2019年9月17日 更新

深川通り魔殺人事件の概要や犯人の生い立ちとは?犯人の現在の様子も

通行人を次々に殺害し、人質を使って立てこもりを続けた犯人。この事件は、犯人の逮捕される姿が世間に大きな衝撃を与えますが、それ以上に逮捕後の供述や落語家小遊三との関係も注目された事件です。この記事では、犯人の生い立ちから現在の様子など詳細にご紹介していきます。

目次

女性や小さな子供など4人の人間を殺害しさらに怪我を負わせ、女性を人質に立てこもりを続けた凶悪な事件であったことから、世間では死刑判決も当然だという見解となっていました。しかし、覚せい剤を使用していたことや、不可解な言動が見られたことから精神疾患を疑われ、実際に精神鑑定が行われます。

精神鑑定の結果、事件の最中は心神耗弱状態であったとみなされました。心神耗弱状態ではあったものの、刑事責任能力は十分に問えるとし、1982年12月23日無期懲役の判決が言い渡されます。

現在も刑務所に服役中

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東京地裁から無期懲役の判決が下った後、川俣軍司は判決を不服とし、控訴を検討します。しかし、弁護士から「命が助かっただけで十分」「被害の大きさを考えるべき」と諭され、控訴を断念しました。

弁護士の発言を受け止め、控訴を断念したことから、思考能力は十分あったと考えられます。2019年、川俣軍司は現在も服役中です。無期懲役について、刑期は15~30年程度だと言われる時代もありました。つまり、刑務所内での行いが良ければ、仮釈放が認められ出所の可能性があるということです。

自殺等の報告はない

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精神状態や言動が不安定だったことから、川俣軍司は刑務所内で自殺の懸念もありました。しかし、等の本人は、弁護士に諭され「模範囚になる」という決意をし、現在も自殺等なく服役中です。年齢は、67歳となっています。

今後、川俣軍司の決意通り模範囚であれば、数十年後または数年後に仮釈放が認められる場合もあるでしょう。深川通り魔殺人事件の被害者やその遺族は、現在も生存しています。川俣軍司の仮釈放について、どのように感じるでしょうか。

自身も幻覚妄想に苦しめられている人が支援を申し出る

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深川通り魔殺人事件では、裁判の最中、「俺にも電波が聞こえる」と叫んだ男性が退廷させられるという出来事がありました。

当時の日本は、第二次薬物乱用期とも言われ、薬物使用者が多かったことから、この男性も薬物の使用により幻聴幻覚症状に悩まされていた可能性もありますが、薬物を使用していないにも関わらず、川俣軍司と同様の現象に悩まされていた可能性も考えられます。

その後、この男性以外にも川俣軍司と同じく「電波」に悩む人々が現れ、川俣軍司への支援を申し出るといった事態に発展しました。現在では、川俣軍司が悩んでいた症状は、統合失調症だったのではないかと言われています。

深川通り魔殺人事件の影響

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深川通り魔殺人事件は、事件後も世間に衝撃を与え続けます。司法が下した判決が軽すぎるといった意見から、霊や電波の存在がまことしやかに囁かれるなど、人々の興味を惹き続けました。

事件の犯行内容が非道であったこと、そして加害者の言動が奇怪であったこともあいまって、様々な方面で活用されることとなります。ここからは、深川通り魔殺人事件が世間にもたらした影響と、深川通り魔殺人事件を題材にした案件等について、ご紹介していきましょう。

関連書籍が販売された

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重大事件や世間の注目を集めた事件は、度々書籍化されます。深川通り魔殺人事件も、書籍化された事件の1つです。事件の様子や、加害者の実際の証言を忠実に再現したノンフィクションとして発売されることもあれば、事件の特徴を活用し、フィクションとして発売される場合もあります。

深川通り魔殺人事件は、事件や証言を忠実に描いたノンフィクション作品として書籍化されました。作品名は「深川通り魔殺人事件」で、作家は佐木隆三です。事件を起こすまでの流れや川俣軍司の生い立ち、事件後の様子など、詳細に紹介された一冊になっています。

映像化

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深川通り魔殺人事件は、映像化もされます。1983年7月25日、月曜ワイド劇場でドラマとして放送されました。放送日は、無期懲役判決が確定した半年後という早さだったことから、大きな注目を集め、視聴率は26%を記録したと言われています。

川俣軍司役としてドラマに出演した人物は、圧倒的な演技力があったため、「本人が出演したのではないか」と話題になり、実際にテレビ局に問い合わせもあったほどです。テレビという誰でも見られる媒体での放送であったことから、被害者遺族が目にした可能性もあります。

事件を忘れないため、事件の重大性を伝えるためという大義名分があるのかもしれませんが、家族を殺害されてから日も浅く、そのうえ無期懲役判決にとどまったことを考えると、ドラマを目にした被害者遺族の心情は計り知れません。

小遊三の風評被害

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深川通り魔殺人事件は、全く関係のない落語家である三遊亭小遊三にも影響を与えました。小遊三が出演する笑点では、度々「泥棒」「犯罪者」等のネタでいじられる場面を目にします。その原点は、深川通り魔殺人事件だと言われているのです。

小遊三は寄席で、深川通り魔殺人事件を取り上げ「犯人は自分だ」というオチを紹介します。外見が似ていたこともあり、寄席は大いに盛り上がりました。その結果、重大事件を笑いに持ち込む悪人、犯罪者といった印象が定着し、現在に至りました。

お笑い芸人らが犯人の姿をネタにした

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深川通り魔殺人事件は、落語以外でも笑いの現場で使用されます。当時人気を博していた芸人ビートたけしは、川俣軍司の逮捕時の様子をコントに使用し、こちらも大いに盛り上がりました。暗い事件だからこそ、笑いで明るくしようと考えたのかもしれません。

こういった事件の扱い方、捉え方は、職業や立場によって大きく異なるため、笑いとして使用することも、書籍化することも、一概に良し悪しを判断することはできないでしょう。しかし、被害者やその遺族へは、どのような立場であっても、配慮し続けなければなりません。

深川通り魔殺人事件から考えるべきこと

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深川通り魔殺人事件は、発生から長い年月が経ったこともあり、世間から忘れさられました。事件を題材にした笑い、映像も、現在はほとんど見かけることはありません。

しかし、発生からどれだけ年月が経っていても、その事件から考えるべき事柄を読み解き、心にとどめておくことは非常に重要なことです。起きてしまった悲しい事件から、一般市民ができることは、事件から学び教訓として覚えておくことだけなのですから。

覚せい剤使用の恐ろしさ

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