2019年8月27日 更新

悪女と呼ばれた比嘉和子のアナタハンの女王事件とは?事件後の様子も

アナタハンの女王事件とは、日本から離れた孤島で究極状態に置かれた大量の日本人男性同士が起こしあった殺人事件です。その中に女性が一人いたことで、この悲劇が起こってしまいました。そして、帰還後にこの女性だけが日本中で注目され人生がガラッと変わってしまいました。

目次

いったい、誰が殺ったのか?と、戦後犯罪史の迷宮に置き去りにされた謎に、新しい光が当てられています。

第1章では、部落解放運動と不可解な捜査の闇に翻弄され、事件後5人が変死・怪死し、戦後10大事件史とされている「狭山事件」や、事件直後に『19歳少年S』が謎の自殺を遂げた「3億円事件」や、グリコ・森永事件、関西アンダーワールド劇場など『戦後10大事件史』が記されています。

第2章では、佐賀・女性7人連続殺人事件や、「悪魔の詩」殺人事件や、阪和銀行副頭取射殺事件などの『平成未解決事件』と、「アナタハン島の女王」事件や、弘前大学教授夫人殺害事件や、帝銀事件などの『昭和未解決事件』が記されています。

QUEEN BEE

Girl Lying Sea - Free photo on Pixabay (582818)

ボーイズラブ系の漫画を主とし、挿し絵も手がけ、主にレディースコミック誌にて活躍している、秋田県出身の日本の女性漫画家『魔木子(まきこ)』による日本の漫画作品で、実際に起きた『アナタハンの女王事件』を元に創作された作品です。

1993年1月29日、祥伝社から毎月8日に発売されている『FEEL YOUNG(フィール・ヤング)』で発表されました。

『FEEL YOUNG(フィール・ヤング)』は、現在休刊であるが先に発行されていた『FEEL』の姉妹誌として1989年に創刊され、20代独身女性が読者層の漫画雑誌です。レディコミバブルとも呼ばれたブーム終焉後、大手出版社以外の競合誌が休廃刊する中で、質の高い誌面を維持し生き残り、現在では誌名に「ヤング」が含まれる唯一のヤングレディース誌です。

和子が漏らした「内地は島より怖い」

Female Woman Girl - Free photo on Pixabay (582701)

アナタハン島で、和子の夫であった男性は、既に帰国し他の女性と結ばれていました。そんな失意の中で「アナタハン事件」は映画化され、和子は『毒婦』と呼ばれ、好奇の視線に追いかけられました。

純粋無垢な沖縄の少女のような女であっただけ和子は、口のうまい詐欺師のようなハイエナたちに上手く取り入られ、場末のストリップ劇場に出演し落ちるところまで落ちていきました。

アナタハン島から内地に帰国し、落ちるところまで落ちた和子は「内地は島より怖い」と漏らしたそうです。

アナタハンの女王事件がもたらした影響

Affection Kiss Lady - Free vector graphic on Pixabay (582702)

和子が生きた時代は「女は男に養われるしか生きる道がなく、男が自分のために食糧を確保してくれる間だけ、所有に帰することができた」という時代で『毒婦』と呼ばれ「食と性によって男たちに君臨していた」と言われた和子は、実際は男たちの力に従うしか生きる道はありませんでした。

沖縄の人々への蔑視は長く根強く、和子が『沖縄人』だったことでも、横井庄一氏や小野田寛郎氏と比較され、英雄として扱われるのではなく、むしろ見せ物として扱われました。

プラスして、そこに、男ばかりのなかに女一人ということでさらに扱いは下種(げす)張ったものになり、不当な扱いを受けていたのではないでしょうか。

和子のブロマイドが飛ぶように売れる

Silhouette Human Woman - Free vector graphic on Pixabay (582703)

世間から『毒婦』と呼ばれた和子は、誰それ問わず奥底なく優しい女性でした。夫がいた時でも、他の男から望まれれば誰とも密通しましたが「男たちは、道もない密林をくぐり山を越えて私に逢いに来ました。素っ気なく追い返すことなどできますか?私は誰とでも逢ってやりました」と胸を張り答えています。

男との交渉に対する質問には「ずいぶんありましたが、二人だけしか知らない秘密です」「生きて帰ってきた人も幾人かいますが、せっかく日本に帰ってそれぞれ奥さんと平和に暮らしているのに、私から名を上げることはない」と証言しました。

今でも『アイドル』と呼ばれる人たちは「みんなが好奇心を持っているけど、どんな人でもウェルカム」と思わせることができる人でなければなれません。プロマイドも売れるはずです。

挨拶代わりに「アナタハン」

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『昭和世相流行語辞典』によると、当時『アナタハンの女王事件』や和子のことを、新聞や雑誌などのメディアが書き立てた結果、世間ではほぼ「島での男女関係」に絞って関心が示されました。

当時、 安直で興味本位な内容で、エロ・グロで特徴付けられ、粗悪な用紙に印刷された安価な衆向け娯楽雑誌『カストリ雑誌』は、挿絵を含めて露骨な性描写の読み物小説を掲載していました。

その中で「長い間ご無沙汰」を意味する言葉として『アナタハン』という言葉がおもしろがられるように使われ、例えば「長いことアナタハンしとりました」などと用いられて流行語となりました。

戦争が生み出した比嘉和子の壮絶な人生

Girl Erotica Nude - Free photo on Pixabay (582705)

和子は、望んで壮絶な人生を歩んできたわけではありません。夫について言った転勤先で、男32人対女1人という環境に置かれて生きるということも考えたことがなかったはずです。

ただの一人の沖縄出身の少女でしたが、母性本能が強くバイタリティに溢れる優しい女性だったばかりに、すべての物事や人を受け入れ『毒婦』などと揶揄されるなどと、想像したことももちろん経験したこともなかったでしょう。

和子は、最後まで「ただ愛されて幸せになりたかった一人の女性」としか思えないほど可愛らしい女性でした。ただ戦争により人生を壮絶なものに変えられてしまっただけです。

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