2019年8月31日 更新

美人革命家・重信房子の現在は?逮捕されるまでの活動や生い立ちも

あなたは日本赤軍という団体を知っていますか?ここではその日本赤軍をリーダーとして率いた女性革命家の重信房子について詳しくご紹介します!重信房子が起こした事件や日本赤軍の活動、そして重信房子の娘の現在の様子についてみていきましょう。

目次

1971年、「国際根拠地論」に基づいて、重信房子と奥平剛士たちは、中東でPFLPの協力を得ながら、民間人ら23人を殺害、計100人以上を無差別殺傷したテルアビブ空港乱射事件のテロ行為を実行に移しましたが、そこで奥平剛士は死亡してしまいます。

仲間に先たれ、残された重信房子は、自らがリーダーとなり、パレスチナで日本赤軍を結成して先頭に立って周囲を率いていきます。ここから女性革命家・重信房子としての活動がはじまっていくのです。

1980年代に数々の無差別殺人を起こす

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重信房子が最高指導者となった日本赤軍は、レバノンのベカー高原を主な根拠地に「革命運動」と称し、1980年代にかけて、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)などのパレスチナの極左過激派と協力して一連のハイジャックや空港内での乱射事件などの無差別殺人を起こして世界を震撼させました。

これらのハイジャック事件や空港内での銃の乱射事件などでは、罪もない民間人なども多数殺されてしまい、多くの死傷者が出たそうです。

テロ事件を繰り返し世界各国から非難を受ける

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1972年5月30日テルアビブ空港乱射事件以後も、重信房子率いる日本赤軍は、外国公館の政府要人やハイジャックした飛行機の乗客を人質に取って、身代金や仲間の奪還を目論む事件を起こしました。

それ以外にも、アメリカなどの外国公館に攻撃をしかけるなどのテロを次々に起こし、罪もない多数の民間人をも巻き込んだテロ事件を多数繰り返しました。そのため、彼女たちの起こした無差別テロ事件は残虐極まりないと、世界各国から非難を受けました。

ハーグ事件の関与により国際手配となる

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1974年9月13日に起こった「ハーグ事件」と呼ばれる事件は、日本赤軍が起こした事件の中で、重信房子が直接関与したといわれている唯一の事件です。

ハーグ事件は、日本赤軍がフランス当局に逮捕されたメンバーの山田義昭を奪還するために、オランダのハーグでフランス大使館占拠し、重信房子は逮捕監禁罪・殺人未遂罪などの共謀共同正犯で起訴され、国際指名手配されます。
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なぜ重信房子の関与が分かったかというと、日本赤軍がこの「ハーグ事件」の翌日に犯行声明を出したり、日本赤軍の刊行物からPFLPに武器調達や解放された仲間を受け入れる国との調整を依頼していたことなどがありました。

そしてそれ以外にも、会議で重信房子が準備不足などを反省する発言をしたとする元メンバーらの供述などの証拠から、ハーグ事件についての首謀者は重信房子であると警察は断定したのです。

1991年武力革命を目的とし「希望の21世紀」を創立

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日本赤軍のリーダーとして、数々の事件を起こしてきた重信房子でしたが、バーグ事件の関与により国際指名手配をされ、やむなく中東から日本に帰国しました。

そしてその後、1991年には武力革命を目的とした日本赤軍が大衆組織にしようとしていた市民団体「希望の21世紀」を社民を軸に政治的影響力を強化することを目的として創立しました。
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「希望の21世紀」は関東と関西を中心に活動を続け、重信房子が日本国内で逃走をその後も続けたのを、陰で助けていたとして犯人隠避容疑で「希望の21世紀」のメンバーだった元病院職員松尾整容疑者も、その後逮捕されました。

旅券法違反容疑で逮捕

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国際指名手配されていた重信房子は、不法に入手した偽造旅券を使って日本にたびたび不法入国しており、警察から身を隠していました。

操作は難航しましたが、その後彼女に似た女を見たという目撃証言があがってきます。目撃証言があったのは、大阪市西成区でした。彼女はこの西成区のマンションに身を隠していたといいます。
Coffee Cup - Free photo on Pixabay (595087)

重信房子は化粧でホクロを隠していたものの、タバコの吸い方の細かいクセや、使用されたコーヒーカップから指紋を採取したことで、指紋が重信房子の指紋と一致して、その女性が重信房子だと確定されました。

警察は、2000年に大阪府高槻市の潜伏先のマンションで重信房子を旅券法違反容疑で逮捕しました。

日本赤軍とは

K-OUT on Instagram: “毎年「過激なコスプレします!」的なヤツらが話にならん。ワシらの方が完全に過激だわ。#コスプレ #過激 #赤軍派 #日本赤軍 #学生運動 #ゲバルト #球根栽培” (594852)

日本赤軍とは、もともとレーニンによって、ソ連が世界に共産主義革命を輸出する活動があり、その国際共産主義に賛同した日本の若者たちが「共産党が革命をしないのであれば、自分たちの力で世界を動かそう!」という思想が広まり「共産主義者同盟」という集まりができました。

そして、その共産主義者同盟の中の1グループが「共産同赤軍派」で、このグループは、暴力により、世界同時武力革命を起こそうとしていた原理主義のグループです。

1971年に誕生

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そして、この赤軍派もさらに1970年によど号ハイジャック事件や大菩薩峠事件で逮捕者が続出してから力が弱まり、よど号グループ以外に、重信房子が海外で統率していたグループと、国内に残った赤軍派で結成された連合赤軍に分かれてしまったのです。

そして、中東のテルアビブ国際空港でメンバーが無差別テロを行ったことで、重信房子と行動を共にしたメンバーの1人が死亡し、1971年に重信房子は「日本赤軍」と自ら名乗り、最高幹部の1人として日本赤軍を統率していく立場になります。

日本赤軍の目的

@ngx0821 on Instagram: “#nhk#浅間山#証言#連合赤軍#兵士#総括#学生運動#受信料は払ってます んで 観た📺” (594863)

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