東電OL事件の真相は?真犯人は?この事件の問題点とその後についても

東電OL事件は、被害者の渡邉泰子さんが大企業で働きながら毎晩売春をしていた事や、逮捕された男が冤罪だったことで、世間が注目した事件です。DNA鑑定で既に第三者の存在は判明していますが、今も真犯人は捕まっていません。今回は、そんな東電OL事件の真相を探ります。

目次

冤罪事件となった東電OL事件の真相

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今から22年前の1997年(平成9年)3月に、1人の女性の遺体が発見されました。被害者の名前は渡邉泰子、当時39歳の女性です。この事件は、彼女が東京電力という大企業の初女性管理職だったこともあって、エリート女性と呼ばれることが多いのですが、東京電力で働いていた女性ということで、この事件は「東電OL事件」と呼ばれることになります。

しかし、捜査が進む内に彼女が、東京渋谷区の円山町で夜な夜な男に声を掛け、売春行為をしていたことが発覚すると、マスコミはこぞって女性のスキャンダラスなプライバシーを、連日センセーショナルに報道し始めました。

更に、第一発見者でもあり、のちに逮捕されたネパール人の男は、当初から無実を訴えていましたが、彼が服役してから約15年後に逆転無罪を勝ち取り釈放されたことによって、今度は警察批判が過熱したのです。これらの状況から、様々な陰謀論が今も語られるようになり、かえって事件の真相が見えづらくなってしまいました。今回は、そんな「東電OL事件」を振り返りながら、この事件の真相に迫っていきます。

東電OL事件の概要

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事件から既に22年の時が経っている上、冤罪で容疑者となっていた、ネパール人の男が釈放されてからも7年が過ぎている為、「東電OL事件」を全く知らないという人も多いでしょう。

ネットで調べてみても、殺された女性の特殊な環境に、やたらとシンパシーを感じているエセフェミニスト(極端な女尊男卑思考)か、原発をどうしても止めさせたい為に、東電暗殺説という陰謀論に入るものが大半で、シンプルに事件を検証しているものが少ないのです。

この事件は、単純に1人の女性が何者かに絞殺され、第三者の真犯人がいるにも係わらず未だ捕まっていないというものです。そのことを踏まえながら、ここではまず「東電OL事件」の概要から紹介していきます。

1997年3月アパートの一室で女性が横たわっている姿を発見

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東京の渋谷と言えば、眠らない街、そして若者の街として認識している人がほとんどでしょう。しかし、少し場所を移して円山町の方へ足を延ばすと、そこはラブホテル街や風俗店が立ち並ぶ淫靡な街となります。

1997年(平成9年)3月19日(水)未明、ネパール料理店の店長を務めていた、ネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリは、仕事を終えて自分達が住むアパートに帰宅する途中、ゴビンダが住む隣の古アパートの小窓が開いているのを目にしました。

そこは喜寿荘という木造2階建てのとても古いアパートで、半地下には「まん福亭」という居酒屋のあるようなところです。ゴビンダは通り過ぎざま何となく小窓を覗くと、中にはコートを着たまま仰向けになっている女性がいました。

翌日も同じ姿でいた女性に不信感を持ち、ネパール料理店店長が通報

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実はこの喜寿荘のオーナーは、ゴビンダの務めるネパール料理店のオーナーでもあります。ゴビンダが何故小窓を覗いたのかと言えば、その部屋は空き部屋なのを知っていたからなのです。

ゴビンダは空室である喜寿荘の101号室に女性がいることを発見し、ドアを開けると鍵が掛かっていなかった為、1度中に入ったと話しています。服を着たまま仰向けになっている女性に何度か声を掛けますが、まるで返事が無かったことで、ゴビンダは寝ていると判断しその日は家に帰ります。

同日、19日(水)の夕方になってゴビンダが喜寿荘の前を通り掛かると、まだ小窓は開いていました。気になって中を覗くと、なんとそこには、前夜と同じ姿で女性は横たわっていたのです。さすがにおかしいと感じたゴビンダは、慌てて警察に通報しました。

渋谷区にあるアパートの空室で、女性の遺体が発見される

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1997年(平成9年)3月19日(水)午後5時頃、駆け付けた警官により仰向けの女性は、すでに死んでいたことが判明しました。死亡推定時刻は、3月8日(土)深夜から9日(日)未明の間で、発見された時は死後10日ほど経っていたのです。

バーバリーのベージュ色のトレンチコート、青いツーピスを着た女性は、首を絞められて死んでいました。着衣の乱れはほとんど無かったものの、頭部に付近には取っ手のちぎれたハンドバックが転がっており、所持金も小銭だけだったことから、警察は強盗殺人事件として捜査を開始します。

被害者は東京電力幹部社員、渡邉泰子

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遺体の身元はすぐに判明しました。ハンドバックの中から、彼女の名刺が出てきたのです。名刺には、「東京電力 企画部副長室 渡邉泰子」という名前と会社名が書かれていました。

その他にハンドバックに入っていたのは、小銭473円と未使用のコンドーム28個という、名刺の肩書には似つかわしくないものだったのです。このことが、のちにマスコミの好奇心に火を点けてしまい、被害者のプライベートが暴かれていくことになりました。

1997年5月ゴビンダ・プラサド・マイナリが強盗殺人容疑で逮捕される

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警察が聞き込み捜査をしたところ、被害者の渡邉泰子は、円山町にある道玄坂地蔵の前に立ち、毎日売春をしていたことが発覚します。

そして、第一発見者となったネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリも、渡邉泰子を買っていた客だったということが分かりました。その上、ゴビンダが不法滞在者だったことも判明したことで、警察はこのネパール人を犯人と仮定して捜査を続けていました。

最終的に、ゴビンダが101号室の鍵を持っていたことと、殺害したと思われる日に2人が101号室に入っていったという目撃情報を得られたことで、警察は遺体発見から約2ケ月後の、1997年(平成9年)5月20(火)に、ゴビンダを強盗殺人の容疑で逮捕したのです。

一貫して無罪を主張

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日本は戦後、GHQ(ユダヤコミンテルン)の政策により行政や司法、教師に至るまで、極端な左翼思想や共産主義思想(マルクス主義)の人々が送り込まれました。

特に司法界はその思想を持っている者が多く、どちらかと言えば正義の味方より、悪人に対する行き過ぎた人権保護をしがちです。かと言って、日頃の不祥事を見る限り警察や、検察側も信用出来るとは言えません。

今となっては、第三者のDNAが発覚して無罪になり、晴れて自由の身になったゴビンダ・プラサド・マイナリですが、元々不法滞在をしていた犯罪者には違いありません。もちろん警察の冤罪は許す訳にはいきませんが、ある意味で、疑われても仕方の無い状況だったのです。しかしゴビンダは、殺人に関しては逮捕後から一貫して無罪を主張していました。

逮捕された理由

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先程も述べたように、日本は戦後から現在に至るまで、もう2度と白人に歯向かってこないようにと、GHQによって洗脳教育を受けてきました。その工作員として暗躍していたのが、戦前思想犯として赤狩りされていた左翼、共産主義、社会主義思想を持つ輩でした。

しかし、最近のメインは、ようやく若い人達にも正体がバレてきた特定アジア(中国、韓国、北朝鮮、在日含む)と呼ばれる国の反日工作員と、弱みを握られている反日日本人が、日本中の至るところに入り込み差別だ、人権だ、反対だとポリコレ棒を振りかざしているのです。

その為、自分達も含む不法滞在者や不法侵入者という犯罪者を、難民だ移民だという言葉を使い、差別を振りかざし正当化しています。日本は基本的に単一民族ですし、人の目を気にするので静かです。また、郷に入っては郷に従えという言葉があるように、よその国へ行って自由だ!平等だ!と騒ぐような人種でもありません。
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