2019年9月30日 更新

宮城事件とは?畑中少佐を含めた事件の首謀者とその真相

第二次世界大戦時、皇居では終戦を告げる「玉音放送」を巡ってのクーデターが勃発していました。首謀者は陸軍将校と近衛師団参謀達で、中心人物は畑中少佐と言われています。今回は、日本人の命運を分ける可能性もあった「宮城事件(きゅうじょうじけん)」の真相を紹介します。

目次

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1945年(昭和20年)8月15日(水)午前0時過ぎ、青年将校達は、玉音放送のレコード録音を終えた放送協会職員達と、情報局総裁であった下村宏を拘束し、レコードの在りかを吐かせようとしていました。

しかし、この職員達はレコードを持っておらず、在りかは分からないと答えた為、青年将校達は、宮城内を夜明けまで探し回りますが、結局見つけることは出来ませんでした。

最期に放送会館へ突入を試みた憲兵将校の1人も、すぐさま憲兵に取り押さえられ、クーデターは失敗に終わったのです。そして、8月15日(水)正午過ぎ、予定通りに玉音放送は流れ、日本国はようやく降伏表明を行うことが出来ました。

宮城事件発生時の時代背景

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歴史は一部だけ見ても理解することは出来ないと、冒頭でも触れましたが、宮城事件に至るまでの間には様々な出来事の積み重ねがあるのです。歴史の真相を突き詰める時は、日本だけではなく、世界の動きも知ることが大切です。

人が争いを起こす理由は多々ありますが、基本的には「欲」に左右された時が一番諍いが起こると言えるでしょう。欲と言っても様々な欲があり、権力欲・支配欲・保持欲などの強い欲望だけではなく、食欲・性欲・睡眠欲という生きる為に必要な本能的欲求というものもあります。

この本能的な生きる為の欲は命あるもの全てが持っている欲で、これを奪われそうな時には、誰しもが戦闘モードになるのです。宮城事件を起こした青年将校達も、故郷を奪われそうな日本人としての生存欲が作動したのかもしれません。ここでは、彼らが何故クーデターを起こしたのかを知る為に、宮城事件が発生するまでの時代背景を紹介します。

第一次世界大戦終戦後、参加国間には対立関係が残っていた

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そもそも第一次世界大戦が始まる以前から、ヨーロッパでは大航海時代や産業革命などで、アフリカやアジア、環太平洋諸島など、多くの国々を植民地化していました。その中でも際立って他国を侵略していのが、イギリス・フランス・ドイツです。

欲しい領土は互いに同じようなもので、自国が植民地を獲得するべく、それぞれが同盟国や協商関係を結んだりして、他国を巻き込みながら火種を大きくしていきました。その結果、ヨーロッパで大きな戦争が始まり、そこへ各国の同盟国が参戦したことで、第一次世界大戦が開戦してしまったのです。

戦地はヨーロッパのみならず、中東やアフリカ、中国大陸、そして太平洋諸島などに広がり、約50ヶ国以上の国々が戦争に巻き込まれました。フランスは自国を主戦場にされたことを恨み、戦後処理のヴェルサイユ条約にて、敗戦したドイツに膨大な賠償を与え、植民地も放棄させたりと過剰な条件を付けたのです。ドイツのみならず、それぞれが長い戦いに疲弊しつつも、何かしらの遺恨を残したまま約4年に亘る大戦は終結しました。

世界大恐慌や敗戦に伴う賠償で、各国が疲弊していた

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通貨発行権という言葉を御存じでしょうか?今現在も、我々が生きていく上で必要なお金は、国が発行している訳ではありません。日本では日銀ですが、世界にも通貨を発行する中央銀行というものがあります。しかし、これは国の機関では無く、実は民間企業であり、株式会社でもあるのです。

日銀では株の約50%以上を日本政府が保有していますが、残りの株主の正体は明かされていません。アメリカなどは、この株主が100%不明となっています。勿論その正体は、ユダヤ人なのですが、彼らはこの通貨発行権というシステムを生み出し、今も国(国民)からの返済金と利子を奪い取り、巨万の富を得ているのです。

冒頭でもお伝えしたように、彼らには二元論で国を対立させることもしますが、抱き合わせ法で双方に金を貸し、戦争を仕掛けます。勝った国からは貸したお金と利子を敗戦国の賠償金から貰い、負けた国からは当然借金の返済金や利子、そして通貨発行権や土地なども奪います。勿論株価を操作するのもユダヤなので、世界大恐慌を起こすことも簡単なのです。
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裏事情はともかく、表向きの世界大恐慌の原因となったのは、アメリカの戦争好景気でした。第一次世界大戦に参戦はしていたものの、本土での被害が全く無かったアメリカでは、戦時中ヨーロッパの代わりに工業製品や農産物を作り、その余剰分を他国へ輸出することで好景気が訪れていました。

更に、世界中の投資家はアメリカの企業株を買い、アメリカは世界経済の中心となっていくのです。しかし、第一次世界大戦後、徐々にヨーロッパが復興し始め、産業が回復してきたことで輸出量は減っていきました。製品は余っているものの、国内の低所得者達は買えず、どんどん在庫が余っていくようになります。

結果、儲けの出なくなった株主達が一気に売りに出したことで、1929年(昭和4年)10月24日(木)、ニューヨーク証券取引所では株価の大暴落が発生し、世界中が大恐慌に陥りました。更に、イギリスとフランスでは自国の物以外を流通させないというブロック経済も開始した為、日本でも大きな経済的ダメージを受けることになるのです。敗戦したドイツやイタリアもこのブロック経済で締めだされた上、莫大な賠償金の為に苦しみ世界中が疲弊していました。

第一次世界大戦終戦から21年後、再び世界的な戦争が起こる

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冒頭でも何度が登場するコミンテルンは、第一次世界大戦後、ロシア帝国を革命で倒し、ソ連を作ったレーニンが1919年(大正8年)に創立しました。共産主義思想はユダヤが生み出したものですが、レーニンも母親にユダヤ人の血が流れているクォーターなのです。

彼らコミンテルンは、世界共産主義革命を目的として世界中にスパイを送り込みました。当然、背後で資金提供をしていたのもユダヤ人達です。

第一次世界大戦後起きた世界大恐慌の影響と、アメリカ、イギリス、フランスによる輸出禁止や法外な関税により、植民地や資源を持たないドイツや、イタリア、日本は大きなダメージを受けることになりました。更に、コミンテルン達があちらこちらに入り込み、小さな紛争を起こすことで、再び世界的な戦争が始まってしまうのです。

連合国vs枢軸国

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第二次世界大戦は、第一次世界大戦後からの不況に喘ぐ、庶民達の不満が一番多かったドイツとイタリアで、ファシズム(軍事力を高め、外国に侵略政策を取るという独裁体制)思想を唱える、ヒットラーやムッソリーニが政権を取ったことから始まります。

この2人、ユダヤ人迫害が有名ですが、実はどちらもユダヤ人と係わり、ヒットラーに資金援助したのもユダヤ人であり、ムッソリーニに至っては、共産主義者であるレーニンとその秘書であるユダヤ人から、徹底的にマルクス主義を叩きこまれていたのです。冒頭で、第二次世界大戦は国を持たないユダヤが、イスラエルという領土を手に入れる為に仕掛けた壮大な茶番だと述べましたが、この戦争はユダヤの抱き合わせ法で動かされていたのでしょう。

コミンテルン達は、中国大陸も狙っており、中華民国(現在の台湾)の蒋介石(しょうかいせき)や、中国共産党の毛沢東(もうたくとう)にも資金を提供し、反日を煽りながら日本と敵対関係を作ります。更に、アメリカのルーズベルト大統領の側近としても入り込み、日米分断工作にも励みました。結果、善としての連合国(イギリス、フランス、アメリカ、オーストラリアなど19ヶ国)、悪としての枢軸国(すうじくこく:ドイツ、イタリア、日本など10ヶ国)による、第二次世界大戦が開戦したのです。

1939年~1945年まで戦争が続く

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1939年(昭和14年)9月1日(金)、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことで、第二次世界大戦は開戦されたとされています。その前にも、すでにヒットラー率いるドイツ軍は、チェコスロバキアを解体してチェコを占領し、スロバキアを保護国にしたり、リトアニアなどを割譲したりして領土を獲得し始めていたのです。

それに伴い、始めは傍観していたイギリス、フランスも、アメリカからの資金援助を受け、ドイツに対し宣戦布告をしました。ソ連もまた、ポーランドやフィンランドに侵攻したり、ドイツと不可侵条約を結ぶなど威力を強めていくのです。

ちなみに、日本が当初戦っていたのは、中華民国や中国共産党であり、あくまでもアジアの安定や独立を図る為の、大東亜戦争を開始していたのです。しかし、満州帝国を作ったことで、アジアでの利権や植民地を奪われると危惧した、イギリス、フランス、アメリカなどの白人達が、急遽日本を経済的にも、人種的にも追い詰め始め、堪忍袋の緒が切れた日本は、ついに欧米列強と戦うことになりました。こうして、第二次世界大戦は1939年(昭和14年)~1945年(昭和20年)の約6年間続いていくことになるのです。

1945年3月10日東京大空襲

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実行したのはアメリカ軍ですが、背後で日本人無差別殺戮を計画していたのは、共産主義者のコミンテルンとユダヤです。1944年(昭和19年)~1945年(昭和20年)8月15日の終戦当日まで、日本中を念入りに焼夷弾で焼き尽くす空襲がありました。

1945年(昭和20年)3月10日(土)には、首都東京を壊滅させるような勢いで、戦略的な焼夷弾爆撃を行い、ただの爆撃のみならず、逃げ惑う人々の進路や退路を塞ぐように焼夷弾を落としたのです。東京は、これ以外にも106回の空襲を受けていましたが、3月10日の大空襲では、死者数が約10万人というとてつもない被害を与えました。

戦争にルールなどあって無いようなものですが、建前上の国際法では、狙っていいのは軍施設や軍需工場という、戦闘に係わる場所だけで、民間人や医療施設を攻撃してはいけないことになっています。しかし、アメリカはこれを破り、北海道から沖縄に至るまで、民間人を狙っての空襲を続けていました。

1945年4月沖縄県に「鉄の暴風」

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現在は共産主義者のコミンテルンに操られる、日本人ではない在日韓国人や在日朝鮮人達を主体とした輩が、沖縄と日本、そしてアメリカを分断する為に、沖縄は第二次世界大戦で犠牲になったというプロバガンダをし続けています。しかし、犠牲になったのは沖縄県民だけではありません。コミンテルン達のプロバガンダのおかげで、ほとんど認知されていませんが、沖縄上陸を警戒していた内務省では、沖縄県に住む人達を軍艦に乗せ、約16万人もの県民を事前に疎開させ命を救っています。

沖縄を取られまいと、神風特攻隊は行きの燃料しか与えられず突撃して行きましたし、戦艦大和も同じく行きの燃料のみで沖縄へと向い沈没。陸軍も南洋諸島や硫黄島などで、補給も来ないまま決死で戦いましたが、最終的にはアメリカとイギリスによる連合軍に、沖縄上陸をされてしまったのです。

1945年(昭和20年)4月1日(日)、ついに連合軍が上陸し、その圧倒的な武力と兵力にて攻撃を開始します。約3ヶ月の間、大量の砲弾や空襲による爆撃を受け、土地が変わってしまう程の被害を見た沖縄タイムスの記者は、その様を「鉄の暴風」と例え、犠牲者も3万人を超えました。しかし、左翼が今も伝える日本軍が極悪だった、沖縄を見捨てたという話は、どうしても日本人を悪者にしたいプロバガンダです。

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