チャウシェスクの落とし子とは?チャウシェスク政権後の現在の様子も

1960年代後半、社会主義共和国ルーマニアの国家元首チャウシェスクは人工妊娠中絶や離婚を禁止し、ルーマニアの人口は増えましたが、貧困による育児放棄で子供たちは養護施設に出され、劣悪な環境を飛び出しストリートチルドレンになり、現在どうなっているのでしょうか?

チャウシェスクの落とし子って何?

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子供は、生後6カ月から2歳頃までに母親の愛情を受けられなかったら、一生心の傷を持つそうです。日本でも今、「少子化」が問題となり、親による目を疑うような虐待がニュースになっていますが、ルーマニアでは国の無茶苦茶な政策による子供の虐待が引き起こされました

教養もなくただひたすら貧困から脱したかった革命者がラッキーで大統領になり「とにかく産めよ増やせよ」という独裁政策が行われた成れの果てが「チャウシェスクの落とし子」と呼ばれる子供を生み出し、現在大人になっていますが、まともな職につくことができず犯罪に手を染める者が多いのです。

ヨーロッパの歴史は、私たち日本人にはなかなか理解できないほど、長期に渡り複雑に絡み合った結果というものが多いです。ですが、この政策は一体どういう経緯で出来上がったものなのでしょうか?ここでわかりやすく解説していきます。

チャウシェスクの落とし子とは

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チャウシェスクは、人口増加を目的に人工妊娠中絶と離婚を禁止する政策をとりました。目的である人口増加は成し遂げましたが、結果貧困を招き、育児放棄や虐待により、ストリートチルドレンが目立つようになりました。これが「チャウシェスクの落とし子」と呼ばれる子供たちです。

そんな子供が大人になり、突然抑うつ気分、悲しい気持ち、社交不安といった負の感情が20歳を過ぎて突然表れ、失業せざるを得なかったり、心療内科受診率を受けなければ生きていけないような人が半数もいます。

悲しい結果にしかならなかったように見えるのですが、ルーマニアの人はそうとばかりは感じていないようなのです。チャウシェスク政権がもたらした貧困は、未だにチャウシェスクを持ち上げ騙していた取り巻きたちにより、国民にだけのしかからされています。

チャウシェスク政権

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1966年、チャウシェスク政権は、ルーマニアの人口を増やすためだけの理由で法律により人工妊娠中絶が禁止されました。例外として、42歳以上の女性or4人以上子供を持つ母親のみ妊娠中絶が許されました。

チャウシェスクは、一部の例外を除いて離婚も禁止しました。1960年代後半までにルーマニアの人口は増加しまたが、たくさんの子供を育てることは簡単ではなく、育児放棄され孤児院に引き取られる子供が大多数でした。

孤児院の子供は十分な栄養も与えられず病気になり死なせた場合には、孤児院の職員の給与が減らされるからという理由で、勝手に大人の血液を輸血されエイズに感染する子供が激増しました。

5人生むと優遇される

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チャウシェスク政権により、ルーマニアの人口を増やすためだけに法律で人工妊娠中絶が禁止され、5人以上子供を産んだ女性は公的に優遇され、10人以上の子を持つ女性は「英雄の母」の称号を与えられました。

しかし、貧しいルーマニア市民がたくさんの子供を育てることは容易ではなく、殆どの女性は『優遇』や『称号』に興味を示すことはなく、多くても2、3人程度の子供の家庭がルーマニアの平均的な家庭でしたた。

また、子供ができても育てられない女性は、裏でこっそり妊娠中絶しなければいけなくなり、体に障害を負うことになったり死亡する女性が少なくありませんでした。

人口増加の代わりに育児放棄が問題

Sihastria Monastery Putnei - Free photo on Pixabay (553075)

チャウシェスクは、一部の例外を除いて離婚も禁止し、1960年代後半までにルーマニアの人口は増加しましたが、共産国家のもとでの貧しい一般市民が数人の子供を育てることは難しく、育児放棄され孤児院に引き取られる子供が増えました。

孤児院の子供は、栄養も不十分で病気になり死んでしまうことになり、子供を死なせた孤児院の職員の給与が減らされるからという理由で、勝手に大人の血液や栄養剤を注射針を変えられないまま輸血され、エイズに感染する子供が激増しました。

ストリートチルドレンがあふれた

Tree Dawn Nature - Free photo on Pixabay (553074)

チャウシェスク政策による『人口増加政策』で、1967~1970年の間に40万人強の人口が増え、発生した孤児たちは「チャウシェスクの落とし子」と呼ばれ、最大で1万人強の子供がストリートチルドレンとなり、後々までルーマニアの深刻な社会問題となりました。

2007年にEU加盟後でも、EU加盟国の中では最貧国の中の一つで、お隣のブルガリアと最下位争いをしている状態で、大卒社会人の初任給は月100ユーロほどで、物価も安くなく最低限の生活もままならない中でも、さらに貧しい「チャウシェスクの落とし子」は犯罪者になるしか生きる道がありませんでした。

ガリガリな子どもたちが目に付く通り

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生まれてすぐに施設に預けられた子供たちは栄養不足で痩せ細った上に、子供たちの間でいじめや暴力が絶えず行われていたため、施設を脱走する子供が多数いました。

お金も頼る人もいない子供たちはさらに飢え、飢えをしのぐ代わりにエタノールやドラッグで感覚を鈍らせました。売春で稼いだお金は、食べ物ではなくドラッグに変えるほうが楽だということを理解してしまうと、ガリガリになってまで路上に売春とドラッグを求めるストリートチルドレンで溢れかえりました。

施設と養子

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ルーマニアの国営施設には、17万人以上の子供が預けられました。そのうちの30ヶ月未満の子供の半数は、英国の家庭に養子縁組されることになりましたが、残りの子供たちは、劣悪な環境で栄養剤代わりの大人の血を与えられるだけか、脱走してストリートチルドレンとして生きるしか方法がありませんでした。

施設に残された子供は、感情を伴う『育児』をされることがなく、外からの外的刺激を受けないことから、自分で行う刺激に頼るという発達障害を持たされることになりました。

養子に出された子供も、6カ月以上施設に預けられた子供は、小さいながらに「感じる」と言う機能が発達せず、10%が発達障害と診断されました。

成人後に社会不安障害やうつ病などを発症

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施設に預けられた期間が6カ月未満の子供は他の養子と変わらずに成長しましたが、6カ月以上預けられた子供は、手のひらをひらひらさせるなどの反復行動や、見知らぬ人に急に抱きつたりするなど、まったく警戒心を抱かずに接近し、不注意で多動といった自閉症のような症状がみられ、成人期になっても続きました。

20歳を過ぎた「チャウシェスクの落し子」は突然、抑うつ気分、悲しい気持ち、社交不安といった負の感情が表れだし、そのうち36%が失業を余儀なくされ、43%が社会不安障害やうつ病のために心療内科を受診せずには生きていけない状況になりました。

政権の後の現在のルーマニア

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