目次
- オーストリア少女監禁事件の被害者ナターシャカンプッシュ
- 事件の概要
- 当時10歳のナターシャカンプッシュが誘拐される
- 車に引きずり込まれるのをみたという目撃証言
- 警察が犯人の元を訪れるが気づかなかった
- 誘拐から8年後に隙をみて脱出し保護される
- 犯人は自殺
- 監禁生活の様子
- 地下室に監禁される
- 半年後に地上階で過ごすことを一時的に許される
- 家の中では1m後ろを歩くよう強制される
- 十分な食事を与えられなかった
- 寝る時は手錠をかけられた
- 18歳の時に声を出さないことを条件に外出を許される
- 長期間脱出できなかった理由
- 家族は厄介払いできて喜んでいるという嘘の情報を与えられた
- ドアや窓には爆弾が仕掛けてあると脅されていた
- 逃げようとしたら銃で撃つと言われていた
- 常に空腹状態で衰弱していた
- 脱出に何度も失敗していた
- ナターシャはストックホルム症候群?
- ストックホルム症候群とは
- 犯人が自殺した際に死を悼んだ
- 犯人に怒りや恨みがない
- 監禁事件の犯人はヴォルフガング・プリクロピル
- プリクロピルの生い立ち
- マザーコンプレックスだった
- ナターシャを奴隷として服従させた
- ナターシャが逃げたら死ぬつもりだった
- ナターシャのその後
- 家族の元へ戻り大学を卒業する
- 監禁生活について綴った自叙伝を出版
- スリランカに小児病院を建設
- 犯人の自宅を購入し管理している
- 同様の監禁事件は他にも起きている
- フリッツル事件
- クリーブランド監禁事件
- 新潟少女監禁事件
- 女子中学生誘拐監禁事件
- ナターシャは普通の日常生活を送るべく努力している
オーストリア少女監禁事件の被害者ナターシャカンプッシュ
via pixabay.com
オーストリア少女監禁事件の被害者であるナターシャカンプッシュは顔見知りの男に突然誘拐をされて8年間監禁生活を強いられました。
事件の概要や監禁生活の様子、犯人やナターシャのその後について見ていきます。また、ストックホルム症候群についてもご紹介します。
海外だけでなく日本でも同様の監禁事件は起きています。事件について知り、誰の身にも起こりうることだと覚えておきましょう。ナターシャは生きて脱出することができましたが他の誘拐事件では亡くなっている人もいます。
事件の概要や監禁生活の様子、犯人やナターシャのその後について見ていきます。また、ストックホルム症候群についてもご紹介します。
海外だけでなく日本でも同様の監禁事件は起きています。事件について知り、誰の身にも起こりうることだと覚えておきましょう。ナターシャは生きて脱出することができましたが他の誘拐事件では亡くなっている人もいます。
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事件の概要
via pixabay.com
当時10歳だったナターシャが誘拐されて事件は発生します。目撃証言があり、犯人の自宅に警察が訪れたにもかかわらず見破ることができませんでした。
8年半に渡って地下室に閉じ込められましたが何とか自力で脱出して無事に保護されました。犯人は自殺をしてしまったため犯行動機はわからないままです。
事件の概要について詳しく見ていきましょう。
8年半に渡って地下室に閉じ込められましたが何とか自力で脱出して無事に保護されました。犯人は自殺をしてしまったため犯行動機はわからないままです。
事件の概要について詳しく見ていきましょう。
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当時10歳のナターシャカンプッシュが誘拐される
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1998年3月12日、オーストリアのウィーンで暮らしていた当時10歳のナターシャカンプッシュが通学途中に誘拐されました。ナターシャは母親と2人で暮らしており、前日に親子喧嘩をしたせいで初めて一人で通学した日に運悪く誘拐されたのです。
その後男の家から逃げ出すまで8年半の監禁生活を送ることになります。監禁されたのは防音の地下室で誰にも気づいてもらうことができませんでした。
ナターシャの母親が殺害したのではないかと疑われる事態に発展するほど捜索の手掛かりがないまま8年半は過ぎました。
その後男の家から逃げ出すまで8年半の監禁生活を送ることになります。監禁されたのは防音の地下室で誰にも気づいてもらうことができませんでした。
ナターシャの母親が殺害したのではないかと疑われる事態に発展するほど捜索の手掛かりがないまま8年半は過ぎました。
車に引きずり込まれるのをみたという目撃証言
via pixabay.com
ナターシャが白いマイクロバスに引きずり込まれるのを12歳の子どもが目撃しています。目撃証言をもとに警察は白いマイクロバスの持ち主を捜索しました。
警察が調べた白いマイクロバス776台の中には犯人のものもありました。犯人はナターシャの家から車で30分のところに住む元エンジニアの男、ヴォルフガング・プリクロピルです。
事件から3か月後に警察は当時36歳だったプリクロピルの家を訪れて尋問しています。
警察が調べた白いマイクロバス776台の中には犯人のものもありました。犯人はナターシャの家から車で30分のところに住む元エンジニアの男、ヴォルフガング・プリクロピルです。
事件から3か月後に警察は当時36歳だったプリクロピルの家を訪れて尋問しています。
警察が犯人の元を訪れるが気づかなかった
via pixabay.com
警察は犯人の家を訪れましたが監禁には気付きませんでした。プリクロピルはマイクロバスの所有は認めたものの、仕事で出る色々なガラクタを持って帰るために必要だと主張したのです。
アリバイはありませんでしたが警察は犯人の言葉を信じてしまいました。ナターシャは誘拐された時にパスポートを所持していたため警察は捜索の輪を国外にも広げました。
後に警察は「犯人には確固たるアリバイがあった」とテレビで釈明しています。
アリバイはありませんでしたが警察は犯人の言葉を信じてしまいました。ナターシャは誘拐された時にパスポートを所持していたため警察は捜索の輪を国外にも広げました。
後に警察は「犯人には確固たるアリバイがあった」とテレビで釈明しています。
誘拐から8年後に隙をみて脱出し保護される
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2006年8月23日にナターシャは庭で車に掃除機をかけていました。プリクロピルも一緒にいましたが電話が鳴り、掃除機の音がうるさかったためその場を離れます。
一人になった隙をついてナターシャは走って逃げ出しました。通りかかった通行人に助けを求めましたが本気にしてもらうことができず、近くにある家の窓を叩いて警察に連絡をしてもらいました。
ナターシャが逃げ込んだ家に住む71歳の女性はやせ細りパニックを起こしている様子を見て驚き、「なぜたくさんの人がいるのに家にきたのか」と言って初めは通報してくれませんでした。警察が到着して身元の確認を行いナターシャであることが証明されて無事に保護されることになったのです。
一人になった隙をついてナターシャは走って逃げ出しました。通りかかった通行人に助けを求めましたが本気にしてもらうことができず、近くにある家の窓を叩いて警察に連絡をしてもらいました。
ナターシャが逃げ込んだ家に住む71歳の女性はやせ細りパニックを起こしている様子を見て驚き、「なぜたくさんの人がいるのに家にきたのか」と言って初めは通報してくれませんでした。警察が到着して身元の確認を行いナターシャであることが証明されて無事に保護されることになったのです。
犯人は自殺
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ナターシャが保護された数時間後にプリクロピルはウィーン北駅の近くで列車に飛び込んで自殺をしました。ナターシャは18歳になった時、犯人に解放するよう持ちかけていました。
常に一緒にいることを要求していた犯人が電話のためとはいえナターシャを一人にする隙を作ったことから、わざと逃がしたのではないかという意見も聞かれます。
真実は不明ですが長年の監禁生活に犯人自身も疲れていた可能性があると言えるでしょう。
常に一緒にいることを要求していた犯人が電話のためとはいえナターシャを一人にする隙を作ったことから、わざと逃がしたのではないかという意見も聞かれます。
真実は不明ですが長年の監禁生活に犯人自身も疲れていた可能性があると言えるでしょう。
監禁生活の様子
via pixabay.com
暴行を加えられるなど監禁生活は辛いものでしたが、本を読むことやラジオを聴くことを許されたためナターシャは学校に行けなかったにもかかわらず知的に成長します。
狭い地下室で過ごした監禁生活の様子を見ていきましょう。
狭い地下室で過ごした監禁生活の様子を見ていきましょう。
地下室に監禁される
via pixabay.com
ナターシャはガレージ下にある防音の地下室に閉じ込められました。広さは5平方メートルという狭さで扉は鋼鉄で補強されたコンクリートでできていて、出入り口は金庫で塞がれていたため脱出は不可能でした。
1日中地下室で過ごしたのは半年ほどで、犯人が仕事で出かけた後に本を読んだりテレビを見たりする生活を送りました。連れてこられた時には「お前はもうナターシャじゃない。俺のものだ」と言われたと言います。
脱出に何度も失敗したこともあり逃げる意欲を失ってより本に没頭していきました。
1日中地下室で過ごしたのは半年ほどで、犯人が仕事で出かけた後に本を読んだりテレビを見たりする生活を送りました。連れてこられた時には「お前はもうナターシャじゃない。俺のものだ」と言われたと言います。
脱出に何度も失敗したこともあり逃げる意欲を失ってより本に没頭していきました。
半年後に地上階で過ごすことを一時的に許される
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