2019年7月19日 更新

ナターシャカンプッシュって誰?監禁生活の様子とその後とは

オーストリア少女監禁事件の被害者であるナターシャカンプッシュをご存知でしょうか。突然誘拐されて監禁生活を送ることになりましたが強い意志を持ち、誘拐から8年後に脱出した人物です。事件の概要やその後について詳しくご紹介します。

目次

Woman Girl Freedom - Free photo on Pixabay (491917)

ナターシャは保護された後家族の元に戻り大学まで卒業しています。事件にはきちんと向き合い名前を変えることも身を隠すこともありませんでした。

事件について綴った手記を出版して映画化もされています。日常生活を取り戻そうと努力しているナターシャのその後を見ていきましょう。

家族の元へ戻り大学を卒業する

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家族の元へ戻った後は普通の生活に戻ろうと努力を重ねて、教育課程を修了し2010年には大学を卒業しています。教育課程を終わらせた後に金細工の技術を身に着けようとしましたが続きませんでした。

また、事件後両親とは疎遠になったと言います。母親が殺害したと疑われたことやナターシャが普通の生活を送るのが難しいことが関係しているのでしょう。

現在もウィーンに住み自宅にはランの花を飾ってペットには金魚を飼っているそうです。

監禁生活について綴った自叙伝を出版

Blur Blurred Book - Free photo on Pixabay (491920)

2010年には「3,096 Days」という名の自叙伝を出版しました。監禁生活について書かれた手記は2011年に映画化されています。

手記では犯人に対する思い入れと警察のずさんな捜査に対する憤りが書かれています。実際に警察は誘拐されてから3か月後に犯人の自宅を訪れていたり、タレコミの電話を真剣に取り合わなかったりしました。

犯人に対しては手記の中で「脱出することによって、私は自分を迫害していた人間から逃げることができた。それと同時に、いや応なく近くにいた人を失った」と語っています。

スリランカに小児病院を建設

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手記の印税と全国から届けられた寄付金を使い2011年スリランカに小児病院を建設しました。テレビのインタビューや著書、映画から7億円以上の収入を得たと推測されています。

自伝では 「自分に起きたことと共存していくために、毎日をポジティブに生きようと努力してる。気ままな10代の時間はもう取り戻せない。他の人と話をして、若いときの経験を共有してもらうのがせめてもの慰め」と語りました。

小児病院を建設するなど社会のために行動することでポジティブに生きようともがいているのでしょう。

犯人の自宅を購入し管理している

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2008年に犯人の自宅を購入して管理をし、たまに訪れることもあると言います。今現在も社会に適応しようと努力中ですが一番親しいのは美容師で「いすに座って、彼女が私の髪を整えてくれているときが一番幸せ」と語っています。

突然誘拐されて監禁生活を送る中でも生きて戻ることを諦めず、保護された後にテレビでトーク番組を始めるなど精力的に活動しています。

精神的に不安定なところはあるようですが今でも当たり前の生活を送れるように努力しているのです。

同様の監禁事件は他にも起きている

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同様の監禁事件は他にも起きています。特に世間を騒がせたフリッツル事件、クリーブランド監禁事件、新潟少女監禁事件、女子中学生誘拐監禁事件について詳しく見ていきましょう。

監禁生活を強いられた女性たちはみな心に傷を負うことになりました。警察の捜査ミスで犯人逮捕が遅れることも多く監禁生活は長期間に及んだものばかりです。

フリッツル事件では24年間も監禁されてようやく解放されました。近くに人がいても自分の存在に気付いてもらえないことがどれほど女性たちに絶望感を与えたのか世間は知る必要があります。

フリッツル事件

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フリッツル事件は実父が娘を24年間監禁した事件です。1984年に当時18歳だったエリーザベト・フリッツルは地下室に監禁されます。父親のヨーゼフは11歳の時から虐待を始めて娘を監禁をするために計画的に準備を行いました。

ヨーゼフは妻のロゼマリアと階上で日常生活を送り、3日に1度地下室を訪れては近親相姦を繰り返しました。2人の間には7人の子どもが誕生し、そのうち3人は養子として階上で実父と妻に育てられました。

他の子ども4人はエリザベートと地下室で過ごしました。事件が発覚したきっかけは子どもの一人が意識を失ったことでした。病院へ連れて行くようエリザベートが懇願し、重篤な腎不全と診断された子どもが入院することになったのです。
妻のロゼマリアは事件のことをまったく知りませんでした。娘はカルト宗教を信じて家出をしていると信じ込まされてきたからです。

しかし子どもが入院したことから地下に閉じ込められていたエリザベートが24年ぶりに解放されて、入院先の病院を訪れたことで事件が発覚しました。実父のヨーゼフは逮捕されて終身刑の判決を下されています。

クリーブランド監禁事件

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クリーブランド監禁事件は3人の女性が誘拐されて10年間監禁された事件です。誘拐されたのは当時21歳だったミシェル・ナイト、当時17歳のアマンダ・ベリー、当時14歳のジーナ・デジーザスです。

ジーナは犯人の娘と同級生で顔見知りでした。アマンダは監禁生活中に犯人との間に子どもが生まれています。他の2名も強姦をされていますが妊娠が発覚するとお腹を蹴られて流産させられていたため、脱出時はアマンダの6歳の子しかいませんでした。

犯人が鍵をかけ忘れたことにアマンダが気づき脱出しようとしていたところを隣家の住民に助けられて事件が発覚しました。犯人のカストロは刑務所に送致されて1か月後に首をつって自殺しています。

新潟少女監禁事件

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新潟少女監禁事件は1990年に当時9歳で誘拐された少女が2000年に加害者の自宅で発見されたことを機に発覚した事件です。加害者の佐藤宣行は母親と暮らしていましたが引きこもりであったため少女を連れ込んだことはばれていませんでした。

少女が泣いたり抵抗したりすると暴行を加え、常にベッドの上にいるよう指示しました。部屋から出ることを許されず度々暴行を加えられていたため少女の46kgあった体重は38kgに減っています。

佐藤宜行は母親にも暴力を振るっており、耐えきれなくなった母親が保健所へ相談しました。精神病院へ強制的に入院させることが決定して保健所の職員が自宅を訪れたことで少女の存在が発覚します。佐藤には懲役14年の判決が下されました。

女子中学生誘拐監禁事件

Background Fence Freedom - Free photo on Pixabay (491931)

女子中学生誘拐監禁事件は2014年に埼玉県朝霞市で行方不明になった当時14歳の少女が2年後に千葉県で保護された事件です。事前に少女の名前などを調べて少女に実名で呼び掛け「両親が離婚した、弁護士から話がある」と嘘をついた上で車に乗せて誘拐しました。

少女は誘拐された1か月後に脱出して助けを求めますが誘拐されたことを信じてもらうことができず、絶望したことで犯人の部屋に戻ったと言います。犯人からは「私は捨てられた」と書かされることで自分は親に捨てられたのだと思い込むようになりました。

しかしパソコンの使用を許された際に両親が自分のことを探していることを知り、犯人である寺内樺風が外出している隙に脱出して保護されました。寺内には懲役12年が言い渡されています。

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