2019年7月19日 更新

ナターシャカンプッシュって誰?監禁生活の様子とその後とは

オーストリア少女監禁事件の被害者であるナターシャカンプッシュをご存知でしょうか。突然誘拐されて監禁生活を送ることになりましたが強い意志を持ち、誘拐から8年後に脱出した人物です。事件の概要やその後について詳しくご紹介します。

目次

オーストリア少女監禁事件の被害者ナターシャカンプッシュ

Vienna Austria City - Free photo on Pixabay (491868)

オーストリア少女監禁事件の被害者であるナターシャカンプッシュは顔見知りの男に突然誘拐をされて8年間監禁生活を強いられました。

事件の概要や監禁生活の様子、犯人やナターシャのその後について見ていきます。また、ストックホルム症候群についてもご紹介します。

海外だけでなく日本でも同様の監禁事件は起きています。事件について知り、誰の身にも起こりうることだと覚えておきましょう。ナターシャは生きて脱出することができましたが他の誘拐事件では亡くなっている人もいます。

事件の概要

Thought Idea Innovation - Free photo on Pixabay (491871)

当時10歳だったナターシャが誘拐されて事件は発生します。目撃証言があり、犯人の自宅に警察が訪れたにもかかわらず見破ることができませんでした。

8年半に渡って地下室に閉じ込められましたが何とか自力で脱出して無事に保護されました。犯人は自殺をしてしまったため犯行動機はわからないままです。

事件の概要について詳しく見ていきましょう。

当時10歳のナターシャカンプッシュが誘拐される

Prison Cell Jail - Free photo on Pixabay (491876)

1998年3月12日、オーストリアのウィーンで暮らしていた当時10歳のナターシャカンプッシュが通学途中に誘拐されました。ナターシャは母親と2人で暮らしており、前日に親子喧嘩をしたせいで初めて一人で通学した日に運悪く誘拐されたのです。

その後男の家から逃げ出すまで8年半の監禁生活を送ることになります。監禁されたのは防音の地下室で誰にも気づいてもらうことができませんでした。

ナターシャの母親が殺害したのではないかと疑われる事態に発展するほど捜索の手掛かりがないまま8年半は過ぎました。

車に引きずり込まれるのをみたという目撃証言

Car Traffic Man - Free photo on Pixabay (491878)

ナターシャが白いマイクロバスに引きずり込まれるのを12歳の子どもが目撃しています。目撃証言をもとに警察は白いマイクロバスの持ち主を捜索しました。

警察が調べた白いマイクロバス776台の中には犯人のものもありました。犯人はナターシャの家から車で30分のところに住む元エンジニアの男、ヴォルフガング・プリクロピルです。

事件から3か月後に警察は当時36歳だったプリクロピルの家を訪れて尋問しています。

警察が犯人の元を訪れるが気づかなかった

Street Art Graffiti Thuringia - Free photo on Pixabay (491881)

警察は犯人の家を訪れましたが監禁には気付きませんでした。プリクロピルはマイクロバスの所有は認めたものの、仕事で出る色々なガラクタを持って帰るために必要だと主張したのです。

アリバイはありませんでしたが警察は犯人の言葉を信じてしまいました。ナターシャは誘拐された時にパスポートを所持していたため警察は捜索の輪を国外にも広げました。

後に警察は「犯人には確固たるアリバイがあった」とテレビで釈明しています。

誘拐から8年後に隙をみて脱出し保護される

Phone Old Year Built 1955 - Free photo on Pixabay (491884)

2006年8月23日にナターシャは庭で車に掃除機をかけていました。プリクロピルも一緒にいましたが電話が鳴り、掃除機の音がうるさかったためその場を離れます。

一人になった隙をついてナターシャは走って逃げ出しました。通りかかった通行人に助けを求めましたが本気にしてもらうことができず、近くにある家の窓を叩いて警察に連絡をしてもらいました。

ナターシャが逃げ込んだ家に住む71歳の女性はやせ細りパニックを起こしている様子を見て驚き、「なぜたくさんの人がいるのに家にきたのか」と言って初めは通報してくれませんでした。警察が到着して身元の確認を行いナターシャであることが証明されて無事に保護されることになったのです。

犯人は自殺

Gleise Rails Train Railway - Free photo on Pixabay (491886)

ナターシャが保護された数時間後にプリクロピルはウィーン北駅の近くで列車に飛び込んで自殺をしました。ナターシャは18歳になった時、犯人に解放するよう持ちかけていました。

常に一緒にいることを要求していた犯人が電話のためとはいえナターシャを一人にする隙を作ったことから、わざと逃がしたのではないかという意見も聞かれます。

真実は不明ですが長年の監禁生活に犯人自身も疲れていた可能性があると言えるでしょう。

監禁生活の様子

Freedom Will Prison Barbed - Free photo on Pixabay (491888)

暴行を加えられるなど監禁生活は辛いものでしたが、本を読むことやラジオを聴くことを許されたためナターシャは学校に行けなかったにもかかわらず知的に成長します。

狭い地下室で過ごした監禁生活の様子を見ていきましょう。

地下室に監禁される

Torture Chamber Keller - Free photo on Pixabay (491889)

ナターシャはガレージ下にある防音の地下室に閉じ込められました。広さは5平方メートルという狭さで扉は鋼鉄で補強されたコンクリートでできていて、出入り口は金庫で塞がれていたため脱出は不可能でした。

1日中地下室で過ごしたのは半年ほどで、犯人が仕事で出かけた後に本を読んだりテレビを見たりする生活を送りました。連れてこられた時には「お前はもうナターシャじゃない。俺のものだ」と言われたと言います。

脱出に何度も失敗したこともあり逃げる意欲を失ってより本に没頭していきました。

半年後に地上階で過ごすことを一時的に許される

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