2019年10月23日 更新

東大阪集団暴行殺人事件とは?犯人の小林竜司への判決は重過ぎる?

東大阪集団殺人事件をみなさんご存じでしょうか。若者のリンチにより残虐な殺し方で2人の若い命を落としました。その犯人は、9名に上り、うち1人は暴力団組員です。そんな事件の主犯格の小林竜司とは一体どういう人物だったのか、事件の全貌を検証していきたいと思います。

目次

徳満優多には、懲役11年が言い渡されました。

そもそも今回の集団殺人事件の発端は、彼が起こした出来事から始まっていますが、被害者の殺害に関して、小林の指示のもと行ったことが認められたため、殺人罪に問われていないそうです。

徳満優多も藤本翔士の恋人にメールを送った時点で、その行動が、まさかこんな結末を迎えるとは当時の彼には全く想像できなかったことでしょう。

犯した罪を悔い改め、手にかけた2人に対して償うためにも、更生して真っ当に生きていってほしいです。

佐藤勇樹は懲役8年

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佐藤勇樹には、懲役8年が言い渡されます。こちらも被害者の殺害に関して、小林竜司の指示のもと行ったため、軽い刑で済んだようです。

しかし、佐藤勇樹の裁判での態度は、小林竜司の思いを裏切るようなものでした。なんと、小林竜司が怖くて自分も殺人に加担せざるを得なかったという発言をしているようでした。

白銀資大は懲役20年

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白銀資大は、小林竜司や広畑智規が集めた報復メンバーの1人として集団リンチに加わり、容疑者に対して、直接的な暴行を働いたとされています。

白銀資大には、懲役20年の実刑判決が言い渡されています。自分の意志で積極的にリンチを行ったとして、白銀資大は佐藤や徳満よりも重い20年の刑罰となりました。

佐山大志は懲役7年

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佐山大志は、集団リンチを行っていた際に見張り役として参加していた人物です。

佐山大志については、懲役7年の判決でした。

これは、暴行には一切加わらず、目撃者などがいないか周囲を見張っていただけということで一番軽い刑罰となっています。

東大阪集団暴行殺人事件の犯人である小林竜司の生い立ち

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東大阪集団リンチ事件の主犯格である小林竜司ですが、今回の殺人事件での犯行の残虐性は一体どのように生まれてきたのでしょうか?

ここでは、小林竜司の生い立ちを振り返りながら、小林竜司という人物像に迫っていきたいと思います。

父親から虐待を受けていた

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小林竜司は、ギャンブル好きの両親の元に生まれました。

小林竜司には、弟が居たのですが、両親は常にギャンブルで自宅を留守にしていたため、面倒はすべて兄である小林竜司がみていたようです。両親のギャンブル好きは、ほとんど中毒患者といっていい程でした。

小林竜司は、父親から虐待を受けていたともいわれています。ギャンブルに狂った父親に叩かれたり、殴られたり、縛られて放り出されるといった事までされていたようです。

母親も夫に暴力を受けていたそうです。母親は暴力に耐えかねて、家を出ていったそうです。

それでも、小林竜司は、「良い兄」として自宅で弟たちの面倒を毎日見続けていたらしいです。

過酷な家庭環境の中でも、弟たちの面倒をみるという優しさは計り知れないです。

学校でもイジメを受けていた

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小林竜司は、虐待を受けて育ち、さらに小、中学校では、いじめに遭っていたことが分かっています。

いじめの発端は、小林竜司が小学校の頃に、トイレに間に合わずに大便を漏らしてしまったことでした。

失敗を許さず、その失敗をいじめの原因とするというのは、子供の世界ではよくあることです。

小林竜司も漏らしたことで、このような辛い学生生活を送ることになったのでしょう。

中学で佐藤勇樹と同級生になる

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小林竜司と佐藤勇樹は中学時代の同級生で、本当に仲が良かったといわれています。

そんな佐藤勇樹から相談を持ち掛けられたということが、小林竜司の中では大きかったのかもしれません。

彼が弟や母親に向ける愛情の深さをみると、彼は自分の大切な人間を大切にする気質があるようです。

最初は佐藤勇樹を「助けたい」という気持ちが強かったのかもしれません。

母親のことが大好きだった

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小林竜司は、母親に対して深い愛情を抱いていたようです。

もちろん、母親も父親同様、ギャンブル中毒であり、家のことはほったらかしでギャンブルにのめり込むような人でした。

しかし、そんな母親でも小林竜司にとって、母親の存在はとても大きなものだったようです。

父親から虐待を受けていた小林竜司ですが、母親は彼に対して、そういった虐待行為は行っていなかったそうです。同じ親でも、手を出さない母親の存在は、小林竜司にとって生きる理由そのものだったかもしれませんね。

出頭前に小林竜司は、母親に対して「母さんの子で幸せでした」というメールを送っており、警察に向かう途中には、「死刑以外なら、また会えるから長生きしてほしい」と言っていたそうです。

やはり、小林竜司は母親のことが大好きだったようですね。

次に小林竜司の名前を聞くのは、死刑執行の後となる可能性が高そうです。大好きな母親にかけた迷惑を考えれば小林竜司も自分がやったことを後悔しているのではないでしょうか。

事件当時は無職で高校を中退し大学も行っていなかった

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小林竜司は高校を中退し、大学も行っておらず、その後は定職にも就かず、事件当時は無職でした。

事件当時は無職だったようですが、以前には働いていたことはあるようです。

東大阪集団暴行殺人事件の被害者

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