目次
- ネットの闇を世間に知らしめた闇サイト事件
- 闇サイト事件の概要
- 「闇の職業安定所」で川岸健治が募集をかける
- 神田司・堀慶末2名が賛同し共謀
- お互いに虚勢を張り合っていた
- 地味で黒髪の女性を物色
- 2007年8月帰宅途中の女性が男3人に拉致される
- 川岸健治はレイプしようとするも断念
- キャッシュカード及び現金を奪い車内で殺害
- 山中に女性の死体を遺棄
- 殺害翌日川岸健治は犯行をほのめかす電話をかけ逮捕される
- その後他2名も続けて逮捕される
- 殺害された被害者の生い立ち
- 1976年7月誕生
- いつも明るく朗らかな性格で誰からも好かれていた
- 父親を幼少期に病気で亡くす
- 女手一つとなるも母親は多くの愛情で育て上げる
- 将来の夢は「母親に家を建ててあげること」
- 殺害される4か月前瀧真語と知り合う
- 交際は順調で数字を言葉に変換して遊んでいた
- 最後のメッセージ「2960」を解読したのも恋人である瀧真語
- 残忍な殺害方法と最後まで持ち続けた強い意志
- 包丁を突き付け暗証番号を聞き出そうとする
- 被害者は「話を聞いて欲しい」と懇願する
- 「レイプはしない」と犯人に約束させる
- 殺さない事を条件に暗証番号「2960」を伝える
- 顔全体にガムテープが巻かれる
- ハンマーで40回以上殴打
- ビニール袋をかぶせ首を絞める
- 死因は窒息死であり被害者はハンマー殴打の最中も生き続けていた
- 教えられた「2960」は偽の暗証番号
- 2960=憎むわ
- 犯人川岸健治の生い立ち
- 1966年石川県金沢市で誕生
- 幼少期に肝臓病を患っていたことによりいじめを受けていた
- 高校進学直後から非行に走り少年鑑別所に収監されたことがある
- 高校中退後大手警備会社に7年間勤務
- 結婚後子供にも恵まれた
- 働きつつ振り込め詐欺用の口座設立・転売など犯罪行為を行っていた
- 住宅ローンなど金に困るようになる
- 詐欺罪で逮捕される
- 金欲しさに闇サイトを活用し続ける
- 借金の取り立てから逃れるために車上生活を行う
- 事件後死刑になりたくないために自首
- 犯人神田司の生い立ち
- 1971年3月群馬県で誕生
- 少年時代は暴走族に所属
- 高校卒業後暴力団関係の仕事を行う
- 闇サイトを利用し別の事件を起こしていた
- 職を転々とし事件当時は新聞勧誘員として働いていた
- 今回の事件では積極的に案を出していた
- 犯人堀慶末の生い立ち
- 1975年岐阜県で誕生
- 本名は金慶末
- 1998年碧南市パチンコ店夫婦殺害事件を起こす
- 2006年高齢者女性から金品を奪う強盗殺人未遂事件を起こす
- 交際女性から小遣いをもらい生活
- 金融業者に多くの借金を抱えていた
- 当事件逮捕直後過去の犯罪行為が追及されることを恐れていた
- 裁判の流れと判決
- お互いに罪を擦り付け合う
- 川岸健治は被害者に対し「運が悪い」「お気の毒」といった言葉を送る
- 川岸健治は自首したことを考慮され無期懲役判決が下る
- 川岸健治は上告せず無期懲役が確定
- 一審では神田司・堀慶末2名に死刑判決が下される
- 神田司は一度控訴するも取り下げ死刑が確定
- 神田司は友人の手を借りブログを立ち上げる
- 2015年神田司死刑執行
- 堀慶末は控訴審でも死刑判決を受ける
- 堀慶末は最高裁へ上告
- 2019年7月に判決公判予定
- 闇サイト事件その後
- 被害者の母親が署名活動を始める
- 闇サイトの閉鎖
- 関連書籍の販売
- ドラマ化
- テレビ番組で取り上げられる
- 在日への批判が高まる
- 加害者全てが再犯者であり司法への批判が高まる
- 多様化する犯罪からどのようにして身を守ればいいのか
川岸の自首により相次いで逮捕された3人は、死体遺棄罪で起訴されます。また、起訴された同日に愛知県警は3人を強盗殺人、逮捕監禁、営利目的略取の各容疑で再逮捕しました。このような状態の時でも3人は「反省していない・謝罪する気持ちはない」などといった発言をするなど、反省の色は見られませんでした。
そんな3人の判決の流れはどのようなものだったのでしょうか。各々の公判や言い分、どのような判決が下ったのかを紹介していきます。
そんな3人の判決の流れはどのようなものだったのでしょうか。各々の公判や言い分、どのような判決が下ったのかを紹介していきます。
お互いに罪を擦り付け合う
via pixabay.com
公判が始まると3人の主張は食い違います、3人とも利恵さん殺害は認めましたがお互いに罪を擦り付け合い首謀者は自分ではなく他の人だとして責任を逃れようとします。各々が自分に関係してなかったところで話が進んでいたと主張し合いました。
事件直前まで3人と行動していた本堂が証人尋問に立ち、「事件の前日に川岸と堀と話した時にはまだ殺害・拉致に関する話はでていなかった。神田が主導権を握っている感じだった」との発言から神田が実行犯である可能性が高いとの位置づけとなりました。
事件直前まで3人と行動していた本堂が証人尋問に立ち、「事件の前日に川岸と堀と話した時にはまだ殺害・拉致に関する話はでていなかった。神田が主導権を握っている感じだった」との発言から神田が実行犯である可能性が高いとの位置づけとなりました。
川岸健治は被害者に対し「運が悪い」「お気の毒」といった言葉を送る
via pixabay.com
3人の主張が食い違う発言が飛び出した第13回まで公判とは少し変わり、第14回公判では証拠調べが行われました。検察側からの証拠提出により川岸が「自首しようか自殺しようか考えていた」と供述していたことが判明しました。
そこで行われた被告人質問で川岸は被害者である利恵さんへの気持ちを聞かれ、「お気の毒でかわいそう」「運が悪かった」「ご愁傷様」といった発言を行い、検察官からたしなめられました。まるで開き直っているかのような態度に裁判長は川岸への真意を問いました。
そこで行われた被告人質問で川岸は被害者である利恵さんへの気持ちを聞かれ、「お気の毒でかわいそう」「運が悪かった」「ご愁傷様」といった発言を行い、検察官からたしなめられました。まるで開き直っているかのような態度に裁判長は川岸への真意を問いました。
川岸健治は自首したことを考慮され無期懲役判決が下る
via pixabay.com
検察側は3人に死刑を求刑しましたが、「被害者に対して肉体的激痛・精神的恐怖心をあたえながら『生き埋めにしたのと同様の残虐な方法』で殺害した行為は、まさに鬼畜の所業である。」
「殺害後は利欲的動機の赴くままに死体の処分よりも預金の引き出しを優先し、失敗するとすぐに死体をゴミ同然に遺棄した。その行為は人命の尊厳を、一顧だにしておらず戦慄を覚えずにはいられない」とし、川岸は自首したことを考慮されて無期懲役判決が下ります。
「殺害後は利欲的動機の赴くままに死体の処分よりも預金の引き出しを優先し、失敗するとすぐに死体をゴミ同然に遺棄した。その行為は人命の尊厳を、一顧だにしておらず戦慄を覚えずにはいられない」とし、川岸は自首したことを考慮されて無期懲役判決が下ります。
川岸健治は上告せず無期懲役が確定
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川岸はその後、上告することなく無期懲役が確定しました。上告しなかった理由を2009年3月19日に中日新聞記者と面会した際に「自分も含めて3人とも同じ刑になる」と思っていたが、神田と同じ判決だったら控訴するつもりだった。自首が認められて死刑を免れて助かった」と述べています。
川岸は神田に対して強い憎悪を抱いており、自首した要因の1つに川岸を見下すような神田の態度に腹を立てるほど、神田のことを敵対視していました。
川岸は神田に対して強い憎悪を抱いており、自首した要因の1つに川岸を見下すような神田の態度に腹を立てるほど、神田のことを敵対視していました。
一審では神田司・堀慶末2名に死刑判決が下される
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「これまでは殺害された被害者の数が重視されてきたが、それらは『考慮すべき要素の1つ』としてあげたものに過ぎず、被害者より被告人の数の方が多い場合であっても、罪質・結果の重大性などと照らし合わせて、刑事責任が重大な場合は【死刑を】選択すべきだ」とし、神田と堀に死刑判決が下ります。
これまで死刑選択基準となってきた永山基準による被害者数を下回る人数であったのですが、死刑が求刑されるということはその残虐性が認められたものとなります。
これまで死刑選択基準となってきた永山基準による被害者数を下回る人数であったのですが、死刑が求刑されるということはその残虐性が認められたものとなります。
神田司は一度控訴するも取り下げ死刑が確定
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判決後、神田の弁護人は、闇サイトを利用して形成された犯罪集団の危険性や模倣性を、不当に重くしており、量刑事情として解釈している。とコメントし、同日付で死刑判決を不服とし名古屋高等裁判所に控訴しました。
一方で神田は、弁護人が控訴の申し立てをしていた際に「法廷で被害者の母親の顔を見たらともじゃないが自分では控訴できないと思った」と発言しており、2009年4月13日控訴を取り下げる書類を提出し、神田の死刑が確定しました。
一方で神田は、弁護人が控訴の申し立てをしていた際に「法廷で被害者の母親の顔を見たらともじゃないが自分では控訴できないと思った」と発言しており、2009年4月13日控訴を取り下げる書類を提出し、神田の死刑が確定しました。
神田司は友人の手を借りブログを立ち上げる
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この公判の最中に、どういうわけか神田は友人に手紙を渡しその友人はブログを開設した。そのブログのタイトルは「真実 神田司」です。現在は削除されているために見ることはできませんが、おおまかにこのような内容が記載されていました。
「私は人を殺したが、残りの人生はその罪を償うために使わなくてはいけない。今も死刑という判決には異論はないが、私はマスコミが報道しているまやかしではなく真実を国民の皆様に知って欲しいのです。」
「私は人を殺したが、残りの人生はその罪を償うために使わなくてはいけない。今も死刑という判決には異論はないが、私はマスコミが報道しているまやかしではなく真実を国民の皆様に知って欲しいのです。」
2015年神田司死刑執行
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2015年6月25日、法務省の上川陽子法相により神田司死刑囚の死刑が執行されました。死刑確定から約6年2か月の年月が過ぎていました。この死刑執行は2014年8月以来の約10か月ぶりの執行でした。
神田死刑囚の死刑が執行された日は、奇しくも被害者となった利恵さんの月命日でした。神田は上告を取り下げて死刑を受け入れたような行動をとっていましたが、生に執着するような行動を突然とり始めたりと、戸惑っていたさまが見受けられます。
神田死刑囚の死刑が執行された日は、奇しくも被害者となった利恵さんの月命日でした。神田は上告を取り下げて死刑を受け入れたような行動をとっていましたが、生に執着するような行動を突然とり始めたりと、戸惑っていたさまが見受けられます。
堀慶末は控訴審でも死刑判決を受ける
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堀は死刑判決を受けた後、死刑判決が理解できないほど涙ぐみ落胆していました。死刑判決が言い渡された4時間後に毎日新聞の記者と面会した際に「想定はしていたが死刑判決の言葉は重かった」とコメントしています。
その後上告した堀は、被害者遺族に謝罪の手紙を送るなど反省の様子を見せようとします。そして控訴審はんけつで無期懲役が決定します。しかしその後判明したパチンコ店夫婦殺人事件で再び死刑判決を受けることとなりました。
その後上告した堀は、被害者遺族に謝罪の手紙を送るなど反省の様子を見せようとします。そして控訴審はんけつで無期懲役が決定します。しかしその後判明したパチンコ店夫婦殺人事件で再び死刑判決を受けることとなりました。
堀慶末は最高裁へ上告
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