2019年8月1日 更新

闇サイト事件の概要!残虐な事件の犯人の生い立ちと下された判決とは

闇サイト殺人事件という事件を知っていますか?顔も知らない犯人たちが闇サイトを利用して集まり、共謀して思い付きで行った凶悪な殺人事件です。そんな3人の生い立ちや事件の概要、3人にどのような判決が下ったのかを紹介していきます。

目次

川岸の自首により相次いで逮捕された3人は、死体遺棄罪で起訴されます。また、起訴された同日に愛知県警は3人を強盗殺人、逮捕監禁、営利目的略取の各容疑で再逮捕しました。このような状態の時でも3人は「反省していない・謝罪する気持ちはない」などといった発言をするなど、反省の色は見られませんでした。

そんな3人の判決の流れはどのようなものだったのでしょうか。各々の公判や言い分、どのような判決が下ったのかを紹介していきます。

お互いに罪を擦り付け合う

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公判が始まると3人の主張は食い違います、3人とも利恵さん殺害は認めましたがお互いに罪を擦り付け合い首謀者は自分ではなく他の人だとして責任を逃れようとします。各々が自分に関係してなかったところで話が進んでいたと主張し合いました。

事件直前まで3人と行動していた本堂が証人尋問に立ち、「事件の前日に川岸と堀と話した時にはまだ殺害・拉致に関する話はでていなかった。神田が主導権を握っている感じだった」との発言から神田が実行犯である可能性が高いとの位置づけとなりました。

川岸健治は被害者に対し「運が悪い」「お気の毒」といった言葉を送る

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3人の主張が食い違う発言が飛び出した第13回まで公判とは少し変わり、第14回公判では証拠調べが行われました。検察側からの証拠提出により川岸が「自首しようか自殺しようか考えていた」と供述していたことが判明しました。

そこで行われた被告人質問で川岸は被害者である利恵さんへの気持ちを聞かれ、「お気の毒でかわいそう」「運が悪かった」「ご愁傷様」といった発言を行い、検察官からたしなめられました。まるで開き直っているかのような態度に裁判長は川岸への真意を問いました。

川岸健治は自首したことを考慮され無期懲役判決が下る

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検察側は3人に死刑を求刑しましたが、「被害者に対して肉体的激痛・精神的恐怖心をあたえながら『生き埋めにしたのと同様の残虐な方法』で殺害した行為は、まさに鬼畜の所業である。」

「殺害後は利欲的動機の赴くままに死体の処分よりも預金の引き出しを優先し、失敗するとすぐに死体をゴミ同然に遺棄した。その行為は人命の尊厳を、一顧だにしておらず戦慄を覚えずにはいられない」とし、川岸は自首したことを考慮されて無期懲役判決が下ります。

川岸健治は上告せず無期懲役が確定

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川岸はその後、上告することなく無期懲役が確定しました。上告しなかった理由を2009年3月19日に中日新聞記者と面会した際に「自分も含めて3人とも同じ刑になる」と思っていたが、神田と同じ判決だったら控訴するつもりだった。自首が認められて死刑を免れて助かった」と述べています。

川岸は神田に対して強い憎悪を抱いており、自首した要因の1つに川岸を見下すような神田の態度に腹を立てるほど、神田のことを敵対視していました。

一審では神田司・堀慶末2名に死刑判決が下される

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「これまでは殺害された被害者の数が重視されてきたが、それらは『考慮すべき要素の1つ』としてあげたものに過ぎず、被害者より被告人の数の方が多い場合であっても、罪質・結果の重大性などと照らし合わせて、刑事責任が重大な場合は【死刑を】選択すべきだ」とし、神田と堀に死刑判決が下ります。

これまで死刑選択基準となってきた永山基準による被害者数を下回る人数であったのですが、死刑が求刑されるということはその残虐性が認められたものとなります。

神田司は一度控訴するも取り下げ死刑が確定

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判決後、神田の弁護人は、闇サイトを利用して形成された犯罪集団の危険性や模倣性を、不当に重くしており、量刑事情として解釈している。とコメントし、同日付で死刑判決を不服とし名古屋高等裁判所に控訴しました。

一方で神田は、弁護人が控訴の申し立てをしていた際に「法廷で被害者の母親の顔を見たらともじゃないが自分では控訴できないと思った」と発言しており、2009年4月13日控訴を取り下げる書類を提出し、神田の死刑が確定しました。

神田司は友人の手を借りブログを立ち上げる

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この公判の最中に、どういうわけか神田は友人に手紙を渡しその友人はブログを開設した。そのブログのタイトルは「真実 神田司」です。現在は削除されているために見ることはできませんが、おおまかにこのような内容が記載されていました。

「私は人を殺したが、残りの人生はその罪を償うために使わなくてはいけない。今も死刑という判決には異論はないが、私はマスコミが報道しているまやかしではなく真実を国民の皆様に知って欲しいのです。」

2015年神田司死刑執行

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2015年6月25日、法務省の上川陽子法相により神田司死刑囚の死刑が執行されました。死刑確定から約6年2か月の年月が過ぎていました。この死刑執行は2014年8月以来の約10か月ぶりの執行でした。

神田死刑囚の死刑が執行された日は、奇しくも被害者となった利恵さんの月命日でした。神田は上告を取り下げて死刑を受け入れたような行動をとっていましたが、生に執着するような行動を突然とり始めたりと、戸惑っていたさまが見受けられます。

堀慶末は控訴審でも死刑判決を受ける

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堀は死刑判決を受けた後、死刑判決が理解できないほど涙ぐみ落胆していました。死刑判決が言い渡された4時間後に毎日新聞の記者と面会した際に「想定はしていたが死刑判決の言葉は重かった」とコメントしています。

その後上告した堀は、被害者遺族に謝罪の手紙を送るなど反省の様子を見せようとします。そして控訴審はんけつで無期懲役が決定します。しかしその後判明したパチンコ店夫婦殺人事件で再び死刑判決を受けることとなりました。

堀慶末は最高裁へ上告

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