2019年9月25日 更新

チャールズ・マンソンとは?彼の生い立ちや息子についても

自分の信者達を利用して7人の命を奪ったチャールズ・マンソン。彼はその残虐性とある種のカリスマ性から映画の題材になるなど、2017年に死しても尚、人々の関心を得続けています。今回はそんなチャールズ・マンソンの犯した罪、結婚から息子のことまで丸ごと紹介します!

目次

ただ女性に愛されたかったチャールズ・マンソンの生涯

Walkers Autumn Fog - Free photo on Pixabay (643966)

アメリカの狂信的なカルト教団「マンソン・ファミリー」の創始者であり、信者を使った残虐な無差別殺人の首謀者として世界を震撼させたチャールズ・マンソン。

望まれずに誕生した彼は愛情を注がれることなく育ち、生涯愛情と、愛情から生まれる自信を求め続けていたと言えます。チャールズ・マンソンの生い立ちから犯した罪、晩年に至るまで詳しく紹介します。

また、日本のセックス教団とも言われる「リトル・ペブル」に関する記事はこちらからどうぞ。

チャールズ・マンソンとは

Death Darkness Dark - Free photo on Pixabay (643968)

チャールズ・マンソンを知る人は、彼に対して悪の権化というイメージを持つ人が多いのですが、実際のチャールズ・マンソンは160センチにも満たない小男でした。

幼い頃から人生の大半を強制施設と刑務所で過ごしたチャールズ・マンソンは、その複雑な生い立ちゆえに、相手の望む言葉を探り当てる能力に長けていました。

ある種カリスマ性さえ帯びたチャールズ・マンソンの詭弁が導いた悲劇と、逮捕に至るまでを紹介します。

1960〜1970年代にかけてコミューンを作成

Abstract Circle Background - Free image on Pixabay (643975)

7人の無差別殺人のすべての始まりは、このコミューン作成でした。コミューンとは自分たちの価値観や生き方を共有し、共同生活を営む集団のことで、ベトナム戦争が泥沼化し平和を求めたヒッピーが流行した当時のアメリカには、コミューンが多く存在したいました。

1967年にカリフォルニア州でチャールズ・マンソンが作成したコミューン「マンソン・ファミリー」は、最終的に100人近いメンバーがいたとされています。反体制を謳いフリーセックス、フリードラッグに溺れたチャールズ・マンソンと信者達は、陶酔状態のまま犯行へと走ったのです。

信者たちを使い無差別殺人を行う

People Knife Stabbing - Free photo on Pixabay (643977)

チャールズ・マンソンの説教は根拠のない、荒唐無稽なものでした。その内容は要約すると、いずれ黒人と白人の間で始まる戦争においてマンソン・ファミリーが勝ち残るには、黒人が白人を襲撃したというきっかけが必要であり、そのために自分たちが黒人のふりをして白人を襲撃しようというものでした。

意味不明にしか思えないこの馬鹿げたチャールズ・マンソンの教えを元に、「マンソン・ファミリー」の主要メンバーである信者たちは実際に犯行に及びました。

合計7人を虐殺

Background Blood Stain - Free image on Pixabay (643981)

チャールズ・マンソンの信者たちはその意味不明な教えを元に、結果として合計7人の尊い命を奪いました。そしてその犯行は1969年8月9日と翌日8月10日の二夜に行われたのです。

8月9日の犯行では、当時人気テレビシリーズにも出演していた1943年生まれのアメリカ人女優シャロン・テート含む5人が殺害され、8月10日の犯行では地元スーパーの経営者であるラビアンカ夫妻が殺害され多額の現金を強奪されました。殺害方法及び現場は残虐そのものでした。

またシャロン・テート含む5人が殺害された場所がハリウッドの大豪邸だったことと、翌日に殺害されたラビアンカ夫妻が現金を強奪されたことから、近隣に住む裕福な人々は恐怖に怯えました。

コミューンメンバーが軽犯罪で逮捕される

Chainlink Fence Metal - Free photo on Pixabay (643984)

「マンソン・ファミリー」のメンバーは日頃から軽犯罪を犯すのが当たり前でした。ちょっとした食べ物や自転車、車の窃盗などは日常茶飯事で、むしろそれらを行うことで生計を立てるような生活だったのです。

そのためチャールズ・マンソンは1969年8月16日に自転車泥棒の罪で、マンソン・ファミリーのメンバーであり殺人の首謀者だった女性信者も別件であっけなく逮捕されました。

しかしこの逮捕は殺人とは全く無関係のもので、警察もチャールズ・マンソンが事件の首謀者だとは、この時は気づいていませんでした。

実行犯女性が刑務所で無差別殺人事件について自慢し芋づる式に逮捕される

Prison Prisoner Slavery Human - Free photo on Pixabay (643988)

無差別殺人と別件で逮捕されたマンソン・ファミリーのメンバーは、スーザン・アトキンスという女性でした。彼女はチャールズ・マンソンの熱狂的な信者の1人で、8月9日と10日の殺人の実行犯でした。

スーザン・アトキンスは熱狂的にチャールズ・マンソンを信仰するあまり、殺人に対する罪の意識は無に等しく、むしろ殺害後に知った自分が殺害した女性の1人が有名女優であるという事実に、震えるほど喜んだと言われています。

車両盗難の罪で逮捕されたスーザンは刑務所で同房の女性に、女優シャロン・テートを殺害したことを嬉しそうに話しました。このことがきっかけで1969年12月、事件に関わったとされるマンソン・ファミリーのメンバーは芋づる式に次々と逮捕され、その逮捕者数は20人にも及びました。

共謀罪で死刑判決が下る

Life Beauty Scene - Free photo on Pixabay (643991)

スーザン・アトキンスの自慢とも取れる殺人の告白によって、チャールズ・マンソンは自分の信者たちに無差別殺人を教唆した罪で共謀罪に問われました。実際に手を下すこともなかったどころか殺害現場にもいませんでしたが、チャールズ・マンソンはその後連帯責任の規則で殺人罪による有罪判決を下されました。

そして逮捕から3年後の1972年、チャールズ・マンソンはカリフォルニア州の最高裁判所で死刑判決を受けることになります。

無差別殺人の実行犯

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チャールズ・マンソンは、彼自身が残虐な犯行を行なった悪の権化と思われがちですが、実際に手を汚したのは彼の信者たちでした。一連の無差別殺人を犯した実行犯3人は全員女性で、彼女たちはチャールズ・マンソンの命令であれば迷わず何でもやるほど彼に心酔していたのです。

一方チャールズ・マンソンが実際に手を下した犯罪はどれもチンケな窃盗などで、殺人のような大罪を彼が直接犯すことは生涯ありませんでした。

ではチャールズ・マンソンに心酔し、言われるがままに殺人を犯した3人の実行犯とは、どんな女性達だったのでしょうか?

スーザン・アトキンス

Murder Knife Look Scared - Free image on Pixabay (643999)

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