは当時の彼には全く想像できなかったことでしょう。
犯した罪を悔い改め、手にかけた2人に対して償うためにも、更生して真っ当に生きていってほしいです。
佐藤勇樹は懲役8年
佐藤勇樹には、懲役8年が言い渡されます。こちらも被害者の殺害に関して、小林竜司の指示のもと行ったため、軽い刑で済んだようです。
しかし、佐藤勇樹の裁判での態度は、小林竜司の思いを裏切るようなものでした。なんと、小林竜司が怖くて自分も殺人に加担せざるを得なかったという発言をしているようでした。
しかし、佐藤勇樹の裁判での態度は、小林竜司の思いを裏切るようなものでした。なんと、小林竜司が怖くて自分も殺人に加担せざるを得なかったという発言をしているようでした。
白銀資大は懲役20年
白銀資大は、小林竜司や広畑智規が集めた報復メンバーの1人として集団リンチに加わり、容疑者に対して、直接的な暴行を働いたとされています。
白銀資大には、懲役20年の実刑判決が言い渡されています。自分の意志で積極的にリンチを行ったとして、白銀資大は佐藤や徳満よりも重い20年の刑罰となりました。
白銀資大には、懲役20年の実刑判決が言い渡されています。自分の意志で積極的にリンチを行ったとして、白銀資大は佐藤や徳満よりも重い20年の刑罰となりました。
佐山大志は懲役7年
佐山大志は、集団リンチを行っていた際に見張り役として参加していた人物です。
佐山大志については、懲役7年の判決でした。
これは、暴行には一切加わらず、目撃者などがいないか周囲を見張っていただけということで一番軽い刑罰となっています。
佐山大志については、懲役7年の判決でした。
これは、暴行には一切加わらず、目撃者などがいないか周囲を見張っていただけということで一番軽い刑罰となっています。
東大阪集団暴行殺人事件の犯人である小林竜司の生い立ち
東大阪集団リンチ事件の主犯格である小林竜司ですが、今回の殺人事件での犯行の残虐性は一体どのように生まれてきたのでしょうか?
ここでは、小林竜司の生い立ちを振り返りながら、小林竜司という人物像に迫っていきたいと思います。
ここでは、小林竜司の生い立ちを振り返りながら、小林竜司という人物像に迫っていきたいと思います。
父親から虐待を受けていた
小林竜司は、ギャンブル好きの両親の元に生まれました。
小林竜司には、弟が居たのですが、両親は常にギャンブルで自宅を留守にしていたため、面倒はすべて兄である小林竜司がみていたようです。両親のギャンブル好きは、ほとんど中毒患者といっていい程でした。
小林竜司は、父親から虐待を受けていたともいわれています。ギャンブルに狂った父親に叩かれたり、殴られたり、縛られて放り出されるといった事までされていたようです。
母親も夫に暴力を受けていたそうです。母親は暴力に耐えかねて、家を出ていったそうです。
それでも、小林竜司は、「良い兄」として自宅で弟たちの面倒を毎日見続けていたらしいです。
過酷な家庭環境の中でも、弟たちの面倒をみるという優しさは計り知れないです。
小林竜司には、弟が居たのですが、両親は常にギャンブルで自宅を留守にしていたため、面倒はすべて兄である小林竜司がみていたようです。両親のギャンブル好きは、ほとんど中毒患者といっていい程でした。
小林竜司は、父親から虐待を受けていたともいわれています。ギャンブルに狂った父親に叩かれたり、殴られたり、縛られて放り出されるといった事までされていたようです。
母親も夫に暴力を受けていたそうです。母親は暴力に耐えかねて、家を出ていったそうです。
それでも、小林竜司は、「良い兄」として自宅で弟たちの面倒を毎日見続けていたらしいです。
過酷な家庭環境の中でも、弟たちの面倒をみるという優しさは計り知れないです。
学校でもイジメを受けていた
小林竜司は、虐待を受けて育ち、さらに小、中学校では、いじめに遭っていたことが分かっています。
いじめの発端は、小林竜司が小学校の頃に、トイレに間に合わずに大便を漏らしてしまったことでした。
失敗を許さず、その失敗をいじめの原因とするというのは、子供の世界ではよくあることです。
小林竜司も漏らしたことで、このような辛い学生生活を送ることになったのでしょう。
いじめの発端は、小林竜司が小学校の頃に、トイレに間に合わずに大便を漏らしてしまったことでした。
失敗を許さず、その失敗をいじめの原因とするというのは、子供の世界ではよくあることです。
小林竜司も漏らしたことで、このような辛い学生生活を送ることになったのでしょう。
中学で佐藤勇樹と同級生になる
小林竜司と佐藤勇樹は中学時代の同級生で、本当に仲が良かったといわれています。
そんな佐藤勇樹から相談を持ち掛けられたということが、小林竜司の中では大きかったのかもしれません。
彼が弟や母親に向ける愛情の深さをみると、彼は自分の大切な人間を大切にする気質があるようです。
最初は佐藤勇樹を「助けたい」という気持ちが強かったのかもしれません。
そんな佐藤勇樹から相談を持ち掛けられたということが、小林竜司の中では大きかったのかもしれません。
彼が弟や母親に向ける愛情の深さをみると、彼は自分の大切な人間を大切にする気質があるようです。
最初は佐藤勇樹を「助けたい」という気持ちが強かったのかもしれません。
母親のことが大好きだった
小林竜司は、母親に対して深い愛情を抱いていたようです。
もちろん、母親も父親同様、ギャンブル中毒であり、家のことはほったらかしでギャンブルにのめり込むような人でした。
しかし、そんな母親でも小林竜司にとって、母親の存在はとても大きなものだったようです。
父親から虐待を受けていた小林竜司ですが、母親は彼に対して、そういった虐待行為は行っていなかったそうです。同じ親でも、手を出さない母親の存在は、小林竜司にとって生きる理由そのものだったかもしれませんね。
出頭前に小林竜司は、母親に対して「母さんの子で幸せでした」というメールを送っており、警察に向かう途中には、「死刑以外なら、また会えるから長生きしてほしい」と言っていたそうです。
やはり、小林竜司は母親のことが大好きだったようですね。
次に小林竜司の名前を聞くのは、死刑執行の後となる可能性が高そうです。大好きな母親にかけた迷惑を考えれば小林竜司も自分がやったことを後悔しているのではないでしょうか。
もちろん、母親も父親同様、ギャンブル中毒であり、家のことはほったらかしでギャンブルにのめり込むような人でした。
しかし、そんな母親でも小林竜司にとって、母親の存在はとても大きなものだったようです。
父親から虐待を受けていた小林竜司ですが、母親は彼に対して、そういった虐待行為は行っていなかったそうです。同じ親でも、手を出さない母親の存在は、小林竜司にとって生きる理由そのものだったかもしれませんね。
出頭前に小林竜司は、母親に対して「母さんの子で幸せでした」というメールを送っており、警察に向かう途中には、「死刑以外なら、また会えるから長生きしてほしい」と言っていたそうです。
やはり、小林竜司は母親のことが大好きだったようですね。
次に小林竜司の名前を聞くのは、死刑執行の後となる可能性が高そうです。大好きな母親にかけた迷惑を考えれば小林竜司も自分がやったことを後悔しているのではないでしょうか。
事件当時は無職で高校を中退し大学も行っていなかった
小林竜司は高校を中退し、大学も行っておらず、その後は定職にも就かず、事件当時は無職でした。
事件当時は無職だったようですが、以前には働いていたことはあるようです。
事件当時は無職だったようですが、以前には働いていたことはあるようです。
東大阪集団暴行殺人事件の被害者
5 / 8