2019年8月14日 更新

東電OL事件の真相は?真犯人は?この事件の問題点とその後についても

東電OL事件は、被害者の渡邉泰子さんが大企業で働きながら毎晩売春をしていた事や、逮捕された男が冤罪だったことで、世間が注目した事件です。DNA鑑定で既に第三者の存在は判明していますが、今も真犯人は捕まっていません。今回は、そんな東電OL事件の真相を探ります。

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警察や検察だけではなく、どこの企業も同じと言えますが、トップになる者達の中に、教科書とテストの為だけのお勉強だけが(暗記が得意)得意な、いわゆるエリートが上司にいた場合、部下は大変な苦労をしなければなりません。

教科書や先生が述べていることに疑問も持たず、想像力や人生経験の乏しいエリートは、挫折も知らずにプライドの高い人が多いのです。このような人達は自分の名誉や、肩書を守る為に保身に走りやすいのです。

組織で動く場合、部下の勝手な判断で物事を決めることは出来ません。その為、何かをする時には、必ず上司の確認や指示が必要になります。東電OL事件では、渡邉泰子の遺体や喜寿荘の部屋の中から、陰毛や体液などDNA鑑定出来る遺留物が発見されたのにも係わらず、警察や検察は当初隠していましたが、現場が隠ぺいしたとは考えられないのです。このようなことから、警察や検察の隠蔽体質と言うより、上司の保身体質の方が問題かもしれません。

人種差別

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共産主義思想のコミンテルンは、ことさらに「差別」という言葉を使います。そもそも何も被害を受けず、全く係わりも無いような人達を、人種によって差別するということは大抵の人達はしません。

「人は見た目が9割」という本がかつて出版されましたが、いくら何もしないと言っても人は相手が危険性のある者か、信頼出来そうな人物かを見た目で判断します。特に日本人は、基本的に争いごとは好きではない為、苦手だと思えば近づくことを止めるほど大人しい人種です。

更に冒頭でも触れましたが、日本人は嘘を付いたり、ルールを守らずに人に迷惑を掛け、やりたい放題する人が嫌いです。元々単一民族であるこの日本で、外国人がある日突然、自分達の住む国で犯罪行為や迷惑行為をした場合、警戒してしまうのは当たり前のことと言えます。それは差別ではなく、自業自得や自浄作用の無い人にも原因があるというだけなのです。その為、元々違法に3年間も不法就労していたゴビンダに、疑いの目を向けてしまうのは警察だけが悪いとは言い切れません。

裁判官

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戦後GHQの日本への破壊工作として、戦前赤狩りで逮捕されていた共産主義思想の思想犯達が、各官公庁や教育機関に送り込まれたことは冒頭でも何度か触れました。当然、司法界にも多くのアカが入りんでいます。

犯罪者を無罪にしたりするようなおかしな判決をする各地裁や、弁護士連合会に入り込んだアカの存在を、最近ではネットの登場により、多くの人達が気が付くようになりましたが、法曹界も相当闇が深いところです。

当初ゴビンダ・プラサド・マイナリに対し、無罪判決を下した東京地裁の裁判長が、広島へ飛ばされてしまったことで、左遷ではないか?と弁護士やマスコミは騒ぎました。しかし、この時は同年に1人の裁判長が定年を迎えたことにより、人事がズレていったということもある為、真実は分かりません。有罪を勝ち取りたかった検察が、1人の裁判長を左遷させる力があるのかということについても疑問が残ります。

事件があったアパートの現在

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渡邉泰子が殺された場所でもあり、身体を売っていた場所でもあった喜寿荘101号室は、東京都渋谷区円山町16-8にある木造二階建ての古いアパートです。

京王井の頭線の神泉駅から徒歩1分、渋谷駅からも徒歩11分と近く、半地下にはお食事処まん福亭も入っている為、全くひと気の無い場所ではありません。

事件から22年が過ぎた現在、この喜寿荘は一体どうなっているのでしょうか?ここでは、事件現場となったアパートの現在を紹介します。

現在もそのまま残っている

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喜寿荘の正確な築年数は分かりませんが、かなりボロボロの印象があります。しかし、事件から22年の月日が過ぎた今現在も、この建物は残されています。

半地下にある、お食事処まん福亭は現在も営業しているようで、食べログにも口コミ情報が寄せられ、わりと高評価を得ています。

神泉町には、喜寿荘やまん福亭だけではなく、レトロな建物や喫茶店、小料理屋なども多く、通な人達が通う歓楽街でもあるのです。しかし、事件現場だったことを思えば、少し不気味さを感じてしまう人もいるかもしれません。

入居者は募集していない

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建物は残されていますし、口コミなどでは古いながらも掃除は行き届いている、駅から近いなど、喜寿荘に対する評価が残されていますが、今現在は入居者を募集していないようです。

部屋数も何部屋あるのかは不明ですが、事件現場となった101号室は、今現在入居者は誰もいないと言われています。

渡邉泰子がこの部屋で殺されてから、すでに22年も経っている為、喜寿荘をもはや事故物件とは言えませんが、リフォームなどをした形跡は無い為、部屋の中は掃除をした以外、当時のままだということが考えられるでしょう。

民泊として利用されているという噂

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空き家や空室を利用して安く泊まれる民泊は、外国人の利用がとても多いものです。実はこの喜寿荘は、現在民泊に利用されているという噂があるのですが、断定出来るほどの情報はありません。

しかし、この民泊によって、不法滞在・就労の外国人や、旅館業法違反のまま営業を続ける悪徳業者が増えており、近所の住民達との問題も多い為、緩和しつつも厳しい罰則を設けるなどの法改正が徐々に始まっています。

元々喜寿荘のオーナーで、ゴビンダ・プラサド・マイナリが働いていたネパール料理店のオーナーでもある男は、そもそもゴビンダが不法滞在であることを知りながら働かせていました。これを考えるに、今も不法滞在の外国人を受け入れている可能性は高く、内々で民泊を行っているかもしれません。

東電OL事件のその後

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眠らない街の東京渋谷区は、東電OL事件以降も相変わらず多くの人々が集う場所です。そのような歓楽街の一角でひっそり起きた絞殺事件から、22年の月日が流れました。

渡邉泰子の人生や警察の冤罪、そしてゴビンダ・プラサド・マイナリへの同情、更に真犯人への追及という4つのポイントを今も追及しようとする人の多い事件なのですが、事件後どのようなことが起きていたのでしょう。

ここでは、未だ人々の興味を惹きつけてしまう、東電OL事件のその後に起きたことを紹介していきます。

冤罪被害者再来日

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共産主義思想の工作員達がよく使う言葉は、「市民」です。この言葉を使い始めたのは、元々は国を持たず、他国で強盗や泥棒を繰り返しながら内部を分断させ、国を乗っ取るというやり方を始めた偽ユダヤ人(有色人種ではなく白人)なのです。

国民ではないので「市民」を使い、さも国民のように振舞い本当の国民達を分断するこの方法を、現在は反日活動を精力的に行う特亜の人達が使っています。2017年(平成29年)に弁護士連合会などを筆頭にした、ゴビンダ・プラサド・マイナリの支援者達は、「くり返すな冤罪!市民集会」を開き、ゴビンダはその会に呼ばれ日本にやってきました。

ネパールでは年収の1000年分とも言われる日本国からの補償金を手にしたゴビンダは、1250万円もしたトヨタのランドクルーザーを買い、3階建ての家を建て、ネパール銀行に預けた金利でも暮らせるほど優雅な生活をしています。確かに15年間の人生を無実の罪で服役させられていたことは、とても辛い時間だったでしょう。しかし、何度も述べますが、元々正規の手続きで日本に滞在していなかったゴビンダに、非が無いとはやはり言えないのです。

2019年現在も未だに犯人は捕まっていない

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2019年(令和元年)時点でも、渡邉泰子を殺した真犯人は逮捕されていません。現代であれば、個人の多くがカメラ付きのスマホを持ち歩き、街中では監視カメラ、車でもドライブレコーダーの設置が増えたおかげで、犯人の追跡もわりと可能になっています。

何処でもすぐに写真を撮り呟きたい、ツイッター民やインスタ民なども多い為、最近ではマスコミがそのスクープ映像をおねだりするような時代となりました。しかし、事件当時の1997年(平成9年)頃は、カメラ付き携帯もまだ登場していません。

渡邉泰子のように、毎晩同じ場所、同じ姿で立ちんぼをしたり、路上で放尿するなどの奇行をしている人がいれば、現代ではすぐさま写真や動画を撮られSNSにアップされていたでしょう。そうすれば証拠も目撃者ももう少し増え、彼女を殺害した人物もすぐに捕まっていたかもしれません。

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