2019年8月19日 更新

日本人だけど日本が嫌い?学校や社会で見られる日本の嫌な慣習とは

四方を海に囲まれた島国だからか、200年余り続いた鎖国の影響か、日本の学校や社会には他の国では見られない慣習がたくさんあります。今回は日本人の集団主義的な国民性や、日本で生きづらいと感じている日本人はどうすればいいのかを探っていきたいと思います。

本音と建前

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日本人のコミュニケーションスキルに「建前」は必要不可欠です。外国人との会話の中では誤解のもとになりやすい、悪しき習慣のように思えますが、日本人同士では、本音と建前を使いこなせない人は無粋とされることが多いのです。

外国人が会話の中で社交辞令を使わないわけではありません。ですが日本人のように本音と正反対の気持ちを伝えることはありません。日本人は絶対受け入れられないことでも「それは良いかもしれませんね」などと言ったりします。

日本人は「かも知れない」に否定の意を忍ばせています。外国人には通じませんが、本音をストレートに表現しないことで相手の立場を守るのと同時に自分の保身も図っているので、外国人相手でもなかなか表現方法を変えられないのです。

保守的

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保守的とは、昔からの伝統や制度などを尊重し、急激な変化を嫌う傾向や考え方のことです。他の先進国に比べ、日本には保守的な人が多いとされています。

第2次大戦で敗戦国となった日本は、それまでの価値観を全て排除しなければいけないような状態になりました。そのため、戦後の日本は文化的に迷走しましたが、本来の日本人は自国の伝統を尊び守ろうという意識が強いようです。

ただ、伝統を守ることより、急激な変化を避けたいという理由だけで、改革の必要性に目を向けようとしないというきらいもあります。必要な改革をも後回しにするのは、日本人の悪い癖ではないでしょうか?

細部にこだわる

Macro Cogwheel Gear - Free photo on Pixabay (353899)

日本人の細やかさが、先端技術産業を発展させたことは間違いないでしょう。ミスや間違いを恐れる気持ちが強い日本人は、細かな部分にまで神経をとがらせ、何重にもチェックすることに労力を惜しみません。

ですが、細部にこだわればこだわるほど、デキる人だと評価されがちなところもあり、そのせいで時間がかかりすぎたり、重要ポイントがわかりにくくなくなってしまうといった不具合も生じさせています。

対人関係においても、細かなことを気にしすぎて無用なストレスをためる羽目になっていることもあります。何事も目的にそった「ほどほどさ」を身につけなくては、結局自分の首を絞めることになってしまいます。

愛国心が薄い

Japan Flag National - Free image on Pixabay (353913)

愛国心とは、自分の国に対し愛着や忠誠心を抱く感情のこと、だそうです。この解釈なら、オリンピックやサッカーWCで日本の勝敗にあれほど一喜一憂する日本人の多くは、愛国心が強いのではないでしょうか?

ですが、日本人に「あなたには愛国心がありますか?」という質問をすると「いいえ」「どちらでもない」と答える人が多く、アメリカや中国などと比べると、愛国心がかなり薄いという結果となってしまいます。

理由はいろいろあるかと思いますが、ひとつは大戦後は他国と陸上で国境を接することがなかったので、あえて愛国心を意識し養成させるような教育が必要なかったためといわれています。

Soldier Military Salute - Free image on Pixabay (355087)

また、愛国心という言葉が軍国主義を彷彿とさせるために拒絶感があるから、ともいわれています。先の大戦では「お国のため」と言って多くの命が失われました。愛国心を持つと国のために戦わなければいけないようなイメージがあるのです。

そんな愛国心という言葉のイメージを抜きにしても、日本人は独特の自虐感と謙遜とを持って、「日本は素晴らしい国です」と他国に自慢することが少なく、愛国心が薄く思われてしまうのでしょう。

心から「日本は素晴らしい」と言えない自信の無さをみると、少し情けない気持ちになりませんか?そしてますます日本が嫌いな日本人が増えてしまうのかもしれません。

学校で見られる日本の嫌いな慣習

School Draw Drawing - Free photo on Pixabay (339787)

日本人の小学校への就学率は明治38年の時点で95%を超え、それ以降ほぼ100%を維持しています。また高校への進学率も95%以上で、日本人のほとんどが10年以上を学校で過ごすこととなります。

学校は集団生活ですので、規律好きな日本人は学校生活の中での様々な校則やルールを設けてきました。もちろん決まりができた当初は必要があって作られたはずですが、年月とともに意味をなさないものも増えてきました。

それでも保守的で変革を嫌う日本人は校則を変えず、「校則を守る」ということだけに執着してしまって、今となっては不要ともいえる校則や慣習が残る結果となりました。そのいくつかを見てみたいと思います。

制服

Coat Jacket Clothing - Free vector graphic on Pixabay (339788)

制服の意義は元々、軍隊や警察などの組織内部の人間と組織外部の人間を明確に区別できるようにすることや、同じ制服を着ることで連帯感や忠誠心を高める効果をもたらすことが目的だったといわれます。

学校においても同じような理由で制服が導入されましたが、現代においては制服の必要性は薄れ、服装の自由を求める声も少なくありません。自分の意志とは関係なく毎日決められた服を着ることに抵抗がある人もいます。

それでも 「学生であることがわかりやすい」「服装に経済力の差が出ない」「衣服選択が楽」といった理由で制服を続ける学校も多く、日本人の「ある程度の決まり事の中でこそ自由にふるまえる」といった気質が現れているようです。


意味のない厳しい校則

School Desk Study - Free photo on Pixabay (353938)

ネットで調べると、全国の厳しすぎる校則がたくさんでてきます。日本の学校制度の理不尽さが一番顕著に表れるのが、意味のない厳しい校則かもしれません。

男子は全員丸刈りや靴下は白色しかダメといった定番の意味不明な校則の他にも、下駄・ふんどしの着用を禁ずる、といった昭和以前から校則を見直していないのではないか、と思われるようなものまで存在します。

「なぜその校則を守らなければならないのか」といった理由を説明できる教師もいないのに、校則を破ると罰則が与えられる不条理さが納得できず、学校嫌いになってしまうこともあります。

年齢分け

Birthday Cake - Free photo on Pixabay (354193)

日本の学校制度で1年は毎年4月1日に始まり、翌年の3月31日に終わります。これは学校教育法で決まっています。ですが、同じ学年にいる子供たちは、ある年の4月2日生まれから翌年の4月1日生まれです。なんだか変だと思いませんか?

民法には年齢計算に関する法律というものがあり、その中で「誕生日の前日が終了するとき(深夜12時)に年をひとつとる」とされています。なので、4月1日生まれは法律的には3月31日が終了した時点で1歳年をとったことになるのです。

そのため、他の3月生まれと同じ入学時期となるのです。2月29日生まれの人にとっては、このように決めないと4年に1歳しか年をとれなくなるのでしかたがないことですが、いかにも融通が利かない日本らしい決まりだと感じてしまいます。

先輩後輩関係

Pair Man Woman - Free image on Pixabay (355241)

小学生の頃、年上に対してはただ漠然と「お兄さん、お姉さん」、仲が良ければ年齢に関係なく平等な立場で遊べたのに、中学生になった途端に「先輩後輩」という立場になり、関係性も変わってしまったという経験はありませんか?

日本では5世紀頃から儒教の教えが広まり、「年上を敬う」という考え方もその儒教の影響です。日本の義務教育では年齢によって学年が決まるので、先輩は必ず年上となり、自ずと1年でも先輩なら年上として敬うもの、となりました。

本来は「年長者に敬意を持つ」という教えなのですが、日本では軍隊での「先輩の言うことに後輩は必ず従うべき」という、本来の意図からずれた先輩後輩関係が蔓延し、学校でも「先輩が偉い」といった極端な関係性に繋がってしまったのです。

Girl Headache Pain - Free photo on Pixabay (361380)

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