2019年8月31日 更新

美人革命家・重信房子の現在は?逮捕されるまでの活動や生い立ちも

あなたは日本赤軍という団体を知っていますか?ここではその日本赤軍をリーダーとして率いた女性革命家の重信房子について詳しくご紹介します!重信房子が起こした事件や日本赤軍の活動、そして重信房子の娘の現在の様子についてみていきましょう。

目次

オランダ政府は要求を受け入れる

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この死傷者が出た凄腕のテロリストでもあったカルロスの行った爆弾テロは、非常にフランス当局にプレッシャーをかけていたといわれています。

そういった理由もあり、オランダ政府は日本赤軍の要求を受け入れざるを得なくなり、しぶしぶ30万ドルを日本赤軍に支払い、日本赤軍のメンバーたちが、きちんと国外に逃亡できるように、逃亡するための国外逃亡用のボーイング707(エールフランス機)もオランダ政府によって用意されました。

シリア当局へ投降

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身代金30万ドルをオランダから、フランスからはメンバーの引き渡しを無事済ませた日本赤軍のメンバー3人は、人質を全員解放して逃走用の飛行機に乗って午前6時26分にオランダのスキポール空港を出発しました。

その後、3人の犯人グループを載せたボーイング707は南イエメンに向かいましたが、南イエメン政府に投降を拒否されてしまいます。そのため、燃料の補給だけ受けて再度出発して、午後10時頃にシリアのダマスカス空港に着陸し、身代金30万ドルと一緒に持ち物を全放棄することを要求され、それらを受け入れてシリアへ投降しました。

逮捕監禁罪や殺人未遂罪で起訴

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このハーグ事件は、その後実行犯である西川純は事件の翌年ストックホルムで逮捕され、日本に強制送還されました。そして残る和光晴生と奥平純三、そして解放された山田義昭は同じ年に起こったクアラルンプール事件にも参加し、逮捕された西川純を奪還したのです。

しかし、1976年にヨルダンで奥平純三が拘束されて日本に強制送還されたものの、西川が参加したダッカ日航機ハイジャック事件で釈放されてからは国際手配を受けながらも皆、行方を隠して国外逃亡を続行することになります。
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そして、これらの日本赤軍のメンバーが起こした事件の中で、重信房子がこのバーグ事件では唯一関与した事件としても知られており、重信房子はこのハーグ事件において、逮捕監禁罪・殺人未遂罪などの共謀共同正犯で起訴されることになりました。

検察側と弁護側の主張

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1974年に起こったハーグ事件において、検察側は事件後の会議で重信が準備不足などを反省する発言をしたとする元日本赤軍のメンバーの供述や、その他の証拠、そして日本赤軍が実行翌日に犯行声明を出していました。

それ以外にもパレスチナ解放人民戦線(PFLP)に武器調達や解放された仲間を受け入れる国の調整を依頼していたことが分かり、これらの証拠から、重信房子はハーグ事件の首謀者として犯行を主導したと無期懲役を求刑しました。
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弁護側は求刑する検察側に対して「ハーグ事件当時、日本赤軍が組織体制を確立しておらず、PFLPの作戦であったから重信が指示・指導する立場ではなかったうえ、謀議があったとされる時期にはリビアにいてアリバイがある」と無罪を主張しました。

2006年2月懲役20年の判決を言い渡す

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重信房子自身も無罪を主張しましたが、東京地方裁判所は2006年2月に重信被告は武器調達や解放された仲間を受け入れる国との調整をPFLPに依頼していたことを認定し、弁護側が主張していた重信房子のアリバイについては「共謀の詳しい内容や時期、場所は明らかではなく、被告がアラブ諸国の協力組織を介するなどして実行犯と共謀しており、アリバイとして成立しない」としました。

裁判官は弁護側と検察の双方の意見を考慮し「自らの主義や主張を絶対視し、多数の生命や身体への危険を意に介さない身勝手な犯行で、真摯な反省がみられない」とする一方「犯行の重要事項については実行犯の和光晴生が主に決定しており、重信房子は中核的立場を担ったものの犯行を主導したと断言できない」として無期懲役ではなく、懲役20年を言い渡しました。

裁判のその後

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無罪を主張しつつも、無期懲役は免れた重信房子でしたが、懲役20年の判決を言い渡されてしまいました。しかしその後、重信房子を救うため、主任弁護士だった大谷恭子弁護人と娘の重信メイが再び証拠の提出を行い、裁判を再度起こそうと動き始めたのです。

再び提出された証拠とは一体どのようなものだったのでしょう?そして、2人が起こした裁判の行方はどうなったのかをここからはみていきます。

重信メイと主任弁護人によって控訴

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懲役20年と言い渡された重信房子でしたが、この判決に異議をとなえたのは娘の重信メイと主任弁護士だった大谷恭子弁護人で、彼女たちは同日控訴を行いました。

1970年代から1980年代に重信房子と同じように世界各国でテロ事件を起こしたテロリストで、多数の民間人を虐殺し、フランスで終身刑を受けていた「カルロス」受刑者から重信房子が関わったとされるハーグ事件の実際の指揮をとっていたのは誰なのかや、武器提供の経緯についての証言を得てることに成功しました。2人はその証拠を裁判所に提出します。

弁護側検事側双方から事件の経緯が再提出される

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その後、弁護士側と検察側の双方が事件の経緯を再提出しますが、検察側と弁護側両方が、1980年代にかけてずっと、重信房子と同様に世界各国でテロ事件を起こしていたカルロス受刑者から聞き出した重信房子が関与されたと今回罪に問われている「ハーグ事件」の全貌や、指揮系統や武器提供の経緯についての証言が、裁判所に提出されたのです。

この証言がその後の裁判にどう影響を与えることになったのでしょう。その後2007年の東京高等裁判所での判決が、重信房子のその後の20年をいとも簡単に決定してしまったのでした。

2007年12月東京高等裁判所の判決

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