2019年8月14日 更新

東電OL事件の真相は?真犯人は?この事件の問題点とその後についても

東電OL事件は、被害者の渡邉泰子さんが大企業で働きながら毎晩売春をしていた事や、逮捕された男が冤罪だったことで、世間が注目した事件です。DNA鑑定で既に第三者の存在は判明していますが、今も真犯人は捕まっていません。今回は、そんな東電OL事件の真相を探ります。

目次

日本人も犯罪者がいますし、全てが良い人だとはいいませんが、世界的に見て治安が良い国なのは、お天道様が見てると目に見えない何かの力を信じる気持ちや、因果応報などの価値観や道徳があるからと言えます。

そのような中に、徒党を組んで縄張り争いをしたり、日本に馴染もうとしたりせずに集落を作ってしまったり、わざわざ他国で犯罪を犯す外国人は、日本人の価値観とは全く相容れるものではありません。実際、この不法滞在者達の犯罪も多く、治安も悪化することから、警戒してしまうのは仕方がありません。

ゴビンダ・プラサド・マイナリについて、弁護士協会などは人種差別だと騒ぎますが、元々後ろ暗い不法滞在者だったことで疑われてしまう土台があったのです。ここでは、そんなゴビンダが逮捕された理由を紹介していきます。

嫌疑を晴らすために出頭

Police Crime Scene Blue Light - Free photo on Pixabay (548233)

最終的にゴビンダは無罪となったので、警察が冤罪をしたということについては、一切言い訳出来るようなことではありません。

ただ、ゴビンダは警察に通報したあと、不法滞在がバレることを恐れ、3日程ウィークリーマンションに居場所を移し隠れていたのです。実は喜寿荘の隣のアパートに住んでいたゴビンダは、他のネパール人と共に4人で不法滞在した上で、不法就労もしていました。

更にゴビンダは、国に妻子を残して出稼ぎに来ていたこともあり、強制退去になることも恐れていたのです。しかし、警察が聞き込み調査を始めて、ゴビンダは自分達達の行方を警察が捜していることを知り、せめて殺人の疑いを晴らすためにと、事件発覚から3日後の3月22日(土)に自ら出頭しました。

ビザの期限が切れていた

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すでにゴビンダ達を探していた渋谷警察署は、出頭してきたゴビンダ達をまず「入管難民法違反(不法残留)」で逮捕しました。

その件はすぐに起訴され、東京地裁では懲役1年執行猶予3年の刑を確定したのです。判決が下されたのは、1997年(平成9年)5月20日(火)でしたが、事件発覚からこの間に証拠をある程度見つけてきた検察は、同日、強盗殺人の容疑でゴビンダを再逮捕したのです。

このことからも、検察は最初から、ゴビンダを容疑者として起訴するつもりだったことが窺えます。

事件現場で被害者女性と性的関係を持ったことがあった

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ゴビンダ・プラサド・マイナリには、不法滞在、不法就労の他に、まだやましいところがありました。それは、被害者女性と面識があったどころか何度か、彼女を買い性的関係を持ったことがあったからです。

しかも事件現場となった喜寿荘101号室で、ゴビンダは渡邉泰子とセックスしていた上、事後のコンドームをトイレに棄てていたのです。

空室の101号室はもちろん電気水道が通っておらず、和式トイレの水が流れていませんでした。その為、精液の入ったコンドームがそのままトイレの中に残されていたことで、2人の関係もバレてしまいました。

事件現場の鍵を借りたことがあった

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喜寿荘のオーナーは、ゴビンダが店長を勤めていたネパール料理店のオーナーでもあります。そのことで、ゴビンダはオーナーにあることを頼んでいました。

ゴビンダの住んでいた部屋には、彼の他に4人の不法滞在をしているネパール人も一緒に住んでいたのですが、近々ゴビンダの姉が上京してくることになったのです。

部屋が手狭になると考えたゴビンダは、ネパール人達に喜寿荘の101号室に引っ越してもらおうと、オーナーに鍵を借りていました。しかし、この鍵もまた証拠とされることになります。

人種的偏見

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先程も述べましたが、最近自分達のことを棚に上げて差別だヘイトだと騒ぐ特亜(中国、韓国、北朝鮮、在日含む)の皆さんが、行き過ぎた反日活動と日本人に対する差別発言や行動のおかげで、益々日本人の嫌悪感を高めている状況になってきました。

そもそも外国人がまだ珍しかった昭和生まれの人々は、偏見というより警戒心が高めです。白人には国土を焼き尽くされ、特亜の輩は戦後、朝鮮進駐軍を名乗り、日本人の財産や土地を奪い、役所や警察を連日襲撃し、道端で女子供を襲い犯し殺して行ったのです。これで偏見を持つなと言う方が異常な状態です。日本人は大人しいので外国人には誤解されがちですが、嫌いだったり面倒な奴には怒らずに黙って耐えるか、離れていきます。

なるべく争いを避けようとしますが、日本人は約束を守らなかったり、恩を仇で返したり、空気を読まずにやりたい放題する輩を本気で嫌います。ゴビンダも金には困っていなかったと話していますが、結局金の為に不法な滞在と就労を続けていたのですから、日本人の信頼を得られることは出来ません。偏見は確かに良くありませんが、警察が疑っても仕方の無いことなのです。

マイナリを犯人に仕立て上げる証拠が集められた

Condoms Condom Rubber - Free photo on Pixabay (549106)

警察は聞き込みや、現場からの遺留物など、ゴビンダ・プラサド・マイナリを犯人に確定する為の証拠を集めていきました。

喜寿荘の101号室は空室なので、当然掃除などは全くされていません。そして、ゴビンダはこの部屋で渡邉泰子とセックスしていた為、精液入りの使用済みコンドームや、陰毛というDNA採取可能な遺留物を残していたのです。

更に先程述べた、101号室の鍵や被害者が殺されたと思われる3月8日(土)の夜に、現場近くで2人が話しているのを見たという証言が取れたことで、検察は再逮捕することに決めました。

証拠を隠ぺいした

Dna White Male 3D Model - Free image on Pixabay (549219)

実はこの喜寿荘101号室は、被害者の渡邉泰子はゴビンダ以外の客とも、売春する場所として利用していました。のちに現場検証した警察官の話によれば、この部屋は陰毛や髪の毛などが、埃だらけの床上にたくさん落ちていたそうです。

警察はこの場所で、ゴビンダのDNAと一致する使用済みコンドームと陰毛を見つけていましたが、本当はもう1人分の陰毛も発見していました。明らかにゴビンダや被害者のものとは違う、第三者のDNAを持つ陰毛を見つけたにも係わらず、検察側は隠してしまいます。

このことがきちんと証明されたのは、ゴビンダが逮捕されてから14年後のことでした。

被害者となった渡邉泰子の生い立ち

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東電OL事件を語る時、何故か一番注目されてしまうのが、事件そのものについてではなく、被害者となった渡邉泰子の生い立ちや感情の分析です。

エセフェミニスト(女尊男卑)の人達は、渡邉泰子にやたらとシンパシーを感じ、今や神格化しているような人もいますが、それは被害者女性にエリートという枕詞が付いているからなのです。

このエリートという言葉は正直、独り歩きしている状態ではありますが、彼女が一体どうしてこのような人生を歩んでいったのかを知る為に、ここでは、被害者となった渡邉泰子の生い立ちを振り返っていきます。

1957年誕生

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被害者女性の渡邉泰子は1957年(昭和32年)6月7日(金)に生まれました。現在生きていれば、62歳になっていますが、残念ながら39歳でこの世を去ってしまいます。

彼女の幼少期については、詳しいエピソードなどが不明で、どのような子供だったのかが分かりません。優秀だ、才女だ、エリートだと言うわりに、近所の人や子供時代の友人・教師などからの証言も無いのです。

昔から3つ子の魂100歳までと言われるように、人は幼少期の家庭環境や育ち方によって、その後の人格形成に影響を与えていきます。しかし、渡邉泰子の幼少期はエピソードが無い為、彼女の心理などは大人になってから多少出てくるもので、想像するしかありません。従って彼女の心の闇は、あくまでも憶測にしかならないと言えるでしょう。

父親は東大出身、東京電力勤務

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