2019年10月21日 更新

志布志事件とは?黒幕は誰だった?事件の背景や真相についても

今なお語り継がれる志布志事件。何の罪もない人々が、身に覚えのない容疑で警察の不当で非人道的な取り調べを受けます。その裏には政治家や警察が絡んだでっちあげ 事件でした。幾多の日本社会の正義であるべき機関の問題を浮き彫りにした事件についてひも解いていきます。

目次

中山信一のアリバイが提示され検察側は証拠を二転三転させる

Divorce Agreement Courtroom - Free photo on Pixabay (705541)

鹿児島地方検察庁側も物証を欠いたまま、自白の供述調書を唯一の証拠として争いました。

会合買収の容疑では、4回行われたとされる会合のうち、2回は日時の特定がされておらず、日時が特定された残り2回も中山氏側の同窓会や別の場所で行われた会合に出席していたことが確認され、いずれもアリバイが提示されます。

これに対し、検察側は一旦提示された日時が二転三転するなど混迷を極めました。

起訴された全員の無罪が確定する

Judge Lawsuit Woman - Free image on Pixabay (705550)

最終的に下された判決は、全員無罪でした。

起訴された13名のうち最長で1年以上も取り調べのために身柄を勾留され、起訴されたにも関わらず供述調書以外の物証が全く存在いないことを含め、2007年2月23日、鹿児島地方裁判所は、次のように判決理由を述べます。
Judge Hammer Auction - Free photo on Pixabay (714068)

まず計4回にわたるとされる買収目的での会合の内、2回目と3回目の会合日時が特定できないこと、また1回目と4回目に行われたとされる会合の日についても、中山氏がそこから約20km離れた場所で行われた同窓会や別の場所での会合に出席していたというアリバイがあること。

さらに当初容疑を認めた被告人らつまり中山氏らの自白内容には二転三転するなど不自然な点がみられること、最後に、わずか7世帯しかない小さな集落で4回も会合を開いて買収行為を行うことには、それによって広い選挙区内での得票の効果が期待できるかそもそも疑問があること。

大要以上の点から、鹿児島地方裁判所は中山氏を始めとする住民全員に無罪判決を言い渡したのです。判決では「追及的、強圧的な取り調べがあったことがうかがえる」とも指摘しされています。

市ヶ谷の繰り上げ当選はなかった

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今回の事件の引き金となった選挙のその後ですが、中山氏は当事件により弁護士を通じて県議会議長に辞職を届け出ました。

しかし、公職選挙法では、選挙当日から90日以内に当選者が死亡・辞職などの理由で欠員となった場合、次点の候補者が繰り上げ当選となりますが、中山氏の届け出は90日を超過した7月20日でした。これにより選挙で次点であった元職・市ヶ谷の繰り上げ当選はならりませんでした。

2004年7月11位置に補欠選挙が実施されるも中山信一は落選

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中山氏の次点であった市ヶ谷氏の繰り上げ当選にならなかったため、翌2004年7月11日に補欠選挙が実施されました。この補欠選挙には中山と市ヶ谷の2名が出馬しました。そしてその結果、市ヶ谷氏が当選し、中山氏の県議復帰はなりませんでした。

2006年マスコミがでっち上げの手口をスクープ

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朝日新聞社は入手した内部資料を元に、2006年1月からでっちあげの手口を報道します。捜査関係者の内部告発インタビューなどをもとに本事件の問題点、不正を世の中に知らしめました。

この一連の報道により、事件の情報源が当時の捜査班長であった磯部信一捜査主任であり、その大本が磯部捜査主任と親交のあった別の候補者であることが判明します。捜査指揮の悪さの元である当時の志布志警察署長や、踏み絵などの不当な取り調べを行った警部補などが明確になります。

2007年4月9日志布志市曽於郡区で市ヶ谷らをくだし中山信一が当選

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補欠選挙から3年後の2007年4月9日、中山氏は鹿児島県議選で新設された志布志市・曽於郡区より無所属で出馬します。この選挙区の定数は1人でしたが、2004年の補欠選挙で敗れた市ヶ谷やもう1人の候補2名に勝利し、県議に復帰しました。

2007年6月22日黒幕と言われた森義夫は交通事故により死亡

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そうしたなか、2007年6月22日未明、事件の黒幕と言われた森義夫氏が曽於市内で交通事故により死去します。4月の県議選において旧・曽於郡区を分割して新設された、中山氏とは別の選挙区の曽於市区で8選した後のわずか2か月弱での事故でした。

選挙から90日を経ないうちの当選者死亡による欠員であったため、元職の1名が繰り上げ当選となりました。

被害者12名に刑事補償金の支払いが決定

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志布志事件は当初、地方での県議会議員選挙の公職選挙法違反であった事件から、警察や政治家の癒着問題、事件のでっちあげ 、不当な取り調べという日本中を驚かせる事件であったことが判明しました。

身に覚えの無い罪を着せられ不当な扱いを受けた人々は行動を起こします。元被告人やその弁護人、取り調べを受けたものの起訴とならなかった運動員や住民らにより、複数の民事訴訟や住民監査請求が起こされます。

そうして10月3日、鹿児島地方裁判所は、元被告人12名に勾留1日当たり1万2,500円の刑事補償金支払いを決定。10月23日には、鹿児島地方検察庁が、「踏み字」を強要されたホテル経営者の男性に対し、拘置期間1日当たり1万2,500円、総額26万2,500円の刑事補償金支払いを決定しました。
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ホテル経営者の男性においては、不当な取り調べをし、「踏み字」を強要したとして、2007年1月、元警部補を鹿児島地検に刑事告訴しました。事件は「第三者的な視点が必要」として、福岡高等検察庁に移送されます。

元警部補は8月31日付で県警を依願退職し、福岡市へ転居。事件を捜査した福岡高検の指揮で福岡地検が9月19日、元警部補を在宅起訴しました。

この裁判は福岡地裁にて林秀文裁判長のもと開かれました。以下にその詳細を載せていきます。
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元警部補は「踏み字を1回させたことは事実で、ホテル経営者の男性に不快な思いをさせ、反省している」とした一方で、「同罪としての陵辱、加虐を構成せず、違法性はない。仮に違法性があっても、公務員職権乱用罪と評価すべきで、公訴時効(3年)が完成している」と無罪を主張しました。
 
冒頭陳述で、検察側は、3日間に及んだ取り調べの3日目からホテル経営者の男性が黙秘に転じ、問いかけにも一切応じなくなります。そのことから元警部補が「親族への感情を刺激して黙秘状態を打開しようとした」と踏み字を行った動機を指摘しました。

元警部補が「おまえをこんな人間に育てた覚えはない」などの親族のメッセージと見立て、家族の名を書いた紙をホテル経営者の前に置きますが、ホテル経営者の男性はその紙を見ようとしませんでした。

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