目次
- 津山事件とは?
- 有名小説「八つ墓村」のモデル
- 津山事件の犯人「都井睦雄」
- 都井睦雄の生い立ち
- 姉に対する強い執着心
- 異常な性欲
- 結核が原因で村から孤立?!
- 都井睦雄の事件前の行動
- 凶器の入手
- 祖母の殺人未遂容疑
- 再度凶器を入手
- 事前に遺書を用意
- 津山事件の詳細
- 決行日前日に停電
- 約1時間半の犯行
- 津山事件の被害者
- 殺害方法詳細
- 一方で助かった人も
- 都井睦雄の事件後の行動
- 隣の集落で遺書を書く
- 遺書の内容
- 遺書には関係者の実名も
- 仙の城で自殺
- 当時の文化や村の風習
- 兵役
- 夜這い
- 事件当時の世間の反応
- 新聞やラジオで大きく報道
- 昭和の「鬼熊事件」として号外が出る
- 夜這いの風習を強く批判
- 都井睦雄の犯行動機
- 犯行のきっかけ
- 犯行動機
- 祖母殺害の動機
- 津山事件後の村人たちや村の様子
- 都井の生家の取り壊し
- 当時の村人は1人も住んでいない
- 70年後の取材で分かったこと
- 犯行の引き金となったのは当時の婚約者?!
- 元婚約者は社会から孤立
- 都井睦雄の姉のうどん屋
- 津山事件と類似する事件
- ワグナー事件
- 山口連続殺人放火事件
- 昭和最大級の大量事件
津山事件とは?
via pixabay.com
津山事件は、2ちゃんねるのオカルトスレッドで話題となり、今も尚語り継がれる大量殺人事件です。「こらえてつか~さい」というフレーズを聞いたことがある人も多いでしょう。
1938年(昭和13年)5月21日土曜日の深夜、岡山県にあった西加茂村(にしかもそん)にあった、貝尾と坂元という2つの集落を、一人の男が猟銃や日本刀などを使って襲撃しました。男の名前は、都井睦雄(といむつお)。同じ貝尾の集落に住む21歳の若者でした。
彼はたった1時間半のうちに、集落内の11軒の家を襲撃して、33人を猟銃や刀で襲い、最後は自殺してこの事件は終わったのです。
1938年(昭和13年)5月21日土曜日の深夜、岡山県にあった西加茂村(にしかもそん)にあった、貝尾と坂元という2つの集落を、一人の男が猟銃や日本刀などを使って襲撃しました。男の名前は、都井睦雄(といむつお)。同じ貝尾の集落に住む21歳の若者でした。
彼はたった1時間半のうちに、集落内の11軒の家を襲撃して、33人を猟銃や刀で襲い、最後は自殺してこの事件は終わったのです。
おじろく・おばさとは?おじろく・おばさという風習の実情 - POUCHS
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有名小説「八つ墓村」のモデル
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「祟りじゃ~八つ墓村の祟りじゃ~」というキャッチコピーが、流行語になった映画、「八つ墓村」の原作は、推理小説作家である横溝正史の人気小説、「金田一耕助シリーズ」の一作です。
「八つ墓村」の小説は、映画やテレビドラマでも何度も放送されているので、知っている人も多いでしょうが、実は津山事件がモデルとなっています。作者である横溝正史は、戦時中岡山県に疎開しており、その時の体験や土地の風土などを元にして書いた、「おかやまもの」と呼ばれる作品の代表作とも言われています。
簡単にストーリーを説明すると、母が死んで身内は一人もいないと思っていた寺田辰也は、ある日新聞に載った人探しで、自分が探されていることを知り、そこから事件へと巻き込まれていくことになりました。天涯孤独と思っていた自分は、岡山にある村の金持ちの家の息子だったことと、八つ墓村の祟り、そして父の遺体と村人32人殺しの事実を知ることになり、話が展開していくのです。
「八つ墓村」の小説は、映画やテレビドラマでも何度も放送されているので、知っている人も多いでしょうが、実は津山事件がモデルとなっています。作者である横溝正史は、戦時中岡山県に疎開しており、その時の体験や土地の風土などを元にして書いた、「おかやまもの」と呼ばれる作品の代表作とも言われています。
簡単にストーリーを説明すると、母が死んで身内は一人もいないと思っていた寺田辰也は、ある日新聞に載った人探しで、自分が探されていることを知り、そこから事件へと巻き込まれていくことになりました。天涯孤独と思っていた自分は、岡山にある村の金持ちの家の息子だったことと、八つ墓村の祟り、そして父の遺体と村人32人殺しの事実を知ることになり、話が展開していくのです。
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津山事件の犯人「都井睦雄」
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津山事件の犯人、都井睦雄(といむつお)は、村では頭の良い子として幼い頃から有名でした。しかし、彼は最後に鬼と化して大量殺人事件を起こしてしまうのです。
彼の人生は、一体何処で間違ってしまうのでしょうか?ここでは、都井睦雄の生い立ちや性格などを、詳しく紹介していきます。
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都井睦雄の生い立ち
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都井睦雄(といむつお)は、1917年(大正6年)3月5日、岡山県の加茂村(かもむら)にある、倉見(くらみ)という集落で生まれました。しかし、睦雄がまだ幼い頃に、両親が相次いで結核で亡くなってしまいます。
2歳の時に父親、そして翌年に母親も亡くなってしまい、祖母が睦雄と3歳上の姉を引き取ることになりました。彼が6歳の頃、祖母の実家があった貝尾に引っ越してきたのです。睦雄は幼い頃から、あまり身体が丈夫ではありませんでしたが、とても頭が良く、成績も優秀で級長に任命される程の子供でした。
そんな跡取り孫である睦雄を祖母は溺愛しており、彼が高等小学校(現在の中1~2年相当)を卒業する頃、肋膜炎に掛かってからは農作業も禁じられるほどでした。成績優秀だった睦雄は、中学(現在の高校)に進学するつもりでしたが、村には中学はありません。睦雄が自分の手元から離れるのを寂しがった祖母は、涙を流しながら「行くのか?」と訴えるので、彼は仕方なく進学を諦めたのです。
2歳の時に父親、そして翌年に母親も亡くなってしまい、祖母が睦雄と3歳上の姉を引き取ることになりました。彼が6歳の頃、祖母の実家があった貝尾に引っ越してきたのです。睦雄は幼い頃から、あまり身体が丈夫ではありませんでしたが、とても頭が良く、成績も優秀で級長に任命される程の子供でした。
そんな跡取り孫である睦雄を祖母は溺愛しており、彼が高等小学校(現在の中1~2年相当)を卒業する頃、肋膜炎に掛かってからは農作業も禁じられるほどでした。成績優秀だった睦雄は、中学(現在の高校)に進学するつもりでしたが、村には中学はありません。睦雄が自分の手元から離れるのを寂しがった祖母は、涙を流しながら「行くのか?」と訴えるので、彼は仕方なく進学を諦めたのです。
姉に対する強い執着心
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中学進学を諦め、高等小学校卒業間近で肋膜炎になった為、睦雄はしばらく療養生活を送っていました。都井の家は、それなりの資産家で畑も持っており、食べるには困らない家だったのです。
体調が良くなってくると、睦雄は村の青年会の集まりに顔を出したり、その頃村単位にあった、補習学校と呼ばれる農業をする人の為の専門学校にも参加したりしていましたが、睦雄が17歳の時、姉が嫁に行くことになりました。姉がいなくなると、彼は家の屋根裏を改造して引き籠ってしまいます。
幼い頃に母を亡くしたせいでしょうか、睦雄はこの姉にとても執着心を持っていたとも言われており、事件後彼が残した遺書には姉宛のものを残していたり、初恋の相手に告白しながら渡したその子の肖像画は、姉そっくりの絵を描いていたとも言われています。
体調が良くなってくると、睦雄は村の青年会の集まりに顔を出したり、その頃村単位にあった、補習学校と呼ばれる農業をする人の為の専門学校にも参加したりしていましたが、睦雄が17歳の時、姉が嫁に行くことになりました。姉がいなくなると、彼は家の屋根裏を改造して引き籠ってしまいます。
幼い頃に母を亡くしたせいでしょうか、睦雄はこの姉にとても執着心を持っていたとも言われており、事件後彼が残した遺書には姉宛のものを残していたり、初恋の相手に告白しながら渡したその子の肖像画は、姉そっくりの絵を描いていたとも言われています。
異常な性欲
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睦雄はたまに、近所の子供達に物語を聞かせに出てくる程度で、家に引き籠るようになり、村人達との交流も極端に減ってしまうのですが、1人だけ睦雄より1歳上の悪い友達がいました。地元を出て、大阪に出ていたこの男は、たまに睦雄のところに現れては、金をせびったり、遊女遊びを教えたりしたことがきっかけでセックスに目覚めます。
当時まだ20歳未満の男子ですから、異常というよりはある意味普通のことですが、睦雄は身体が弱かったわりに性欲が旺盛でした。彼が20歳の頃、愛人のペニスを切り取った阿部定事件が起き、睦雄は何故かその事件に強い執着をして、新聞の切り抜きなどを集め始めました。
同時期に、悪友が村での「夜這い(よばい)」の風習を睦雄に教えたことをきっかけに、彼は初めて33歳の人妻にお願いして夜這いに成功しました。それ以来、村中の女性に次々と夜這いを掛けるのですが、ほとんど失敗しています。
当時まだ20歳未満の男子ですから、異常というよりはある意味普通のことですが、睦雄は身体が弱かったわりに性欲が旺盛でした。彼が20歳の頃、愛人のペニスを切り取った阿部定事件が起き、睦雄は何故かその事件に強い執着をして、新聞の切り抜きなどを集め始めました。
同時期に、悪友が村での「夜這い(よばい)」の風習を睦雄に教えたことをきっかけに、彼は初めて33歳の人妻にお願いして夜這いに成功しました。それ以来、村中の女性に次々と夜這いを掛けるのですが、ほとんど失敗しています。
結核が原因で村から孤立?!
via pixabay.com
睦雄が21歳の頃、徴兵検査を受けることになりました。何度か肋膜炎を繰り返し、進学や学問などでの挫折を味わいながら、家でぶらぶらしていた彼でしたが、ようやく何かの役に立てると思い、勇んで検査を受けに行ったのです。
しかし、そこでの結果は、「肺結核」で丙種(実質の不合格)と診断されてしまい、睦雄は男としてのプライドもズタズタにされてしまいました。あまりの悲しさに、その場で涙を流して悔しがっていたようです。
更に追い打ちを掛けるように、何故か夜這いの関係を唯一結んでいた人妻が、突然睦雄の悪口を集落で流し始めたのです。色んなショックをぶちまけるように、睦雄はルール無視の夜這いを仕掛けていくのですが、そのような振舞いと、結核によって、次第に誰も相手にしなくなってしまいます。
しかし、そこでの結果は、「肺結核」で丙種(実質の不合格)と診断されてしまい、睦雄は男としてのプライドもズタズタにされてしまいました。あまりの悲しさに、その場で涙を流して悔しがっていたようです。
更に追い打ちを掛けるように、何故か夜這いの関係を唯一結んでいた人妻が、突然睦雄の悪口を集落で流し始めたのです。色んなショックをぶちまけるように、睦雄はルール無視の夜這いを仕掛けていくのですが、そのような振舞いと、結核によって、次第に誰も相手にしなくなってしまいます。
都井睦雄の事件前の行動
via pixabay.com
挫折や孤立が睦雄の心を歪ませ、彼は恨みをどんどん募らせていきます。鬱憤を募らせた彼は、少しずつおかしな行動を開始したのです。
最初から犯行を計画していたのか、それとも始めは脅しの為だったのか、彼の当時の心情は理解出来かねますが、ここでは、都井睦雄の事件前の行動を紹介します。
最初から犯行を計画していたのか、それとも始めは脅しの為だったのか、彼の当時の心情は理解出来かねますが、ここでは、都井睦雄の事件前の行動を紹介します。
凶器の入手
via pixabay.com
徴兵検査に落ちた後、睦雄は突然狩猟免許を取得します。それと同時に、まずは散弾銃を手に入れたのち、その銃を下取りにして、次はもっと威力のある、猛獣用のブローニング猟銃を手にいれたのです。
自由になるお金がそれほど無かった彼は、なんと自分の家の田畑を勝手に担保にして、借金してお金を手にいれていました。ブローニング猟銃を手に入れた睦雄は、毎日山に籠って射撃練習をし出したのです。
更にその銃を抱え、夜な夜な集落を徘徊して歩き、村人達に恐怖心や不安感を与えていました。睦雄は、銃の他にも日本刀や短刀などを買い集め、強気になった彼は、「殺してやろうか」などと脅しながら、またしても夜這いに行くのですが、肺病を理由などに断られ続けました。
自由になるお金がそれほど無かった彼は、なんと自分の家の田畑を勝手に担保にして、借金してお金を手にいれていました。ブローニング猟銃を手に入れた睦雄は、毎日山に籠って射撃練習をし出したのです。
更にその銃を抱え、夜な夜な集落を徘徊して歩き、村人達に恐怖心や不安感を与えていました。睦雄は、銃の他にも日本刀や短刀などを買い集め、強気になった彼は、「殺してやろうか」などと脅しながら、またしても夜這いに行くのですが、肺病を理由などに断られ続けました。
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