2019年9月25日 更新

チャールズ・マンソンとは?彼の生い立ちや息子についても

自分の信者達を利用して7人の命を奪ったチャールズ・マンソン。彼はその残虐性とある種のカリスマ性から映画の題材になるなど、2017年に死しても尚、人々の関心を得続けています。今回はそんなチャールズ・マンソンの犯した罪、結婚から息子のことまで丸ごと紹介します!

目次

自分が殺した人物が全米で名の知れた女優と知り歓喜したというスーザン・アトキンス。彼女はチャールズ・マンソンに心酔し、彼の命令に従うことを喜びとしていました。

スーザン・アトキンスは殺害当時妊娠8ヶ月だった女優シャロン・テートを殺害する際、赤ちゃんだけは助けるよう懇願するシャロン・テートに対して「知ったことかこの売女め!」と言い、16ヶ所刺したとされています。

犯行時21歳だった彼女は2009年9月24日、カリフォルニア州のチャウチラにある女子刑務所で獄死しました。

テックス・ワトソン

Psycho Shower Scene - Free vector graphic on Pixabay (644000)

スーザン・アトキンスと同じく無差別殺人の実行犯だったテックス・ワトソンは、チャールズ・マンソンの右腕的な存在でした。

1969年8月9日の犯行の際には、スーザン・アトキンスが女優シャロン・テートを殺害する傍ら、テックス・ワトソンはシャロン・テートの友人のヘアスタイリストを殺害しました。その手口は銃で打つ、ナイフで刺す、首をロープで締めるといった残虐なもので、最終的に遺体を天井から吊るしています。

パトリシア・クレンウィンケル

Forest Hack Blade - Free photo on Pixabay (644003)

人の心を汲み取り会話する能力に長けていたチャールズ・マンソンですが、パトリシア・クレンウィンケルも彼の話術と不思議な魅力に心酔した1人でした。

「思考を捨てろ。俺について来い。素晴らしい世界へ連れてってやる。」というチャールズ・マンソンの言葉に強く心を動かされたという彼女もまた、罪の意識なく殺害を実行しました。

これら実行犯3人の女性たちは犯行当時20代前半と皆若く、裁判の結果死刑判決が下された後も満面の笑みをマスコミに見せています。彼女たちは何回にも渡り仮釈放申請しましたが全て却下され、獄中死したスーザン・アトキンス以外は今もカリフォルニアにある刑務所で服役中です。

ファミリーでは20名の逮捕者が出る

Protection Of Minors Criminal - Free photo on Pixabay (644004)

1969年8月9日と10日に起こった無差別惨殺事件がマンソン・ファミリーによる犯行ということを、当初警察は想像していませんでした。

しかしスーザン・アトキンスの刑務所での自慢を兼ねた自白と、日頃からマンソン・ファミリーが行なっていた犯罪である車両窃盗を受け同年10月10日、警察はマンソン・ファミリーのアジトに初めて足を踏み入れました。

その結果、世間を恐怖で震撼させた殺人事件の犯人がこのカルト教団の信者たちと教祖であることが発覚し、マンソン・ファミリーのうち約20名が逮捕されました。

チャールズ・マンソンの生い立ち

Boy People Silhouette - Free photo on Pixabay (644006)

シリアルキラー含め、特に異常性、残虐性、特殊性を持つ罪を犯す犯罪者の心理や動機を紐解く時、彼らの生い立ちは大きな鍵となります。

チャールズ・マンソンの罪にも、彼の生い立ちは深く関わっています。

チャールズ・マンソンの誕生から、マンソン・ファミリーを創り上げ無差別殺人を教唆するようになるまでの彼の人生を紹介します。

売春婦の16歳少女の元に誕生する

Summerfield Woman Girl - Free photo on Pixabay (644007)

チャールズ・マンソンはオハイオ州のシンシナティで1934年11月12日に生まれたとされていますが確かではありません。というのもチャールズ・マンソンの母親キャスリーン・マドックスも、父親とされるカール・スコットも、その確かな日にちを覚えていないのです。

出産当時16歳のキャスリーン・マドックスは売春婦で、妊娠も出産も望んでいませんでした。そのためチャールズ・マンソンは、母親からも父親からも興味を持たれることなく育ったのです。

母親から育児放棄を受け戸籍・名無しであった

Doll Toys Ugly - Free photo on Pixabay (644008)

望まれないままこの世に誕生したチャールズ・マンソンは、母親から育児放棄されて育ちました。戸籍を届けるどころか名前さえつけてもらえなかった彼は、5歳まで名無しの子供として生活していました。中には母親の姓を取って「名無しのマドックス」と呼ぶ人もいたと言われています。

またチャールズ・マンソンは育児放棄されていただけでなく、身体的虐待も受けていたと言われています。それらの虐待を受けて育った子供は成長に影響が及ぼされることがあり、チャールズ・マンソンの小柄な体格も、幼少期の育児放棄および虐待が影響しているのかもしれません。

数ヶ月後「チャールズ」と名付けられる

Abstract Pattern Canvas - Free photo on Pixabay (644011)

「名無しのマドックス」として育ったチャールズ・マンソンは、5歳頃に「チャールズ」と名付けられました。姓は、当時母親が交際していた男性の姓「マンソン」から取ったようです。

最終的に9つの殺人罪で有罪判決を受け、生涯を刑務所で過ごすことになったチャールズ・マンソンの名前は、この時誕生したのです。母親は基本的に男を取っ替え引っ替えしており、幼いチャールズ・マンソンは名前を与えられた後も親から愛情を受けることはありませんでした。

母親の逮捕により伯父、伯母、祖母に引き取られる

Grandparents Walking The Dog - Free photo on Pixabay (644013)

そんな中母親キャスリーン・マドックスと、母の兄でチャールズ・マンソンの叔父にあたる人物がガソリンスタンドを襲撃した罪で逮捕されました。彼らは懲役5年の実刑判決を下されます。

その為当時5歳だったチャールズ・マンソンはウエストヴァージニアに住む伯父、伯母、祖母と暮らすことになります。心が不安定だったチャールズ・マンソンを伯母も祖母もよく彼の面倒を見てくれましたが、チャールズ・マンソンに大きな影響を与えたのは彼女たちではなく、伯父でした。

伯父からの影響

Street Road Straight - Free photo on Pixabay (644014)

ケンタッキーの山中で世捨て人のように暮らす伯父は独特の考え方を持つ人で、「この世の戦いは一生続くんだ。学校なんて信じるな」と幼いチャールズ・マンソンに説きました。こうした伯父の思想は後のチャールズ・マンソンの思考に大きく影響しました。

またチャールズ・マンソンは当時から女性を手懐けるのが上手く、マンソンが嫌っていた男子を女子に暴行させたというエピソードがあります。女子たちは暴行した理由を「マンソンが言ったからやった」と言い、チャールズ・マンソンが幼い頃から自ら手を下すことなく女性を動かす能力に長けていたことが分かります。

孤児院に入れられる

Shutters Architecture Window - Free photo on Pixabay (644018)

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