2019年7月19日 更新

ナターシャカンプッシュって誰?監禁生活の様子とその後とは

オーストリア少女監禁事件の被害者であるナターシャカンプッシュをご存知でしょうか。突然誘拐されて監禁生活を送ることになりましたが強い意志を持ち、誘拐から8年後に脱出した人物です。事件の概要やその後について詳しくご紹介します。

目次

Radio Portable Transistor - Free photo on Pixabay (491890)

地下室で半年ほど過ごした後に、一時的ではあるものの地上階で過ごすことを許されています。ただし眠る時と犯人が仕事で出かける時は地下室に戻されていました。

ナターシャは10歳で誘拐されましたが監禁生活から脱出した後のインタビューでは語彙力が豊かだったのでインタビュアーに驚かれています。

監禁中にたくさんの本を読み、テレビやラジオに耳を傾けていたことが理由だとされています。編み物や料理についても独学で学んでいました。

家の中では1m後ろを歩くよう強制される

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家の中では1m後ろを歩くように強制されて奴隷のように扱われました。歩けなくなるほど殴られたこともあったと言います。

初潮を迎えるまでは性的虐待が行われていませんでしたが、初潮を迎えると性的虐待が始まるようになりました。髪をそられたり家事をさせられたりすることもあり辛い毎日を過ごしてました。

しかし自分は監禁されるために生まれてきたのではないと自分自身に言い聞かせて、自由になることを諦めませんでした。

十分な食事を与えられなかった

Croissants Jelly Breakfast Puff - Free photo on Pixabay (491892)

監禁当初は十分な食事を与えられていましたが、初潮を迎えた後から食事制限が始まります。保護された時の体重は誘拐時とほぼ同じ48キロで、やせ細り青白い顔をしていました。

空腹状態だったため16歳の時の体重はわずか38キロだったと言います。また、身長が誘拐時から15cmしか伸びておらず食事制限により衰弱していたことがわかります。

食事制限だけでなく精神的な虐待も影響して健康状態はあまりよくありませんでした。朝食はプリクロピルと雑談をしながら一緒に食べていました。

寝る時は手錠をかけられた

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寝る時は手錠をかけられていましたがナターシャは一日のほとんどを一人で過ごしていて孤独だったため犯人の帰りを待ちわびていました。

犯人の帰宅後にはお休みのキスまでねだっています。「誘拐犯が帰ってくると、自分をちゃんとベッドに連れて行って、お休み前のお話をしてくれるように頼みました。お休みのキスまでねだりました。どうにかして自分は普通の生活をしているんだと思い込もうとしたのです。」と後に語りました。

18歳の時に声を出さないことを条件に外出を許される

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18歳になると声を出さないことを条件に外出を許されるようになります。ただしプリクロピルのすぐ横を歩くように強制され、声を少しでも出したら撃つと言われていました。

一度声を出してしまった時に犯人は首を掴んで流し台まで連れて行き、頭を水に押し込んで気を失いそうになるまで首を絞めました。

近隣住民は庭でナターシャを見かけたりプリクロピルと外出している姿を目撃したりしていましたが、ナターシャは怖い思いをしたため外に出ても助けを求める声をあげることはできませんでした。

長期間脱出できなかった理由

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世間からは脱出できる機会がまったくなかったわけではないのに脱出を試みなかったことを疑問視されています。しかし言葉や暴力で10歳の時から脅され続ければ犯人の言うことを聞いてしまうのは無理のないことです。

常に空腹状態にさせられていたことや脱出に何度か失敗したことも逃げる意欲を失わさせたと言えます。長期間脱出できなかった理由を詳しく見ていきましょう。

家族は厄介払いできて喜んでいるという嘘の情報を与えられた

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犯人はナターシャの逃げ出す意欲を失わせるために家族が身代金の支払いを拒否していて、厄介払いできて喜んでいるという嘘の情報を与えました。

家族から探されていないと言われ続ける精神的な虐待を受けましたがナターシャは最後まで希望を捨てていませんでした。

脱出を試みて何度も失敗したことから、脱出ではなく状況を改善することに意識を向けて独学で勉強するようになったのです。プリクロピルが2、3冊の本を与えるたびに夢中で読み込みました。

ドアや窓には爆弾が仕掛けてあると脅されていた

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ドアや窓には爆弾が仕掛けてあると脅されていたため、逃げ出すことができませんでした。爆弾が本当に仕掛けられているわけではありませんでしたが当時10歳だったナターシャが信じてしまうのは無理ありません。

地下室には窓がなく、地上階へつながるドアがあるだけでした。もしドアを開けられたとしても地上階の窓やドアを開けることができなかったので、どちらにしろ精神的な虐待を受けている中での脱出は困難だったでしょう。

犯人からの言葉は思っているよりも心に重くのしかかるのです。

逃げようとしたら銃で撃つと言われていた

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逃げようとしたら銃で撃つと言われていました。なぜ隙をついて逃亡しなかったのかという問いに「もう少しでいいから、独りにしておいてほしい。」と答えていることから殺されるかもしれない恐怖の中では犯人に服従するしかなかったことがわかります。

続けて「たくさんのひとびとが自分を心配してくれるのは嬉しいけれど、すべてをうまく説明できるようになる時がくるまで、とにかくそっとしておいて欲しい、時間が欲しい」と答えました。

ナターシャ自身が狭い地下室に閉じ込められている間に通常の感覚を失い、世間の考え方とのギャップに苦しんでいます。冷静に考えたら当たり前のことでも異常な空間に閉じ込められていれば冷静な判断はできなくなるのです。

常に空腹状態で衰弱していた

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プリクロピルはナターシャが逃げないように常に空腹状態にして衰弱させました。性的虐待や精神的な虐待の他に肉体的虐待もしていたのです。

性的虐待については初潮を迎えるまでキスや軽い愛撫に留まり無理やり強姦されることはありませんでした。ただしその後は強姦を繰り返していて、当時の様子を振り返ったナターシャは「叫ぶことはありませんでした。私の体が叫べなかったのです。でも無言で叫んでいました」と語りました。

餓死寸前まで追い込まれたとも語っています。

脱出に何度も失敗していた

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