2019年8月1日 更新

闇サイト事件の概要!残虐な事件の犯人の生い立ちと下された判決とは

闇サイト殺人事件という事件を知っていますか?顔も知らない犯人たちが闇サイトを利用して集まり、共謀して思い付きで行った凶悪な殺人事件です。そんな3人の生い立ちや事件の概要、3人にどのような判決が下ったのかを紹介していきます。

目次

磯谷さんを殺害後、車内の3列目後部座席に遺体を隠し窓を全開にしてエアコンを18度に設定したのちに、車内の血痕をふき取りました。その後キャッシュカードから預金を引き出そうと、車内の駐車場を出発します。しかし夜間のため引き出せるコンビニが見つからず、夜が明ける前に遺体を遺棄しようと山に向かいます。

林道に入り、遺体を埋めるためのスコップ2本を山小屋から盗み、磯谷さんの死体を山中に遺棄します。当初は遺体を地中に埋めようとしていましたが、早く終わらせたいとの考えから遺体の下半身に少し土をかけた状態でその場を後にしました。

殺害翌日川岸健治は犯行をほのめかす電話をかけ逮捕される

Autumn Landscape Nature - Free photo on Pixabay (526858)

銀行からお金をおろせなかったことで、3人は再び拉致強盗を行うことを決めます。その際に再び拉致強盗を行うのに消極的な態度だった川岸に対し、堀は挑発メールを送ります。また、神田からは今度はレイプしようとするなと注意を受けたことにより2人への強い不満を川岸は抱きます。

集合時間を決め、堀と神田を車で送り届けた後、川岸は近くのスーパーマーケットで仮眠を取ろうとします。しかし、被害者を殺害した情景が頭から離れず神田と別れてから30分後に自ら110番通報しました。

その後他2名も続けて逮捕される

Evening Sun Sunset - Free image on Pixabay (526859)

最初の通報で警察から相手にされなかった川岸は、愛知県警察本部の電話番号を調べ「仲間と3人で女性を拉致した後現金を奪い殺害した」と電話しました。川岸が名古屋のショッピングセンターにいたことが判明し、警察と機動隊隊員らが駆け付け川岸の身柄を確保しました。

事情聴取を受けた際に、磯谷さんの遺体を遺棄した場所や共犯者2人の存在を仄めかしたため、神田と堀の住所を特定し身柄を相次いで確保しました。その際に警察は川岸に指示して電子メールを送らせ、その場所に捜査員を張り込ませるなどして堀を取り押さえました。

殺害された被害者の生い立ち

Summer Sunset Meadow - Free photo on Pixabay (526860)

川岸健治ら3名によって、突然命を奪わわれた磯谷利恵さん。闇サイト殺人事件が有名になったのは、事件の内容が凄惨だったこともありますが、被害者である磯谷利恵さんの素晴らしい人格が、世間に与えた影響も大きいのです。

マイホームを持つというシングルマザーで育ててくれた母の夢を叶えるために、密かに数百万の貯金をしていたという磯谷さん。31歳という若さで亡くなってしまった彼女はどのような人だったのかを紹介していきます。

1976年7月誕生

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モントリオールオリンピックが開催中であった1976年(昭和51年)7月20日、岐阜県岐阜市で父親の磯谷末吉さん(当時29歳)と母親の磯谷富美子さん(当時24歳)の間に磯谷利恵さんは誕生しました。

両親の愛情を受け、すくすくと育っていった利恵さん。シングルマザーの母の夢を叶えるために節約をし、趣味の囲碁を通じて将来の伴侶となりえる人と出会う。その未来だけかなって、凄惨な事件の被害者となったことは無かったことにしたいものです。

いつも明るく朗らかな性格で誰からも好かれていた

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利恵さんは明るく朗らかな性格でした。子どもの頃の利恵さんを知る関係者の方はみんな大人しい性格だと口をそろえて伝えています。また、小中学校時代の同級生によると、利恵さんは中学校時代、文芸部と読書クラブに所属しており、丁寧な字でノートを書く姿が印象的だったと言います。

近所の人も犬の散歩中に会った時はずっと犬をなでてくれたと振り返り、周りの人からは穏やかな印象を持たれていました。高校時代には「どうやったらあんな素晴らしい娘さんが育つのか」と担任から聞かれるほど思いやりのあるしっかりした女性でした。

父親を幼少期に病気で亡くす

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家族3人で仲睦まじく生活していた中、磯谷家に悲しい出来事が起こります。利恵さんが1歳9か月だったころに、父親の磯谷末吉さんが急性骨髄性白血病で30代前半という若さでこの世を去ってしまいます。

働き盛りの30代前半、まだ若い奥さんの富美子さんと利恵さんを残してこの世を去らなければならないということは末吉さんにとっても辛い事だったでしょう。父親がなくなった後も母子は2人で共に支え合いながら生活していきました。

女手一つとなるも母親は多くの愛情で育て上げる

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旦那さんが急性骨髄性白血病で亡くなった悲しみの中で、母親の富美子さんにとって娘の利恵さんはかけがえのない宝物でした。父親がいないからと悲しい思いや我慢をさせないように、たくさんの愛情を込めて利恵さんを育てていきます。

母娘2人になってからは母親が女手ひとつで利恵さんを育てつつ、親族を頼って名古屋市内に移住しました。幼稚園入園前に事件当時母娘2人で住んでいた、名古屋市千種区にある市営住宅へ移り住すむこととなります。

将来の夢は「母親に家を建ててあげること」

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利恵さんにはお母さんに内緒にしていた将来の夢がありました。それが、母親に家を建ててあげることです。利恵さんは昔から母親に「お父さんはあなたが産まれた時に、立派な家を建てるんだ」と言っていたと聞きます。それは両親の夢でもあり、利恵さんにとっての夢にもなりました。

その夢を叶えるために、ひたすらまじめに働きました。ファッションや娯楽などを制限し、自作のお弁当を作り節約するなどして800万円ものお金を貯金することができました。

殺害される4か月前瀧真語と知り合う

Milky Way Starry Sky Night - Free photo on Pixabay (526866)

真面目に生活をしていた利恵さんは、殺害される4か月前に恋人である瀧真語さんと知り合います。囲碁を趣味としていた利恵さんは、友人からおしゃれなカフェで囲碁が打てると誘われてそのカフェに通い始めます。

そこで、そのカフェで囲碁を通じて、数学者を夢見ていた名古屋大学・大学院生の瀧真語さんと交際をスタートさせます。初段を目指して囲碁を意欲的に取り組んでいる利恵さんと少し変わったところもあるが優しい瀧さんとの真面目な交際は続きます。

交際は順調で数字を言葉に変換して遊んでいた

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