2019年8月31日 更新

美人革命家・重信房子の現在は?逮捕されるまでの活動や生い立ちも

あなたは日本赤軍という団体を知っていますか?ここではその日本赤軍をリーダーとして率いた女性革命家の重信房子について詳しくご紹介します!重信房子が起こした事件や日本赤軍の活動、そして重信房子の娘の現在の様子についてみていきましょう。

目次

2001年日本国籍を取得

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そして、出生後、国際手配されていた重信房子が逃亡生活を続けていたため、行動を共にしていたメイさんは、自分が生まれた時に、どこにも届け出がされていなかったため、28歳になるまでずっと無国籍でした。

しかし、2001年3月5日にはついに日本国籍を取得し、4月3日には日本へ初来日したのです。そして2011年に、同志社大学の渡辺武達の指導のもと、同大学大学院社会学研究科メディア学(博士課程)を修了します。

河合塾講師として生活

Lecture Instructor Classroom - Free photo on Pixabay (593304)

日本国籍を持ち、日本人となったメイさんは、母親が逮捕される1年前の2002年4月から河合塾で英語の講師を務めていました。そして、その2年後にはAPF通信社に記者・リポーターとして在籍することになります。

重信房子の実の娘である重信メイの後見人は、玄洋社の総帥だった頭山満の孫で、玄洋社の流れを汲む呉竹会会長の頭山興助でした。これは、重信房子の父、重信末夫がかつて血盟団の元メンバーで、五・一五事件に連座した頭山満の息子の頭山秀三とも関わりがあったことから、重信房子が逮捕後、頭山興助に娘の後見人を依頼したのです。

ジャーナリストやニュースキャスターとしても活動

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非常に聡明だった重信メイは、ジャーナリストとしてAPF通信社に記者・リポーターを務めるだけではなく、2009年には中東放送センター(Middle East Broadcasting Center)の東京特派員も務めて、その後もその美貌から、ジャーナリストやテレビのニュースキャスターとして大活躍します。

メイさんは、テロリストだった母親の重信房子が信念を貫いたのとは別のやり方で、自らのジャーナリストとしての信念を貫こうとしているのかもしれません。

母親との関係は良好

Girl Family Path - Free photo on Pixabay (593302)

重信房子を娘のメイさんはどう思っているのでしょう?小さい頃は重信房子は活動に奔走し、ほとんど家に帰らない日が多かったですが、母親である重信房子にはたくさんの仲間がいたので、メイさんは重信房子の仲間たちと楽しく過ごして、寂しいという感情はわかなかったといいます。

しかし、重信房子の娘であることは内緒にしないといけない秘密だったため、メイさんは嘘をつかざるを得ない状況でした。もしも母親が重信房子であることがバレてしまうと、イスラエルの政府機関からも命を狙われる危険があるため、自分が何者なのかを必死に隠し通したのです。
Sunset Poppy Backlight - Free photo on Pixabay (595293)

しかしメイさんはそういった状況でも母親のことは決して恨まなかったのです。むしろ状況が苦しければ苦しいほど親子の絆が深まったといいます。

つらいこともありましたが、メイさんは母親が大好きだといいます。自分のためなら全力でいつも母親として頑張っている重信房子の気持ちが娘にもしっかりと届いたのかもしれません。

母親同様に可愛いと話題になる

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重信房子も幼少期から可愛らしいと評判の美人で、大人になってもそれは変わらず、女革命家として世間に名を知られるようになり、一層その美貌に注目が集まりました。敵であるはずの公安にも重信房子のファンがいたといわれているほどです。

そして、その娘である重信メイも同様に、美貌は受け継がれており、頭脳明晰なうえに美しい容姿も兼ね備えています。非常に理知的でパレスチナ人と日本人の母親の間に生まれたため、ハーフの顔立ちの美人のため、一層目鼻立ちがくっきりした美しい女性です。

重信房子はテロリストや母親など多くの顔を持つ女性

People Girl Woman - Free image on Pixabay (562930)

重信房子はテロリストや母親の多くの顔を持つ女性でしたが、彼女は決して間違ったことを最初からしようとしたわけでなく、正しいことをしようとして、間違った道に進んでしまっただけだったのです。

パレスチナ人の父と日本人の母親を持つ娘のメイさんは、母親である重信房子が大好きといいます。小さい頃のメイさんが「大福が食べてみたい」と言うと、レバノンではもち米も手に入らないのに、研究して手に入る材料で大福餅を作ったりしたそうで、娘のためならいつも全力で頑張る良いお母さんだったそうです。
Dove Bird Animal - Free photo on Pixabay (595379)

テロリストの一面もありながら、重信房子は母親として娘にしっかりと愛情を注いでいました。娘のメイさんも、子供のころは、パレスチナで常に素性を隠して逃げ回るような生活を余儀なくされましたが、そのような生い立ちにも屈せず、母親の愛を感じ取り、同じように信念は貫いても母親とは違う方向で今も日々、ジャーナリストとしての仕事を続けています。

しかし、母親の重信房子は、逮捕された数年後の2009年に、初めて新聞のインタビューに応じ、自身の過去の日本赤軍での活動に関して「世界を変えるといい気になっていた」と語りました。
Railroad Tracks Railway - Free photo on Pixabay (596490)

そして「運動が行き詰まったとき、武装闘争に走った。世界で学生運動が盛り上がっていたが、故郷に戻り、運動を続けたところもあった。私たちも故郷に戻って運動を続けていれば、変わった結果になったかもしれない」と、少し後悔にも似た自責の念に駆られていたそうです。

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