2019年8月27日 更新

悪女と呼ばれた比嘉和子のアナタハンの女王事件とは?事件後の様子も

アナタハンの女王事件とは、日本から離れた孤島で究極状態に置かれた大量の日本人男性同士が起こしあった殺人事件です。その中に女性が一人いたことで、この悲劇が起こってしまいました。そして、帰還後にこの女性だけが日本中で注目され人生がガラッと変わってしまいました。

目次

男たちの死の連鎖は断ち切られましたが、今度は「殺し合いの原因は銃だけではない」「もとを正せば和子こそが争いの種だ」「和子がいると結局争いが起きる」と別の意見が出始め始めました。

みんなのいる前で2丁の銃は海に捨てられましたが、男たちが殺し合いをやめることがなかったので、結局「全ての元凶は和子にある」と言う話に収まり「和子を殺せば自分たちが殺し合いをすることがなくなる」ということになり、男たちは和子を処刑することに決めました。

比嘉和子の逃亡生活

Cat Hidden Wooden Barn - Free photo on Pixabay (582644)

今まで、毎日蝶よ花よともてはやされ、大いに女王のような生活を満喫していた和子は、ある日、一人の男からこっそり「殺されるぞ!逃げろ」告げられました。

自分が「島の男たちに処刑される」と知り、驚愕し島の中の森をがむしゃらに逃げ回りました。体中が傷だらけになりましたが、処刑されるよりはマシと考えながら必死に逃げ隠れしました。

森の中に隠れながら、いつ男たちに見つかるかもしれない殺されるかもしれないと不安な日々を過ごしながら、食べるものも食べることができないままの日々が続く過酷な生活を余儀なくされて、1カ月が経とうとしていました。

アメリカ船を発見

Sea Ocean Boat - Free photo on Pixabay (582645)

小さな孤島の中のジャングルの中で、一人ぼっちで心身ともに過酷な日々を過ごし和子はある日、日本軍投降のために米軍の捜査船が再び島の近海に現れたのを発見したのです!

和子は、近くに落ちていたパラシュートの布と枝を使って旗を作り、椰子の木に登って旗を大きく振りながら大きな声で「ヘルプミー!」と叫び続けました。

米軍の船員の一人が和子に気づき、ようやく和子は自分が処刑されるかもしれない恐怖から開放され、この恐ろしいアナタハン島から脱出することができました。

終結を信じない男たち

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帰国した和子は、事の詳細をマスコミや関係者たちに伝え、アナタハン島にいる日本の男たちの帰りを待つ日本にいる家族たちはそれぞれに手紙を書き、和子も一緒に駆け落ちした水夫で新しい夫になった男に手紙を書きました。

手紙はアナタハンという島に届けられましたが、またもや男たちは日本の敗戦を信じようとせず「これはアメリカの罠だ」と疑いました。

当時の日本は今と違い「日本はどの国にも負けるはずなどあるわけない」と教育されていたので、日本が敗戦したなどと信じることができなかったのです。

1人の男性が投降

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和子がアナタハン島に漂着した日本の男たちによる「和子争奪戦」を鎮めるために、長老のすすめで最後に再婚することになった水夫の夫が、和子からの手紙を読み「これは間違いなく妻の和子からの手紙だ」と確信しました。

この手紙を読むことにより「日本は本当に敗戦したのだ」と知ることになりました。今まで一度も負けを知らなかった日本が負けるとは夢にも思っていなかった男たちは、ようやく事実を知らされることになってしまい、和子の夫は投降することにしました。

和子の投降から約1年後全ての男たちが投降

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和子や日本のそれぞれの家族たちから、日本の敗戦を知らされる手紙や新聞を届けられ、ついに和子の夫が投降することとなり、和子の夫は他の男達にも投降しようと説得し始めました。

日本は負けて全てが終わったのです。ここに耐え忍び暮らしている理由がなくなりました。そして「このままここにいても、誰のためにもなんのためにもならない。日本で心配しているそれぞれの家族のもとに戻るほうが、すべての人にとって良い」という決断をし、和子の投降から約1年後に全ての男たちが投降しました。

奇跡の帰還は「混乱へ」

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アナタハン島の関係者の日本内地への帰還は「奇跡の生還」と言われました。しかし、わずか30名ほどの日本人が暮らしていたアナタハン島は無法地帯でもありました。

戦争も『殺人』ですが、たった一人の女性と数十名の男性が無法地帯の島に残されたことで、いまだに語り継がれる奇妙な事件が起こりました。

奇跡の帰還と言われたアナタハン島で暮らしたものの日本内地への帰還が、なぜ世間を混乱へ向かわせていくことになったのでしょうか?

全員戦死したと思われていた

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戦争時に「行方不明」とされた夫や婚約者を一生待ち続ける女性はいなかったでしょう。戦争時に「行方不明」とされたということは、いわゆるやわらかな言い方の「死別」を意味されたからです。

納得できるまで待つ人もいましたが、昔の結婚は今と違い「個人と個人」によるようなものではなく、家と家との契約というものでもあったので、泣く泣く他の人と再婚する人がいたり、子供や親のために夫や婚約者の兄弟や親戚などと結婚する人もいました。悲劇でしかありませんでした。

既に家庭を再構築している人もいた

Adult Mother Daughter - Free photo on Pixabay (582656)

アナタハン島で暮らしていた日本人たちは、それぞれの関係者たちに政府から「行方不明」と知らされていたことで、既に家庭を再構築している人もいました。

今と違い昭和の時代は「結婚してこそ一人前の大人」という価値観があったので、どんな状況下に置かれていても、独身を貫き通して生きていくことは、社会的に難しかったのです。

自分の「好き」という気持だけではなく、家族や親兄弟のためにも子供ためにも、結婚はしなければならない制度の一つでした。

和子の本来の夫は生存し、再婚していた

Fog Mist Golden - Free photo on Pixabay (582657)

和子は「アナタハンの女王」と呼ばれるきっかけになった、夫・正一の栄転によるアナタハン島への移住後、してしばらくして戦争が激化してきたサイパンに住む妹の身をを心配し「迎えに行ってくる」といったまま行方不明になった夫は、戦争に巻き込まれて戦死したと思っていました。

生きて内地に戻ってみると、驚くことに正一は生きており、さらに驚くことに再婚しており子供までいました。生涯で一番最初に結婚した夫が生きていることで、嬉しいのか悲しいのか複雑な気持ちに悩まされることになりました。

乗組員達の証言

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